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紀元前235年頃のギリシア世界の勢力図です。アカイア同盟とアイトリア同盟が、海を挟んで対峙していることが分かります。また、マケドニア王国が絶えず南進しようとしていました。
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シキュオンのアラトス-上(続き)
弱冠二十歳にしてシキュオンの指導者となったアラトスは、周辺諸国を見渡した。
「シキュオン一国では大国と渡り合えぬ。いや、独立さえままならぬ」
当時、最強を謳われたマケドニア王国が北方に君臨し、また、コリントス湾を挟んで対岸のアイトリア地方には、アイトリア同盟が勢力を誇っていた。両勢力とも、ギリシア世界の覇者たらんと、ペロポネソスを虎視眈々と狙っていたのだ。
アイトリア同盟に加盟する選択もあったが、アラトスは考慮に容れなかった。
「アイトリア同盟の政治はよくない。私利私欲に満ち満ちている」
アイトリア兵の強さは轟いていたものの、その評判はすこぶる悪かった。略奪や海賊行為に走り、果ては同盟国の領地すら荒らすこともあったからだ。
「この勢力は、早晩、行き詰まる」
そこで、アラトスは、当時成立して間もないアカイア同盟に加盟することにした。
アカイア地方とは、ペロポネソス北岸一帯の地域を指し、断崖ばかりの海岸に、痩せた土地の広がる地方だ。従って、大国と呼べる国は皆無で、所々に港町ともいうべき小都市と、山間の土地を細々守る小国が点在するのみであった。
アラトスは、敢えてこの弱小の同盟を選択した。
というのも、アカイアの人々は、独立精神旺盛で、ペロポネソス全域がスパルタの勢力下にあった時にもその支配に屈せず独立を守り抜いたほどであった。
「大国マケドニア、アイトリア同盟に対抗するためには、これらの人々と手を携えていくことが肝要」
シキュオンは有力国。アカイア同盟はアラトスの申し出を喜び、加盟を承認した。
加盟後、アラトスは、同盟指導者の命令、会議の決定を忠実に守り、かつ遂行した。
その公正無私な態度は、アカイア諸国の人々にも認められ、ついに彼は、同盟の最高官職であるストラテゴス(将軍。定員が一人なので最高司令官と訳すべきか)に選ばれた。
紀元前245年、アラトス、二十六歳であった。
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地名がたくさん出てくるので、上の地図と見比べました。
地図のオレンジで囲っている範囲を見るかぎり、
アカイア同盟はアイトリア同盟と面積があまり変わらない気が
するのですが・・・。
2010/3/4(木) 午前 1:38
上の図は紀元前235年の頃のもの。
アラトスの活躍もあり、アカイア同盟の勢力が拡大していた頃です
アラトスが加盟を決断したころ(紀元前251年)は、
海岸沿い(半島北岸)の地域が勢力下にあったにすぎませんでした。
2010/3/4(木) 午前 7:18