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※地図は12月4日掲載分を参照ください。
チュニスの戦い(続き)
クサンティッポスは、戦備を整え終わると、敵情を調べるべく、手の者を放ち調べさせていた。数人は、商人を装わせ、遠くローマ本国に潜り込ませた。
それは大いに効があった。その者が戻ると、ローマの政治制度など、こと細かく報告してきたからだ。
「なるほど。総司令官は、執政官が兼ね、任期は一年か」
「はい。それゆえ、一年の間に功を上げようと頑張るのでございます」
「逆に言うと、任期が迫ると焦ってくる、ということにもなるの」
「はい。どうしても勝負に出たがります。もし、次の執政官が戦果を上げてしまえば、手柄は全て新任の執政官のものになりますから」
「そうか。ご苦労であった。これは褒美じゃ」
クサンティッポスは、金貨の詰まった袋を与えた。
彼は物惜しみしなかった。物惜しみする人間に人はついてこない、傭兵は特にそうだ。それを知っていたからだ。
「はっ、ありがとうございます」
手下は嬉しそうにそれを手にすると、ホクホク顔になって下がっていった。
クサンティッポスは、にやりとした。
別の手の者の報告から、レグルスが戦功を上げたがっていることを既に知っていた。
(焦る敵を謀るは容易ぞ。そうだな…勝機は、春の到来後、新任の執政官がやって来るまでの間だな)
クサンティッポスは、それから、象軍の調練と、ヌミディア騎兵隊と歩兵部隊との連携がうまくとれるよう腐心することに、日々を費やした。
間もなく、カルタゴの地に春がやってきた。
紀元前255年3月。
クサンティッポスは、歩兵二万二千、騎兵八千、総勢三万の大軍をもって押し出した。
瞬く間にチュニスに迫った。
「レグルスは出てくるでしょうか?」
カルタゴ人の将校が彼に訊いた。
「出て来るさ」
馬上揺られつつ、クサンティッポスは磊落に笑った。
「カルタゴ弱しと思い、我らを格好の獲物と思っているであろうからな」
彼の予見どおり、レグルス率いる軍勢も呼応するかの如く城から出てきた。
彼の執政官としての任期は三月十五日まで。彼も、この時を待ちかねていたのだ。
両軍は、チュニス郊外で対陣した。
ローマ軍の布陣を見たクサンティッポス、からからと笑った。
「いかがいたしました?」
「これは笑うより他あるまい。敵は我が軍の半数。しかも、歩兵が中心ではないか」
「いかにも」
「レグルスは勝利を焦り、敵がよく見えていないようだな。そんな敵を破るはたやすい」
彼は、まず象軍に進撃を命じた。
合図に応じ、象の群れが叫びを上げ、突進していく。
象は巨大な破壊力を有する。ただ、弱点は小回りが利かないということ。だから、道を開けてやり過ごすのが最上なのだが、象をはじめて見るローマ兵は度肝を抜かれ、指図すべき百人隊長たちも腰を抜かしてしまった。
たちまち、前衛のローマ軍部隊は、象の大群に蹴散らされていく。
が、ローマ重装歩兵は頑強に戦うことで知られている。なおも、多くの部隊が踏みとどまっていた。
「よし、左右の騎兵隊に突撃を命じよ」
左翼のヌミディア騎兵、右翼のカルタゴ騎兵が、作戦通り大きく迂回して、ローマ軍の側面を衝いた。
重装歩兵は、前面の敵には無類の強さを発揮するが、側面を衝かれると脆い。特に、楯で守られない右側面は重装歩兵の弱点である。その右側面を、地中海世界最強のヌミディア騎兵が襲い掛かった。
「おおっ、騎兵隊だ!」
「こんな大勢の騎兵が!」
ローマ兵は驚いた。
この時代、鐙はまだ発明されていない。それゆえ、太腿で馬の胴を挟んで騎乗することになるが、踏ん張れないため、武器を力強く繰り出すことはできない。
だから、ギリシア・ローマ世界では騎兵は重視されていなかった。ローマでは、騎兵は富裕階級の象徴的存在に過ぎず、追撃戦など、戦闘の一場面に限って役立つ補助的戦力に過ぎなかった。
が、ヌミディア騎兵は全然違った。彼らの多くは、遊牧民として生まれてこのかた、馬に親しんできている。まさに人馬一体。草原で鍛えられた強靭な肉体で、体勢をしっかと保ち、槍を自在に駆使し、矢を巧みに射掛けた。
ために、ローマ兵は次々とその馬蹄の下に倒れた。
「わあっ」「ひいっ」
ローマ兵はついに背を向けて逃げ始めた。こうなると騎兵の独擅場である。
そこに、カルタゴ重装歩兵軍団が突撃すると、勝負はあった。
三方より攻撃されたローマ軍は潰滅した。
カルタゴ軍の圧勝である。
八千人のローマ兵が戦死し、総司令官レグルス以下五百人が捕えられた。アスピスに逃れることのできたローマ兵は半数に過ぎなかった。
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執政官の任期を見る限り、この時代のローマの新年は三月なのかと思いました。それとも3月は今の日本と同じで年度末でしょうかね。
2011/8/9(火) 午後 2:57
ローマの暦で、三月、と表記しています。
ローマ人に年度末という観念はないと思いますよ。
あくまでも、春から行動する、ということで。
当時の軍事行動が春から初秋ぐらいまで、ですので、
それに執政官の任期を重ねたものでしょう。
あと、冬は農繁期ですので。
2011/8/9(火) 午後 6:36