|
https://www.blogmura.com/ にほんブログ村
↑
ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)
禍根
とにもかくにも、カルタゴの大地に平和が戻ってきた。
人々の顔は明るかった。
そう。平和こそ人が生きる大前提だ。そのことを、ローマとの戦争、傭兵との戦争、この三十年に及ぶ戦いが教えてくれる。人々は、そのことを強く思ったに違いない。
が、そんな時である。またしても、カルタゴを危機が襲った。
「なんと!ローマがサルディニアを奪ったと!」
ハミルカルは驚愕した。
「はっ!イタリアに逃れていた傭兵軍の残党が支援を求め、ローマがそれに応じ、島に上陸し瞬く間に全土を制圧したとのこと」
「どういうつもりだ。明白な条約違反ではないか」
ハミルカルは激怒した。
いや、彼だけではない。カルタゴ全市がローマに対する憤りで充満した。
サルディニアは、カルタゴが、四百年にわたり営々と統治してきた島だ。
紀元前241年の講和条約でも、サルディニア島は依然カルタゴ領と認められていた。カルタゴが放棄すべき領域は、シチリア島西部、リパラ諸島、アエガデス諸島に限られていたのである。
ローマ国家の不正義は明らかだが、これにはローマ人の不可思議な葛藤が深く関わっていた。
紀元前241年の末、大陸における傭兵軍の反乱に呼応し、サルディニア島でも傭兵たちが反乱を起こした。彼らは、カルタゴ人の将官を殺害し、現地カルタゴ住民を追放すると、サルディニア全島を制圧した。
が、彼らは島民に対して圧政を敷いたため、島民の反感を招き、蜂起した島民により全島は内乱状態となった。傭兵たちはたちまち追い詰められた。
そこで、傭兵たちは、ローマに使節を派遣した。
「サルディニア島の統治権を譲るので、援軍を送ってほしい」
ローマ元老院はこれを直ちに拒絶した。
ローマは、カルタゴと講和条約を締結したのだ。以降、カルタゴとは友好を維持することを約したばかり。傭兵軍はカルタゴの敵である。彼らの申し出を受ければ、講和条約に反することは明白だったからだ。
結果、傭兵集団は、島民との争いに敗れ、島から叩き出された。
ところが、カルタゴ勝利が伝わると、ローマ元老院の風向きは次第に変わってきた。
「カルタゴはハミルカルの下に一致団結しようとしている」
「ウティカもヒッポ・アクラも再びカルタゴの傘下に収まったとのこと」
「大陸全土は、カルタゴの威風に靡いているとも」
ローマ人は何やら肌寒いものを覚えた。
内乱が続いている間、ローマには、戦勝の余韻も手伝ってか、敗者カルタゴに同情的な空気が支配的だった。ために、ローマは、カルタゴに物資を積極的に補給し、後方から傭兵軍との戦いを支え続けた。
が、内乱がカルタゴの勝利に終わると、その空気は大きく変わり始めた。
「待てよ。我ら、大いなる敵の復活を助けてしまったのではないか」
そう考えだす人々が生まれた。
不思議なものだ。当時のカルタゴは、ローマとの二十年に及ぶ戦いを経て、さらに傭兵軍との死闘が終わったばかり。疲弊し、困憊しきっていた。カルタゴ人は、もう立ち上がる気力も残っていなかった。
そんな国が、ローマに対して事を起こすなど考えられないが、勝者とは、不安がなければないで、不安を妄想するものなのかもしれない。
そういった人心が反映されてか、次第に、元老院でもカルタゴ脅威論が議論されるようになり始めた。
そこに、サルディニア島から追い出され、逃れ来ていた傭兵たちが、ここぞとローマ市民を焚きつけた。
「だから、我らの申し出を受け、サルディニアを奪っておけばよかったのです」
「左様。もし、カルタゴが、サルディニアで海軍建造に着手すれば、ローマ国家はたちまち敵の大艦隊を目の当たりにすることになりましょうぞ」
そんな金はカルタゴのどこにもなかった。ローマはそれを知っていたはずだ。ハミルカルらカルタゴ指導者は、兵糧不足の折、ローマに泣きつくほどだったのだから。
なのに、元老院は動揺し始めた。
「この際、サルディニアを我が物としよう」
そう主張する人々が現れた。
無論、講和条約の定めを順守すべきと訴える人々もいた。
が、傭兵たちは、さらにこう唆して不安を煽った。
彼らとすれば、サルディニアの支配権を取り戻したい。そのためにはローマの力を借りる以外なかったから、必死に煽り続けた。
「我らが道案内をいたします。ローマの人々は、それに従い、要所に兵を配するだけ。それだけで、あの実り豊かなサルディニアの島が手に入るのです。これを見過ごせば、国家百年の悔いを残しましょう」
|
サルディニア島の傭兵軍は、マトス率いた傭兵軍と手を組んでたわけじゃないですよね・・・。ただ、カルタゴで起こった反乱でやる気を起こしたという事でしょうか・・・。まるで、フランス革命が、いろんなヨーロッパの王政を混乱に陥れたような感じに・・・。
それにしても、島を混乱させてる傭兵軍に支援するとは、そもそもカルタゴとローマの争いの最初のきっかけも、それと似たような事だったでしょうか・・・。
2011/10/19(水) 午後 8:39
カルタゴ本国での叛乱に便乗した訳です。
ローマ寄りの歴史家ですら、
このサルディニアに関するローマの行動を
激しく非難しています。
当時の感覚ですら、そうなのですから、
これが後々の禍根の要因となったのは
容易に想像がつきます。
2011/10/20(木) 午前 8:05