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紀元前390年ローマに侵攻したガリア人の部族セノネス族の王ブレンヌスです。
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ガリア人(続き)
そして、紀元前390年。
パドゥス川流域のガリア人は、大挙南下を始めた。総大将はセノネス族の族長ブレンヌス。偶然だが、ギリシア侵攻の指導者と同じ名である(だから、『ブレンヌス』とは名ではなく称号とする説もある)。
標的は、当時、イタリア中部で勢力拡大著しいローマ共和国。
ローマは、紀元前396年、長年の宿敵、エトルリア人都市国家ウェイイを制圧したばかり。ローマから僅か二十キロほどしか離れていないこの国と、百年以上戦い続けた。ために、その勝利はローマ市民を大いに歓喜させた。
ウェイイは壮麗な都市だったらしく、遷都の論議が出た。
が、これには猛烈な反対も起きた。ウェイイ攻略の立役者、名将カミルスも強く反対した。しかし、遷都熱は高まる一方だったらしく、カミルスは反対派のために失脚してしまい、刑を免れるため国を離れた。
要は、ローマの政情は乱れていた。
そういうこともあり、ローマ軍は連戦連敗した。
アリア河畔で決戦に臨んだが惨敗した。
ガリアの大軍はローマを占領した。建国以来、ローマは初めて都に敵を見たのだ。
ガリア軍の占領は半年に及んだ。その間、ガリア人は、略奪をほしいままにした。
神殿から財宝を奪われ、ローマ市民の多くが殺戮され、奴隷として売り飛ばされた。元老院議員たちの多くが捕らえられ、殺された。
生き残ったローマ人は、カピトリウムの丘に立て籠もり、眼下の蛮行を眺めているしかなかった。
幸いなことに、パドゥス川の彼らの領土に敵が侵攻してきこともあって、講和が成立した。金銀と引き換えに、ガリア人は退去することに同意したのだ。
このときの逸話が一つ残っている。
講和の条件となった金銀を、ガリア人が自分の秤で計っていた時のこと。
勿論、ローマ側の代表も立ち会っている。
どうも秤の様子がおかしい。
「あれは…」
ローマ側代表は絶句した。
そう。ガリア人は、秤に細工し、より多くの金銀をせしめようとしたのだ。
「おかしいではないか。講和の誓いに背く振る舞い」
ローマ側の抗議に、総大将ブレンヌスはじろりと睨み、こう言い放った。
「敗者に災いあれ」
「なにっ!」
ローマ側は嚇怒した。
この騒動のため講和は頓挫した。
その間に、カミルスが軍勢を率いて戻って来た。国難に際し、彼は臨時の最高官である独裁官(ディクタトル)に任命されていた。
彼は、ブレンヌスとの会見に臨み、こう言い放った。
「ローマは金ではなく剣でお返しする」
これをきっかけに、ローマ市内で激しい戦闘が勃発した。
激戦の末、カミルス率いるローマ軍は勝利した。
そして、追撃に追撃を加え、ガリア人の軍勢に大打撃を与えた。
こうして、ローマは国家滅亡の危機を切り抜けることに成功した。
その後もガリア人との戦いは続いた。
ウンブリア・エトルリア両地方で幾多の激闘が繰り広げられた。戦いは百年に及んだ。
ローマは、次第に勢力を北に伸ばしていった。
紀元前232年には、先のローマ占領に中心的役割を果たしたセノネス族を徹底的に打ち破り、彼らをその領土から追放した。そして、その土地にローマ市民を植民させた。
精強を誇ったセノネス族の敗北と追放は、近隣のガリア部族に衝撃を与えた。
特に、有力部族のインスブレス族とボイイ族は脅威を覚えた。
「ローマは我らを支配する目的で戦っているのではない。我らの土地から我らを根こそぎ追い払うことが目的なのだ」
「ローマとの共存はありえぬ」
「乾坤一擲の勝負を挑むべきだ」
一決すると、彼らは、使節をアルプスの向こうのガリア人ガエサティ族に送った。
ガエサティ族は、アルプス北麓からロダヌス川(現ローヌ川)までを領有する部族で、当時、ガリア最強の部族であった。
時の王は、コンコリタヌスとアネロエステスの二人。
インスブレス族の使者は、莫大な黄金を差し出し、こう述べた。
「ローマの有する富は、これしきのものではありませぬ。莫大な富が神殿に唸っているのです」
「ほう」
「また、美女も多数群れております」
ガリア人は、人々を羊の如き獲物としか考えていないようだった。
案の定、両王は相好を崩した。
何分、餓狼の如き人々。たちまち、むらむら略奪の欲望を掻き立てられた。
「されど、ローマは強国と聞くが」
コンコリタヌス王が言った。
この頃のローマは、中部イタリアで勢力拡大に汲々としていた小国ではない。既に、カルタゴを打ち破り、西地中海最大の大国となっていたのだ。
すると、インスブレス族の使者は身を乗り出した。
「なんの。我らの父祖は、かつてローマに攻め込み、七か月もの間占領したことがございます。それは、我ら部族が一致団結しさえすれば、ローマなど敵するものではないことの何よりの証拠」
「ふむふむ」
「そこに、両王率いる大軍が加われば、ローマなど何の恐れることがありましょう」
「なるほど。いいだろう。大軍を率いて駆け付けよう」
両王は、援軍派遣を承諾した。
紀元前225年春。
雪解けとともに、ガエサティ族三万の大軍がアルプスを越えてきた。インスブレス族の領土を通過し、ボイイ族の首都ボノニアに入った。そこで、ガリア人の決起を四方に呼びかけた。ガリアの兵が各地から集まった。
歩兵七万、騎兵と戦車兵二万。総勢十万の大軍勢が集結した。
ローマの北の空に、ただならぬ戦雲が広がり始めたのであった。
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現在、中世ヨーロッパの歴史の勉強をしていますので興味あって
読ませていただきました。
文章は物語になっているのですね。
紀元前390年は、ローマがやっと執政官を選出する時代で繁栄の一途を
たどっていた時代ですね。
ボッチ!
2011/4/22(金) 午前 11:33
はじめまして。ようこそいらっしゃってくださいました。
中世ヨーロッパとは離れた時代ですけど
決して無縁の時代ではありません。
仰る通りです。
紀元前390年はローマにとって災厄の年でしたが
新たな飛躍の始まりの年でもあります。
2011/4/25(月) 午前 7:15
ガリアというと、蛮族のイメージです。何となく・・・。ローマはガリアに、かなり
苦しめられていた時もあるとは、よく知らなかった
です。圧倒的にローマの方が勢力がすごいと思ってました。
2012/3/28(水) 午後 9:25
ええ、まあ、この頃のガリア人は蛮族という言葉が相応しい状態にありました。同じガリア人同士でも、血みどろの争いを繰り広げていたようですし。カルタゴやギリシアという文明国家とは、明らかに異質な存在でした。
ローマは、長年、このガリア人との闘争に頭を悩ませていました。
対ガリア人恐怖症みたいなものがあったようです。
ただ、ある時点から優勢になっていきます。それも急激に。
そのエピソードを紹介している、ということなのです。
2012/3/29(木) 午前 7:30