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もう一つの戦争
スキピオたち対カルタゴ強硬派が、開戦の先送りに同意し、使節団をハンニバルの許に送るという、外交的手段をとることを認めたのは、別の戦争が進行中だったからだ。
第二次イリュリア戦争である。
ローマとイリュリアは十年前にも戦火を交えている。
第一次イリュリア戦争である。
その頃、イリュリア王国は、海賊行為を公認し、ローマの同盟国を悩ませていた。
同盟国の訴えに応じ、ローマ元老院は使節を送り、抗議を申し入れた。すると、先王アグロンの后であった摂政のテウタは、謝罪するどころかかえって憤激し、ローマの使者をその帰途に殺害してしまった。
当然、ローマ側は激昂した。
「イリュリアを懲らしむべし」
紀元前229年。ローマは宣戦するや、直ちに大軍をもってアドリア海を渡り、イリュリアに攻め込んだ。精強なローマ軍を前にイリュリア軍はたちまち潰走し、摂政テウタは僅かな側近と共に内陸へ逃走した。
戦いはローマの圧勝に終わり、イリュリアは降伏した。
両国は講和条約を結び、その結果、テウタは失脚。ローマは、同盟関係にあるデメトリオスを、イリュリア王国の摂政に据え、その実権を握らせた。
読者の方は、このデメトリオスのことを覚えているであろうか。
ファロスのデメトリオスと呼ばれた彼。
ギリシア人で、アドリア海に浮かぶファロス島を根拠に、周囲の島々を支配する武将であった。その彼が、ギリシア人が野蛮人と蔑むイリュリアのアグロン王に接近し、次第に取り立てられ、イリュリアの将軍となった。
アグロン死後は、摂政テウタの信任を獲得し、ついには兵権を握った。
彼はイリュリア王家の大きな恩を蒙ったといえる。
にもかかわらず、ローマとの戦争が始まると、デメトリオスは、ローマ側に寝返り、戦争終結に導いた。戦後、テウタを追い、イリュリア王国の実権を握った。
「力を得る者が勝者なのだ」
デメトリオスは高笑いした。
彼は、幼いピンネス王の母トリテウタと結婚し、王の後見役に収まった。さらに、テウタに代わり摂政位に就き、事実上王権を手中にした。
その後も彼の暗躍は続いた。
紀元前222年のセラシアの戦いでは、大軍を率いてマケドニア国王アンティゴノス三世の応援に駆け付け、クレオメネスを打ち破る上で重要な働きをなした。
アンティゴノスは大いに感謝した。
こうして、デメトリオスは、西にローマ、東にマケドニアという、二大国の後援を受けることとなったのである。うまく立ち回ったものである。
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