新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

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 ペルガモン問答
 その頃、アンティオコス大王は大軍を率いてペルガモン王国に侵攻し、ついにはその王都ペルガモンを包囲していた。
「落とせ!ここを落とせば、ペルガモンを滅ぼすことが出来る!」
 大王は叫んだ。




 セレウコス王家とペルガモン王家は、実は、これまで幾度も衝突して来た。
 ペルガモン王国は、はじめセレウコス王朝支配下の地方政権に過ぎなかった。が、紀元前261年、エウメネス一世が独立を宣言し、討伐に来たアンティオコス一世の撃退に成功した。ここに独立の王権を確立した。
 その後も攻防を繰り返していたが、特筆すべきは第12章でも触れたアッタロス一世の登場(紀元前241年即位)である。アッタロスは、ガラティア人(アジアに移住したガリア人)を撃破し名声を高め、セレウコス王朝の軍を度々破り、一時はタウロス山脈以北全てを支配下に収めるほどであった。
 その後、アカイオス(第12章参照)の反攻に遭い大半を奪い返されたが、それでもペルガモンの独立は強固に維持した。その後、アンティオコス三世(大王)と手を結び、宿敵アカイオス滅亡のため共同作戦を指揮した。
 加えて、アッタロスは終生マケドニアの宿敵であり続け、ローマと同盟しギリシア本土で活躍した。それは第12章で述べた通り。




 只今の君主はエウメネス二世(紀元前197年即位)。アッタロスの長子である。
 今回の包囲戦は、両王朝、三度目の激突。
(ここで歴代の因縁にけりを着ける…)
 アンティオコス大王は決意を固めていた。
 海上では、このペルガモンの艦隊が主力の一つを形成している。先のキオス島沖海戦でも手痛い目に遭っている。従って、ペルガモン攻略は、海上の勢力回復にも直結する。




 もっとも、王都ペルガモンは、カイコス川(現バキル川)北岸、そのカイコス川に流れる支流と山に挟まれた要害。アクロポリスは山上にある。よって、接近しての城攻めは困難を極めた。
「バリスタ、カタパルトを並べよ!城壁を破壊し城兵を射倒せ!」
 アンティオコス大王の軍は昼夜猛攻を続けた。
 が、一月が過ぎ、二月が過ぎてもペルガモンは落ちない。その間に、ローマ艦隊司令官ルキウス・レギルス、ロードス艦隊司令官エウダモス、パンピリダスら率いる援軍も城内に合流し、いやが上にも城兵の士気は高まった。

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ベルガモン遺跡、行きました。すべて、欧州(ドイツ)に持っていかれて何も残っておりませんでした。

2018/1/5(金) 午後 2:20 旅の途中

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お越し頂きありがとうございます。
そうでしたか。ペルガモンの文物はドイツにあるのですね。
調べたいと思います。

2018/1/9(火) 午前 7:47 Dragon


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Dragon
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