新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

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 イフィクラテスの脅迫
 ここピレウス、パシオン銀行。
 今日も活況を呈していた。
 今日のように中央銀行など存在しない時代。彼の銀行が、外国の金貨をアテネの金貨に交換して、外国人の商売を手助けしている。
 当然、彼の店には諸国の商人が頻繁に出入りすることとなる。


「御主人様」
 番頭のキットスが顔を青ざめさせ現れた。
「おうキットス、どうした」
「御来客です」
「そんなに慌てるような客か」
「それが…」
 キットスはあたりを見回し、声を潜めた。
「なに、イフィクラテス殿がお忍びでお見えになられたと」
 パシオンは驚いた。確かに由々しき客だ。
(ふーむ。大富豪の傭兵隊長殿か…)
 海外のトラキア(現ブルガリア)に広大な領土を有し、そのトラキア王の娘を娶り、私の軍隊を丸抱えしているイフィクラテス。アテネでも指折りの資産家であった。
(金はあるはず。何の用かな)
 彼は、銀行家らしい注意深さで、客と会う前に、いかなる用向きで来たのかを推測することが常であった。が、いくら考えても思い当たる節はなかった。
「いかがいたしましょう」
 不安な面持ちの番頭は、思案顔の主人に訊いた。
「由々しきお方。何の用かは知らぬが、とにかく丁重に御案内いたせ」


 パシオンは、衣服を改めて、いそいそと応接間に向かうと、頭巾をしたイフィクラテスが、ぶどう酒の入ったグラスを悠然と口に運んでいた。
「これは閣下、ようこそ拙宅へお越しくださいました」
「お、パシオン殿か」
 イフィクラテスはグラスを置いた。
「このたびはケルキュラ遠征軍司令官に就任されたそうで、おめでとうございます」
 パシオンの愛想を尽くした挨拶にも、傭兵隊長は表情一つ変えなかった。
「おう、かたじけない。余も海外の仕事が多い。いずれは、そなたの銀行にも資産を預けたいと思うてな」
「それはそれは」
 パシオンは相好を崩した。
 イフィクラテスの莫大な資産を運用することができれば、ますます事業を拡大できる、つまり、パシオンの儲けも大きくなるからだ。
「それはありがたき仰せ」
「そこでといっては何だが、貴殿にお願いがあるのだ」
「それはもう、わたくしめにできることなら何なりと」
「他聞をはばかる。近く寄れ」
 イフィクラテスは、パシオンの耳元にある秘事を囁いた。
「ええっ!そんな!」
 パシオンは仰天した。
「しっ、大声を出すな」
 イフィクラテスは、その狐目を一層細くした。
「し、しかし、そのような忘恩にも似た振る舞い…。それがしには」
「嫌だと申すのか」
 傭兵隊長にぎろりと睨まれて、パシオンは震え上がった。彼の冷酷無比ぶりは、諸国の商人から聞いていたからだ。そのため、
「いえ、決して嫌とは申しませんが…。何分、とてつもない大役。それがしには荷が重いと思いまして」と必死に言い訳した。
 それを聞くとイフィクラテスは冷笑した。
「ふん。さすが銀行家。うまく言い逃れようとするな」
「言い逃れるなど、滅相もございません」
 大汗をかきながら、パシオンは精一杯の笑顔を浮かべた。
「いや褒めておるのだ」
「それはありがたき…」
(ほ…なんとかなりそうな…)
 パシオンは胸を撫で下ろした。


「されど…」
 イフィクラテスは、くわっと目を見開いた。
「いったん秘密を打ち明けた以上、否やは許さぬ」
「ええっ」
「当り前だ。こんなことを知られて、生かしておけるか」
「そ、そんな!」
 パシオンは真っ青になった。
(この男なら、蚊でも始末するように自分を殺しかねない…)
 が、イフィクラテスの凄みは、硬軟を自在に使い分けるところにある。相手が窮しきったところを見計らって、にっと笑った。
「何もただとは申さぬ」
「え?」
「ことがうまく運んだ暁には、そなたが市民権を得られるよう取り計らってやろう」
 イフィクラテスは、相手が何を望むか、相手の急所はどこかを、徹底的に調べ尽くしてから戦に臨むのが常であった。当然、パシオンが、市民権取得を切望していることは、とうに調べがついていた。
「本当でございますか!」
 案の定、パシオンの顔は、一転、ぱっと明るくなった。
「本当だとも。余の後ろ盾には、カブリアス、カリストラトス両将軍がいる。それぐらい訳のないこと」
 パシオンは悩んだ。
(市民権は欲しい。といって、裏切るような真似はしたくないし…)
「そんなに深刻に考えることもあるまい」
「とは申せ…」
「何も殺せと申しているのではない。元どおり・・・・、隠棲していただくだけだ」
 イフィクラテス、ここぞとパシオンの思案顔に、二の矢、三の矢を放っていく。
 何もそんなに良心を痛める必要はないぞ、そう相手の心に囁くのだ。
 これは悪人が善人を悪に引きずり込む常套手段だ。
「元どおり…」
(そうか。確かにそうだ。ほとぼりが冷めたらお詫びに行くという手もある…)
 いつの間にか、パシオンは、都合の良いように考え始めていた。窮地にある人の心の弱さであろう。
 あれこれ悩むパシオンの姿を、イフィクラテスは薄ら笑いを浮かべて見詰めていた。
 さすが百戦錬磨の傭兵隊長。作戦のつぼ(・・)は決して外さない。もう、パシオンは落ちたも同然であった。
 その後、パシオンは、なおもイフィクラテスと話し込んでいた。その恐ろしい企みに、大汗をかきながら、パシオンは何度も頷いていた。
 それからしばらくして、アテネ中が大騒ぎになることが起きた。あのイフィクラテスがティモテオスを民衆裁判所に告発したのだ。罪名は公金横領。重罪だ。


「なんだと!イフィクラテスがわしを訴えただと!」
 ティモテオスは激怒した。
 そのあまりの形相に、出頭命令を伝えに来た役人は震え上がった。
「罪名は何だ!」
「は。公金横領にございます」
「な、なんだと!このわしが国の金を!」
 濡れ衣もいいところだ。
 しかし、身に覚えのないこととはいえ、安閑と構えてはいられなかった。アテネの裁判制度は、有力者にとっては脅威の存在であったからだ。
 アテネの民衆裁判所は市民が裁判官となる。今日の陪審制と似ている。が、事実認定も量刑も全て市民が最終的に判断する点で、決定的に違う。また、『疑わしきは罰せず』などの原則はない。従って、往々にしてその場の空気に流された感情的な判断がなされ、無実の者が罰せられる不幸が跡を絶たなかった。ソクラテスがその代表であろう。
「して、出頭の意思は」
 役人が恐る恐る尋ねた。
「勿論、出頭する。法廷で潔白を明らかにしてみせよう」
 ティモテオスは弁護人を雇うことにした。親友のプラトンが外遊中であったため、イソクラテスに頼んだ。彼も、当時のギリシアの誰もが知る修辞学の大学者であり、プラトンと同じく学校を開いていた。むしろ、弁論の技能という点では、彼がアテネ随一といってもよかった。


「よいかな。とにかく興奮しないこと。市民を挑発するようなことは決しておっしゃってはなりませんぞ」
 弁護人イソクラテスは、被告人ティモテオスに、入念に注意を与えていた。
彼は、今まで何度も難しい裁判の弁護を引き受けてきたが、市民の反感を買って、無罪となったためしはなかったからだ。
 あのソクラテスも、『哲学者として国家に功があったのだから、食事無料の特別待遇でこそ報われるべき』と主張し、市民の反感を買い、死刑判決を受けてしまった。
「いや、先生。よりによってあのカネに汚いイフィクラテスから公金横領で告発されるとは…。平静でいられるかどうか…」
 普段温厚なティモテオスであったが、額に大きな血管が浮き出ている。
「なりませんぞ。おそらく、これは閣下を追い落とそうとする策略。イフィクラテスが出てきたのは閣下を怒らせようという企み。ならば、怒っては相手の思う壺」
 ティモテオスは、アテネ政界で最も人望厚い人物。逆にいうと、彼を煙たがっている人間も多くいた。が、今回ばかりは、彼には心当たりがなかった。
(強いてあげるとすればカリストラトスか…)
しかし、そこまで恨まれているとも思えなかった。


 法廷の開かれる日。
 出廷するティモテオスは、執事アッタロスの手を借りて支度をしていた。あたかも他家から招かれて出かけるかのごとき風情であったが、額の皺が深く刻まれていた。心中、少なからず波立っていることが窺われた。
「お父様、大丈夫ですか」
 ヘレネは父の身を案じた。
 折角、将軍に返り咲き、国事に尽くし、生き生きと華やいできた父。それなのに有罪となり将軍を解任されれば、父はどれだけ失望するであろう。それが心配であった。
「案ずるな。イソクラテス先生がついてくれておる」
「でも、告発人は、あの狡猾なイフィクラテス。何を企んでいるか心配です」
「ふふん。あの山師の傭兵に何ができる。奴ができることといえば、カネをばら撒くぐらいのこと。が、裁判官が賄賂を受け取れば死罪。そんな愚か者はいないであろうよ」
 とはいいつつも、ティモテオスは、アテネ政界が金まみれであることを承知していた。往々にして、金の力で政治が動く、それがアテネ国家のアキレス腱であった。正論が金で左右されてしまえば、国家百年の大計など不可能なことは自明の理。
「そうでございますが…」
 彼女は心配でならなかった。
「いっそ、エパミノンダス様に証人になってもらってはいかがでしょうか。父上のために弁明して下さると思います」
「それはできぬ」
 ティモテオスは言下に否定した。
「どうしてでございます?」
「エパミノンダス殿は、ようやくボイオティアを一つにまとめ上げたばかり。国事に全力を尽くさねばならぬ時。手を煩わせるわけにはいかぬ」
「とは申しても…」
「ははは。あのお転婆が、そのように父を心配してくれる娘となったか。ははは、大したものだ」
「父上!茶化さないでくださいませ!」
「いやいや、嬉しいのだ。とにかく案ずるな。よいな」
 ティモテオスは、務めて明るく振舞い、家を出ていった。



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