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レウクトラの戦い
紀元前371年、八月初めの朝。
テバイ軍六千、スパルタ軍二万。両軍、ほぼ同時刻に出陣し、レウクトラの野を堂々と進んでいった。
やがて、互いに敵影を確認すると、進軍をやめ対峙した。
テバイ軍の将兵は、真夏というのに、誰もが顔を蒼白く硬直させていた。
前方から、赤いマントを翻し、ラムダの文字をあしらった楯を持つ、重厚な軍団が威圧を加えてくる。誰もが恐怖に耐え、身を辛うじて持ちこたえていた。
エパミノンダスは、兵の前に静かに馬を進めた。
その姿は、日頃の彼と少しも変わらない。民会で演説する彼、体育場で議論する彼、アゴラで市民と会話する彼と一つも変わらない。
「諸君!」
大音声が野に響き渡った。
「諸君はスパルタ兵を絶対不敗の難敵と思っていることであろう」
ここにいる将兵で、目前の大軍団に恐れを抱かぬ者は一人もいなかった。スパルタ軍不敗の歴史が、恐怖の重圧を加えてくるからだ。
「しかし、それは違う!その理由を見せよう!」
彼は、そばに立つイオライダスに目くばせした。
イオライダスは頷いて、持っていた袋の中をごそごそして何かを取り出した。と、その途端、エパミノンダスに投げつけた。紐状のものだ。
なんと、それは蛇であった。
蛇は、しゃあっと牙を剥いてエパミノンダスに襲い掛かった。
「ああっ!」
将兵たちは思わず叫んだ。
が、エパミノンダス、抜く手も見せず薙ぎ払うと、蛇は見事に一刀両断され、地にぼとりと落ちた。
彼は、その頭部を高々と掲げて将兵に示した。
「よいか!頭なくして胴体は動けぬ!敵はこの蛇と同じだ!」
兵たちは互いに顔を見合わせた。
「スパルタ軍本隊を破れば、同盟国の軍勢は動けぬ!敵は大軍ではない!諸君は、ただ正面の一隊を打ち破ればよい!それで勝負は決まる!」
エパミノンダスは、スパルタ軍の強さの核心を衝いた。
スパルタの同盟国の軍勢は、スパルタ本隊が敵の主力を突き崩したのに乗じて追撃するだけで、自ら決死の覚悟で敵に挑むことはない。彼らは、ただただスパルタの力を恐れて従っているだけで、それに心服しているのではなかったからだ。
将兵たちは、固い顔のまま、力強くうなずいた。
エパミノンダスは、剣を天に掲げた。
「勇敢なるテバイ市民よ!ボイオティアの人々よ!この戦いこそ興亡の一戦!ギリシア史に刻まれる決戦!いまこそスパルタを討つ時だ!」
「わあぁぁ!」
兵は大喚声を上げた。大波のようなうねりが全軍に広がっていく。
まず、ペロピダスとスキピオ率いる神聖隊が動き出した。その隣のダイファントス率いる外国人騎兵部隊も動き出した。
「ほほう、敵が動き出したぞ」
スパルタ王クレオンブロトスは、既に馬上にあって、敵陣を睨んでいた。
「敵は左翼に厚く兵を配しておりますな。このような布陣は初めて見ますな」
デイノンは驚きを禁じえなかった。
(籠城とばかり思っておったのに城から出撃し、しかも、この陣立て。やはりエパミノンダスには何か深く期する所があるようだ)
が、その隠された真意は測りかねた。
「敵の意図をどう見る」
「今の時点では、我々に正面から挑戦するつもりとしか…」
デイノンの歯切れは悪かった。
「ふん」
クレオンブロトスは鼻で笑った。
(敵にいかなる企みあろうとも、それがどうしたというのかよ)
王は絶対不敗の自信で満々たるものがあった。
「ならば、その本隊を蹴散らせば勝負が決するな」
「仰せの通りかと」
「よし!」
王は自身に喝を入れると、紅潮させた顔をぐっと上げた。
「我らも進軍だ。出撃の合図を!」
「ははっ!」
デイノンは馬を輪乗りさせると、後方に手を挙げた。
ラッパ手が高らかに吹き鳴らした。
神聖隊を迎え撃つは、スフォドリアス、クレオニュモス親子の率いる重装歩兵部隊。主に平民ペリオイコイから取り立てられた新市民で構成されている。
「父上、合図ですぞ」
クレオニュモス、馬上、花のような武者振りを見せていた。その美しさは、この戦場においても際立っていた。彼も、今日を一期と覚悟して臨んでいたのだ。
「おう!今日こそテバイの者どもを滅ぼしてやる!」
スフォドリアスは吠えた。
彼は、テバイの策略にはまり、任国テスピアイを失い、同盟国アテネの離反を招いた。ために、本国の人々の怒りを買い、あわや死刑に処せられるところであった。
幸い、監督官ヘリッピダスの計らいで特赦されたものの、人々の非難の声は強く、一時、国を離れざるを得なかった。いや、何よりも、この件で彼の声望は失墜した。
(おのれテバイめ…よくも図りおったな…)
その恨み骨髄に徹していた。そう。彼も、今日という雪辱の機会を待ち侘びていた一人であった。
指揮官の燃える意気を感じてか、兵の戦意はすこぶる旺盛であった。
スフォドリアスは抜刀し、高々と掲げた。
「進めっ!」
スフォドリアス隊は前進を開始した。
ざっざっざっざ。
沈黙の戦士たちは、土と草を踏みしめ前に進む。
敵の隊列に接近すると、楯を左にぐっと構え、槍を右にまっすぐ突き出した。そして、雄叫びを上げて神聖隊に突進していく。
それに応じ、神聖隊も、凄まじい気魄を発しながら殺到する。
「それ!いまこそ勇を奮う時!名を刻む時ぞ!」
隊長ペロピダスが叫んだ。
互いに喚声を上げて突進し、楯と楯ががつんとぶつかった。
いずれも重装歩兵。まずは楯による押し合い合戦で始まる。
普通ならば、スパルタ重装歩兵が、序盤から一気に押しまくり、敵の隊形を突き崩し、個々の戦闘力で敵兵を追い散らすのが常である。
が、神聖隊の隊列は全く動かなかった。
「おお!こいつら…」「やるぞ!」
スパルタ兵は敵を見直した。
敵は、これまで彼らが一蹴してきた、左翼を担う弱小部隊ではない。テバイ軍団の最精鋭、神聖隊である。
神聖隊の兵士は、引くどころか、負けずに頑強に押し返してくる。
「押せ!もっと押せ!」
スフォドリアスは必死になって叫んだ。
「押し負けるな!」
ペロピダスも怒鳴った。
ぶつかるスフォドリアス隊と神聖隊、しばらく揉み合い、膠着を見せた。
が、いかに隊列厳しく保とうとも、押し合ううちに、隊列の綻びがどこかしこに生ずる。そして、個々の戦士同士の格闘が始まるのだ。
こうなると、個々の戦闘力の差が勝敗を決するが、格闘の力と技において、スパルタ兵は絶対の自信を誇る。なんといっても、彼らは、物心ついてから、ずっと武技の鍛錬に明け暮れてきたのだ。
「なめるな!ボウオティアの野郎ども!」
ここぞと槍を繰り出し、接近した相手には剣を振るった。
激闘となった。
ところが、ここに至ってスパルタ兵は常と違うことに気付いた。これまでは、迫る自分たちの姿を目にするだけで、敵兵は及び腰になった。
しかし、神聖隊の兵は、恐れも見せず次から次へと立ち向かってくる。しかも、一人が傷つくと、それを庇うように別の一人が猛然と飛び掛ってくる。
神聖隊は、友愛の絆に結ばれる二人一組の兵が集まる精鋭。一人が傷つけば、他方が必死に槍を振るう。また、一人が相手を倒すと、自分も負けじと強敵を求め向かっていく。
人が人を想うとき、人は尋常でない力を発揮する。
「な、なんだ、これは!」
「これが神聖隊か!」
テギュラの戦いで見たのと同じ驚愕が、スパルタ兵の間に広がり始めた。
いや、それは結果となって現れ始めていた。
強い。強いのだ。個々の戦闘力で、スパルタ戦士が圧倒されていく。
驚きは恐怖に変じ、スパルタ兵は浮き足立ち始めた。
「今だ!敵の隊列を分断しろ!切り裂け!」
ペロピダスも、自身先頭に立って敵を蹴散らしながら絶叫した。副隊長のスキピオも、群がる敵に飛び込み、散々悩ませている。
スフォドリアス隊はどっと崩れたった。
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