新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

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 レウクトラの衝撃−上
 スパルタ軍、レウクトラで潰滅。その報はギリシア全土に衝撃を与えた。
 スパルタにとっては、まさしく悲報。
 スパルタに報が届いたその日、皮肉にも、国を挙げての祭儀の最中にあった。アクロポリスの麓にある大劇場で、少年の成長を祝う儀式が盛大に催されていた。
 舞台の上では、少年たちが、元気に行進したり踊ったりしている。
 客席には、わが子の姿に目を細める親たちが、ひしめいていた。その様は、今日の親と少しも変わらない。
 が、今日と違うのは、少年たちが選び抜かれた貴族の子弟だけであるということだ。即ち、スパルタの都を一歩外に出れば、明日に何の希望も見出せない、その成長を誰からも祝われることもない、無数のヘロット(奴隷)の少年少女たちがいた。
 この都での祝典は、所詮、都だけのものに過ぎない。
 が、スパルタ人は、スパルタ人だけの繁栄を考えていたから、それを不都合とも思わなかった。ヘロットたちが、どれほど悲痛な叫びを上げようとも、関知するところではなかった。

 貴賓席にはアゲシラオス王以下重臣たちがずらりと並び、少年たちに声をかけたり手を振ったりしていた。この少年たちこそ、次代のスパルタを支える戦士になっていくのだ。
「おうおう、よい子たちだ」
「うむうむ、よき戦士になるのだぞ」
 アゲシラオスは、身を乗り出し、目の前を進む少年たちに向かって、上機嫌に声をかけていった。
「父上、危のうございます」
 右隣に座るユウポリアが注意したが、王は聞くどころではなかった。
「今日は、ラケダイモンにとってめでたい日・・・・・。やかましく申すな」
 王は、テバイに進攻した軍のことを、さして心配していなかった。
 味方は圧倒的大軍。しかもスパルティアタイ七百人の精鋭を派遣し、加えて、クレオンブロトス王の傍には歴戦の猛者デイノンもいる、クレオニュモスもいる。さらに用心に用心を重ね、王子アルキダモスまで送り込んでいるのだ。
(いかにエパミノンダスが策士とはいえ、じっくり攻めれば、多勢に無勢。我が軍の勝利は揺ぎ無い)
 今、王が気にかけていたのは、目の前の小市民たちの成長だ。
 僅か一万人そこいらのスパルタ人が、その数十倍もの人口のペリオイコイ(平民)やヘロット(奴隷)を支配する、その特異な体制を維持するためには、貴族の人口の確保が不可欠だったからだ。
 かねてから、貴族の人口減少に悩んでいた王にとって、目の前の少年たちを立派な市民に育てること、それこそラケダイモン国家の王の使命と心得ていた。
 
 悲報が届いたのは、そんな盛儀に沸き返る中であった。
 係官が監督官アンタルキダスに近づき、その耳元にひそと伝えた。
「まことか!」
 アンタルキダスの顔は凍りついた。
 彼はしばし言葉を失い、呆然とした。
 しかし、事実を王に伝えなければならない。鉛を呑み込んだような面持ちで、アゲシラオスの席へ近付き、王の耳に囁いた。
 さすがの王も、アンタルキダスを凝視した。が、わずかに眉を動かしたのみで、表情はほとんど変えなかった。
 彼は、すっと立ち上がった。
「みなの者!聞いてもらいたい!」
 人々の目が、何事かと一斉に王に集まった。
「今、知らせがあり、我がラケダイモンの軍はテバイの軍勢と交戦し…」
 王は、一瞬言葉に詰まった。誰もが、勝利を信じて疑わない目を向けていたからだ。
 王は、一呼吸置いて言葉を継いだ。
「我が軍はレウクトラで敗北した。クレオンブロトス王以下、スフォドリアス、クレオニュモス、デイノン、みな戦死したとのことだ」
 一瞬の静寂の後、観客席から悲鳴に近い叫び声が上がった。
 スパルタ市民の多くが今回の遠征に従軍している。ここにいる少年たちの父親もそうだ。その妻たちであろうか、夫の身を案じて囁きあう姿があちこちで見られた。
 長老たちも、ひそひそと囁きあっていた。
(我が軍は大軍で攻め込んだはずだが…)
(主だった者がみな討ち死にするとは…。テバイは、それほど強いのか)
「戦死者は千人を下らぬということ。いずれその名も明らかとなろうが、まずは戦死者に哀悼の意を表明し、遺族には心よりのお悔やみを申し上げる」
 王は、淡々とした表情で言葉を口にしていく。
 
 信じられぬ事態に、人々は凍り付いていた。楽曲隊も最前から演奏を停止している。舞台の上の少年たちも立ちすくみ、大人たちの暗い顔色を窺うばかりであった。
 もちろん、アゲシラオスにとっても衝撃である。必勝を期した戦い、スパルタの総力を上げての戦いであったのだ。この戦いの敗北の意味をもっともよく知っていた。
 が、王は、人々の意気消沈を目の当たりにして、かえって覇気をみなぎらせた。
「諸君、何を沈んでおる!」
 王は、声を大にして市民を励ました。
「我らの父祖は、幾多の苦難を乗り越え、今日のラケダイモンの隆盛を築き上げた。強敵と戦い、もはやこれまでと追い詰められたこともあった。それに勝利し、今の我らがある。我らも、この困難に打ち克ち、新たなラケダイモンの隆盛を築くのだ!名誉あるラケダイモンびとの名に我らの名も連ねるのだ!」
 市民から歓声が上がった。さすが、歴代スパルタ王の中でも頭抜けた指導力を有する彼。その言葉は人々の心を奮い立たせた。
「さあ!今日は新しいラケダイモンびとの誕生を祝うめでたい日。祝典を続けようぞ!我らが沈んでいれば、父祖はつむじを曲げよう。神も見放そう。さあ、楽曲隊は演奏を始めぬか!少年たちは、踊りを続けよ!」
 こうして、祝典は何事もなかったかのように続けられた。さすが、心身ともに強靭な軍国ラケダイモンびと。彼らは、敗北に一層発奮したのであった。
 しかし、スパルタが手痛い大敗北を喫したことは否定しがたい事実であった。


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