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テッサリアのイアソン
「エパミノンダス殿、ただ今、フェライのイアソン殿の使者アレクサンドロス殿がお越しになり、閣下への面会を求めております」
「ほう、イアソン殿のご使者が」
エパミノンダスは、カロンと共に、レウクトラの戦いにおける論功行賞のための事務に忙殺され、書類に目を通していたが、それを聞くと、顔を上げた。
「分かった。すぐ参ろう」
エパミノンダスは、衣服を替えて迎賓館に向かった。
ギリシア全土が敵に回ったレウクトラの戦いで、援軍を送ってくれたイアソンは大事な同盟者だったからだ。
フェライのイアソン。
ギリシア北部のテッサリア地方にあるポリス、フェライの指導者である。いや、それにとどまらず、全テッサリアの支配者であった。
テッサリアには、全テッサリア諸国の兵の指揮権を持つタゴスという官職があり、そのタゴスの地位に就いた者がテッサリアの支配者となることになっていた。
彼は、フェライの権力を握ると、機略縦横を尽くしてタゴスの地位に登りつめ、全テッサリアの支配者となった。彼が、どのようにしてテッサリアの覇権を握ったか、その話をすることにしよう。
フェライに対抗するテッサリア諸国の中にファルサロスという国があった。ファルサロスには名政治家として有名なポリュダマスがいた。
そのポリュダマスは考えた。
「ファルサロス一国ではとてもフェライに対抗できぬ。スパルタの力を借りるべきだ」
彼は、覇者スパルタの援助を得るためペロポネソス同盟に加盟し、さらに、反イアソンのテッサリア諸国と連携してイアソンを牽制した。ありとあらゆる外交策を駆使して、イアソンの侵略を防いだのだ。
今度はイアソンが考えた。
「ポリュダマスはなかなかの人物よ。ファルサロスと正面から戦うのは得策ではない」
そう判断すると、和平交渉をするためと称して、ポリュダマスをフェライに招いた。
ポリュダマスも肝の据わった人物。大胆にも、単身でフェライの街に乗り込んできた。
ポリュダマスは、敵国の人々の厳しい視線の中、イアソンと面会した。
「ポリュダマスよ。テッサリアが一致団結すればギリシアを統一する力をもつこともできる。にも関わらず、相対立して争うのはなんとも惜しいことではなかろうか」
「は…」
ポリュダマスは、弁論家であり理に反することを嫌う性質であった。ということは、理詰めで押せば、否やをいえぬ性質でもあった。
イアソンは、鷹揚な笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「テッサリアには騎兵一万があり、重装歩兵五万を動員できる。これに、余の配下の将軍どもに指揮させれば、スパルタやアテネなど目ではない。どうじゃ」
「その通りかと存じます」
「もし、貴国がわが国に協力してくれれば、その独立も領土も保障しよう。が、あくまでもスパルタと手を結び敵対するというのならば、どうじゃ、正々堂々と戦って雌雄を決しようではないか」
ポリュダマスは言葉に窮した。
というのも、今、スパルタは対テバイ戦争で忙殺されており、援軍を派遣するのは難しいからであった。スパルタの援軍がなければ、大国フェライと戦うなど到底不可能。といって、日和見よろしくスパルタを裏切り、イアソンの軍門に下るようなことは、節義に篤い彼にできることではなかった。
そんなことは全て承知のイアソンは笑った。
「ふふふ。スパルタとの同盟を反故にするのが、後ろめたいのであろう。よろしい。ポリュダマス殿よ。スパルタに赴かれよ。スパルタに援軍を要請するがよかろう。その軍勢を破って、貴殿がわが国と同盟を締結するようにして進ぜよう」
援軍をひきつれて向かって来いというのだ。イアソンは、やはり一個の巨人であった。
が、ポリュダマスも凡物ではない。
「それはかたじけない。お言葉に甘え、スパルタに援軍を要請いたします」とぬけぬけと言い放った。
しかし、イアソンは、むしろ、その素直さを喜んだ。
「ははは。それがよい。是非そうなされよ」
ポリュダマスは、直ちにスパルタに赴いた。
が、時は紀元前372年。スパルタとテバイの対決の機運が高まっていた時である。スパルタは全兵力を対テバイ戦に投入していた。
そのため同盟国ファルサロスの援軍の要請に、スパルタ政府は困惑した。
思い悩んだ末、スパルタ王アゲシラオスは率直に言った。
「わが国には、十分な援軍を派遣する余裕はない。貴国は、貴国にとってもっともよいと思われる方策を採られるがよい。我が国は決して恨むまい」
これは、スパルタとの同盟破棄がファルサロスにとってもっとも利益になるのならば、同盟を破棄してもよいという意味だ。
ポリュダマスは、スパルタ人の率直さを讃えてファルサロスに帰国した。そして、フェライに出向き、再びイアソンに面会した。
「どうか、ファルサロスの独立を保障してもらいたい。保障してくれるのならば、貴殿がタゴスになることにも協力いたしましょう。他国の指導者を説得もしましょう」
イアソンは、笑ってその申出を受け容れた。
その結果、イアソンは、ポリュダマスの雄弁により、他国の指導者の賛成を得てタゴスに就任した。こうして、イアソンは、フェライのイアソンから、テッサリアのイアソンに上り詰めたのであった。
ボイオタルケース(最高行政官)のエパミノンダスとカロンは、そのイアソンの使者アレクサンドロスと、迎賓館で面会した。
「アレクサンドロスと申します。イアソンの使者として参りました」
アレクサンドロスという名で有名なのは、アレクサンドロス大王であるが、それとは勿論別人である。アレクサンドロスという名は、ギリシア世界では、さして珍しくもない。
「おう。これはこれは。本来、わが国の方から、レウクトラのお礼のために伺わねばならぬところ、ご足労いただき恐縮です」
カロンが如才なく答えた。
が、エパミノンダスは使者の顔をじっと見詰めていた。
そのアレクサンドロスは、自身の才に自信があるのか、至って鷹揚な態度であった。
「なんの。貴国のような偉大な国家と同盟国になれたことをイアソンはいたく喜んでおります。そのような小さなことお気になさいますな」
「かたじけない。して、本日お越しになられたのは、どのようなご用件ですかな」
「いや、貴国と我らは既に同盟国。そして、共通の敵はスパルタ。スパルタは貴国を侵略し、わがテッサリアの統一をも妨げ続けてまいりました」
「ふむ。確かに」
「その軍事行動の拠点となっているのがヘラクレア要塞です。そこで、両国が協力して、攻略しようというのが、イアソンの考えにごさいます」
ヘラクレアとは、テバイの北西百km、ペルシア戦争の故地として名高いテルモピレーの古戦場の西にあるスパルタの要塞である。スパルタは、この地を拠点に南のテバイ、北のテッサリアへの軍事行動を展開していた。
「なるほど」
カロンはエパミノンダスの顔を見た。戦略上のことはエパミノンダスに聞かねばならないからだ。
が、エパミノンダスは特に表情を変えることもなく、
「わかりました。評議会に諮り、直ちにご返答いたします」とだけ答えた。
二人は迎賓館を後にした。
よい申出を受けたというのに、エパミノンダスの顔色があまり明るくない。
「よいお話と思いますが…」
カロンがおずおずいうと、エパミノンダスも頷いた。
「話自体は悪くありません。出兵することになりましょう」
「では、何かお気にかかることでも」
「む。イアソン殿の周囲はあまりよくないようですな」
「と、申されると」
「あのアレクサンドロスの顔を見ましたか。険呑な人相をしております。早晩不穏なことを企むに違いありません」
カロンは苦笑した。
エパミノンダスの言葉は、まるで神託を告げる巫女の言葉だ。
「それは思い過ごしではありませんか。聞くところによれば、アレクサンドロスは、イアソン殿の甥御にして、その才を愛され、イアソン殿の右腕として重用され、テッサリア統治に欠かせぬ存在だそうですぞ。それほどの人物が不穏なことを企む、というのは」
「だからこそ心配なのです。あのような人物が右腕というのですからな。…が、最後はイアソン殿が決すること。私の予想が外れ、カロン殿に笑われることを祈るのみです」
そこまで言われると、カロンも心配になってきた。
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