新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

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勝者の問題−終章16


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 勝者の問題
 時を少し戻し、紀元前185年。ローマ。
 今や、地中海世界の覇者となり、世界の超大国と登り詰めた冠たるローマ。
 だが、その首都ローマを覆っていたのは、勝者の歓声と熱気ではなかった。
 深刻な社会問題が、この世界の首都にのしかかっていた。
「先祖に申し訳ないが…もうどうしようもない」
「お前もか…俺も土地を手放すしかないようだ」




 力なく街角に佇んでいたのは、ローマの農民たちであった。
 彼らの多くは、対ハンニバル戦、対フィリッポス戦、対アンティオコス戦で、主力の重装歩兵として従軍した。いわゆる土地持ちの農民である。ローマでは、いわゆる中産階級を構成し、ローマ市民団の中核をなす。
 パトリキや騎士階級などのいわゆる上流階級ほどの財力は持たないが、かといって決して貧しくはなく、それなりの豊かさを享受して来た階級だ。しかも、大戦の戦勝による戦利品の分配にも多く与った彼ら。
 その彼ら農民階級が、一連の大戦終結後、急速に貧困に襲われていた。
 なぜと不思議に思う方もいるかも知れぬが、そこは経済の作用である。




「これで、ヒスパニアも、アフリカも、アジアも、ローマの天下だ」
 ローマ人は空前の領土拡張に歓喜した。敵の旧領は同盟国に多く分け与えられたが、ローマ領となった土地も少なくない。これまでの例によれば、それはローマ市民に分配されることになる。つまり、土地の獲得即ち富の獲得と誰もが思った訳だ。
 だが、経済というものはそんな単純ではない。戦争が終結し、普通の市民生活が再開されると、領土拡大はローマ経済に大きな衝撃を与えた。
 即ち、農産物輸入のルートの拡大である。対ハンニバル戦前のローマの穀物調達のルートは、カンパニア・シチリアが主であった。それが、戦後、ヒスパニアにカルタゴ、さらにはアジアからも、膨大な農産物が世界の首都ローマに流れ込んだ。
 それは当然の結果をもたらした。農産物、特に主食の小麦の価格が暴落したのだ。




 農産物の価格変動について、経済学を修めた人ならばすぐさま理解出来るであろうが、そうでなくともその仕組みは難しくない。
 農産物などの食糧は、人間に必需であるがゆえに不足すれば高騰する。誰もが渇望するからだ。逆に、必要量(=実需)が大きく上ぶれすることもない。満腹の上にさらに詰め込む訳にもいかないからだ。即ち、実需以上に流入すれば、消費されにくくなり、市場内にだぶつくことになる。価格は急落する。
 領土拡大が急であったローマにおいて、この現象が激烈に生じた。
 小麦の価格が暴落し、これまでの価格で全く売れなくなったローマ農民の経営が行き詰まった。




「ああ…ようやく戦争が終わって故郷に戻って来れたというのに…」
 こんな話、現代でも聞いたことがあるのではないか。
 古代社会においても、こういう経済力学から無縁ではいられなかったということだ。いや、経済規模の小さい古代においては市場価格の変動が微小なのが普通。それだけに、ひとたび変動が大きくなれば、人類社会に甚大な影響を及ぼす。
 そして、貧困という経済問題は、同時に深刻な政治問題となる。経済活動は人間の生命と安全に直結しているからだ。経済か人間かという命題を掲げる人を散見するが、それは明白に誤りである。貧困は生命を脅かす。経済こそが人間生活の基盤なのである。


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 フィリッポスその後−錯乱の末に(さらに続き)−終章15
「そうじゃ…確か先王にも子がおったはず…」
 病床の中で王は思いついた。
 先王とはアンティゴノス三世。クレオメネス戦争を勝ち抜きギリシア世界に覇を唱え、フィリッポス五世に王位を譲り渡した王。
「は。確かアンティゴノス殿がおられます。今は、どごその地方の総督であったかと」
 そう。フィリッポスは、王位継承後、先王アンティゴノスの子を冷遇した。だから、これまで先王に子がいたことすら忘れていた。




「彼を呼び寄せよ」
「え!」
「彼に王位を継承させる。アンティゴノス王の子ならば申し分なかろう。少なくともペルセウスよりは遥かにマシに違いない」
 王は、自分を欺き、息子殺しを強いたペルセウスを心底憎悪した。
「ああ…デメトリオスがおれば…。あれならば、強国ローマとも硬軟自在対応出来たろうに…。余はなんという軽挙を…」
 今度は後悔した。憎悪と後悔。感情の荒海の中に、暴君はまさに溺れていた。




 こちら王都ペラ。
「なに…!父君がアンティゴノスに王位を継承させると!」
 ペルセウス王子は目を剥いた。
「馬鹿な!継承者は余のほかあり得ぬ!今更何を仰せか!」
 策を選ばず弟を死に追いやり、ようやく開けた王位への道。
(父はお怒りであろうが、いずれは私に王位を譲るであろう)
 その期待を胸に、このペラで自重の日々を過ごして来た彼。




「ですが、陛下の勅が発せられ、ディアデマ(王環)がアンティゴノスの頭上に載れば、事は決してしまいます」
 答えていたのは、なんとフィロクレスその人。
(陛下には申し訳ないが、もはやペルセウス王子で決まり。ならば、保身を図らねば)
 宮廷人独特の保身術。勝ち馬に乗らねば生き残れないのがマケドニア宮廷なのだ。
 王が都を離れた時点で、彼の心も王から離れてしまっていた。
(このままペルセウスが王位を継げば、私はこの片田舎に忘れ去られることになる)




「どうすればよい」
「薬を少しずつ増やします」
 フィロクレスは気味悪い笑みを浮かべた。
 そう。この悪臣は、かつてアラトスを葬った折に用いた毒薬、じわじわ効き目を発揮するあの薬を用いていたのだ。
「だが、その前にアンティゴノスの戴冠が決まれば、手遅れではないか」
 王子は憮然とした。
「そこは、王子様が何とか足止めをしておいて下さい」
 フィロクレスは苦笑した。
「あと僅かの辛抱なのですから」
 



 ここアンフィポリスの離宮。王の容態は日増しに悪化した。
「フィロクレス…アンティゴノスはまだ来ぬのか…」
 待ち詫び続けていたが、待ち人が来ることはなかった。アンティゴノスは、王都ペラでペルセウス王子に体よく軟禁されていたからだ。
「まだか…まだなのか…」
 もはや、病床の王に只一人の味方もいなかった。



 それからしばらくして…。
 マケドニア国王フィリッポス五世は世を去った。享年五十九歳。
 アレクサンドロス大王の後継者を自負し北船南馬に東奔西走。その彼が掴み取ったのは、領土や人民ではなく、ましてやメガスの称号でもなかった。乱暴背信忘恩憎悪。およそ暴君として兼ね備える全ての悪徳であった。


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 フィリッポスその後−錯乱の末に(さらに続き)
 紀元前179年初め。
 本当の悲劇はデメトリオス王子の死後に幕を上げた。



「なに…それは本当なのか…」
 フィリッポス王は目を大きく見開いた。
 王子の粛清後、とみに健康を崩しがちであった彼、顔色も優れなかった。
「は。どうやら、デメトリオス王子のローマ亡命の企みは真実ではなく、どうやらペルセウス王子の…こう申しては何ですが、作り事というのが真相のようにございます」
 言葉を濁すように報告していたのはフィロクレス。
「ならば…ならば、余は、ありもせぬ事実を基に息子を害したというのか…!」
 王は目を血走らせた。
「それは…」
 フィロクレスはうつむいた。




「なんということだ!」
 王は血を吐くように叫んだ。
「余は…余は、ありもせぬことで、最愛の息子に手をかけたというのか!」
 王はまさに半狂乱となった。
「おおお、神々よ!余に与え賜う罰の何たるむごさよ!」
 王は髪を振り乱し悲嘆に暮れた。
 衝撃のあまり、王は、これ以降、床に伏せることとなった。




 紀元前179年春。
 フィリッポスの病状は次第に重くなった。精神的衝撃が、肉体の健康も深刻に蝕み始めていたのだ。
 王都ペラを離れ東部のアンフィポリスの離宮へ移った。そして、ペルセウス王子以下臣下との面会を一切断ち、ただただ信頼するフィロクレスを枕元に呼んで政務を任せた。




「フィロクレスよ。余の命はもう長くない」
「何を仰せか。東西南北、遠くアジアに征旅した陛下らしくもない。また、陛下には大望があるはず」
 それは打倒ローマの戦いを起こすこと。
「もはやこの体では無理だ。次代の王に期待するしかない」
 王は力ない笑みを浮かべた。



「次代の王…」
 フィロクレスは唾を呑み込んだ。
 その物言いは明らかにペルセウス王子を忌避するものだからだ。
「ペルセウスでは駄目だ。あの酷薄短慮では我が王家は滅亡するしかない」
 王は長男に後継者失格の烙印を押した。
 ただ、その酷薄短慮の生き様を息子に背中で示したのは、まさに今寝床に横たわっている父フィリッポスの粗暴な振る舞いそのものなのだが…。


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 フィリッポスその後−錯乱の末に(続き)
 王は、苦悩の中をもがいていたが、ついに思い切った。
 時刻は物音一つしない真夜中であったが、
「フィロクレスを呼べ」
 腹心中の腹心を呼びつけた。



「う…陛下…」
 現れたフィロクレスは絶句した。
 王の頬がげっそり削り取られ、何年も歳を経たかの如き老いを露にしていたからだ。
「む…よく来てくれたな」
 力ない笑みが返って来た。



「こんな夜更けに…何事にございます」
「王家の災いを取り除いてほしいのだ」
 王は小瓶を差し出した。
「え!これは…」
 フィロクレスは顔を青ざめさせた。
 この重臣は王の謀略陰謀に深く関わって来た。だから、王が誰を指して『災い』と呼ぶのかもすぐに理解した。そして、その瓶の中身が何であるかも…。



「どうしても…ですか」
 この小瓶を下賜する使者を幾度も務めた。その彼も、さすがに訊き返した。
「どうしても…だ」
 王は目許に苦渋を滲ませた。
「王家のため…頼むフィロクレス」
 王は滅多に下げぬ頭を下げた。確かに、これは他人の手に縋るしかない。




 ここデメトリオス王子の屋敷。
 フィロクレスは用心深く手勢を率いて屋敷を取り囲み、それから屋敷の主である王子に面会を求めた。謀反を防ぐ彼らしい用心深さであった。
「そうですか…父がこれを」
 デメトリオスは、静か過ぎるぐらい静かに受け止めた。
「は…陛下の御命。なにとぞ心安らかに…」
 フィロクレスは目を伏せ一気に用命を申し渡した。とても正視出来ない。



「分かりました…ですが、陛下にお伝えください」
 王子は寂し気な眉を浮かべた。
「わたくし、陛下に逆心を抱いたことはなく、ただただ王国の存立と安全を図って来ていたことを。ローマの友と語り合って来たのも、それ以外のことではない、と。決して、国家や父上の秘密に属する事は漏らしてはいない、と」
 そう述べると、王子は別室に下がると、毒杯を一気にあおった。
 紀元前180年冬。デメトリオス王子はこうして世を去った。享年二十七歳であった。


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 フィリッポスその後−錯乱の末に
 ペルセウス王子は、クサントス犠牲式の事件後、さらにデメトリオス追い落としの策を凝らした。噂をまことしやかに流布し、宮廷内に疑念が渦巻き出したのを見計らい、
「陛下、どうやら弟はローマへの亡命を企んでいる模様」
 フィリッポス王の前に沈痛な面持ちで訴え出た。
「な、なにっ!ローマに!」
 王は驚愕した。
「弟は、陛下を悪し様に申し、このままでは王国の行く末安心ならずとか」
「うーむ」
 王は唸った。




 普段なら長子のそういう言動を叱り飛ばす彼であったが、実は、彼の耳にも同じことが別から入っていた。
(デメトリオスよ…余を見限りローマへ出奔するつもりなのか…)
 愛する息子の背信に、王は呆然とした。
 だが、これもペルセウスの策略。彼は、デメトリオス王子の側臣の一人を買収し、フィリッポス王に同じことを密告させていた。嘘というものは、一方向のものは見破るのは容易いが、複数から聞こえて来ると、途端に真実性が増すところがある。
 そういう人間の弱さをペルセウスは巧みに衝いたのだ。
「陛下、このまま時を過ごせば、デメトリオスがローマの軍勢を連れ、王国に攻め入って来ることでございましょう」




 それからというもの。王は苦悩した。一睡も出来なくなった。
 戦備は整いつつある。トラキアの広大な領土を支配下に収め、かつてのテッサリア以上の富強を手に入れた。
(間もなく時は訪れるというのに…)
 デメトリオスがローマに亡命すれば、恐らく内情は筒抜けとなるであろう。
 王子にも真意は秘密にしていたが、軍の急激な強大化に勘付いていたに違いない。巨大な戦力を向ける先がローマ以外にあろう筈はなく、ローマ元老院がデメトリオスを通じて事実を知れば、直ちに大軍をもって攻め込んでくるであろう。




(王家か…我が息子か…)
 僅かに揺らぐろうそくの炎に、王は脂汗を浮かべ自問を繰り返した。
 苦悶する王の有様は、マロネイア事件の遺族や、強制移住で故郷を奪われた人々の呪いが、まさに現実になった観がある。暴君への当然の報いであり、同情の余地はない。
 国政が乱麻の如く乱れているのに、王室の家政が平穏無事などあり得ぬではないか。


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