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−暦(こよみ)について(続き)−
ところで。
歴史を追っていく時、困るのが、年代表記の不統一です。
私たちは、例えば、西暦2009年4月15日といえば、ほぼ世界中の人々が、
「この日のことだな」と認識し、それは同じ日のことを考えています。
「はあ?何を当り前のことを言っているんだ」
そう思われる方もいるかもしれません。
が、この当たり前に思えることが確立されるまで、多くの人々が英知を絞ってまいりました。
正確に太陽の動きを知るには、天文学の発展が不可欠だったからです。
今日の太陽暦の基は、ガイウス・ユリウス・カエサルによって定められました。
ローマのカエサルのことです。
そこで、この暦はユリウス暦と呼ばれます。七月はこのときからユリウスと呼ばれることとなりました。彼の氏族名ユリウスからきたものです。英語のJulyは、このユリウスから来ているものです。
ユリウス暦は、紀元前45年1月1日より施行されました。
今から2050年ほど前のことです
古代欧州において、ローマが覇権を握るまで、長い間国によって、暦が異なっておりました。
たとえば、ギリシア諸国では、都市国家ごとに暦がつくられているため、アテネでは一月であっても、スパルタでは三月ということがあり得ました。
ギリシアの歴史家は困りました。
「何年何月に何が起こった」
この事実の記載は、歴史叙述の形態として最も基本的なことです。
が、読者であるギリシア人は、自分の祖国により定められた暦しか認識できません。
すると、歴史家の記載が、いつ起きたことなのかということが認識しにくいのです。
「さあて、どうするか」
歴史家は考えました。
年の表記は、アテネでは「誰誰がアルコン(統領)の年」、スパルタでは「誰誰がエフォロス(監督官)の年」というように表記されていました。つまり、指導者や役人の名前により、年代の識別がなされていた訳です。
二大国の指導者は比較的よく知られていたため、年代認識の共通化は、なんとか確保されていたようです。あとは、何日かということです。
歴史家は悩みました。
考え出されたのが、何年の春、何年の秋、何年の冬というように、季節による大雑把な表記です。
ヘロドトス、トゥキュディティス、クセノフォン、ポリュビオス。いずれもこの方式を採用しています。
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