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徒労(さらに続き)
「ジスコーネ殿」
プブリウスが切り出した。
「うむ」
「わたくし、ここに到着するまで、大いなる希望を抱いて供をしてまいりました。が、どうやら、それは叶わぬ羽目になりそうな雲行き」
「む」
短く答えるジスコーネの顔に苦渋の色が広がった。
「わたくし、閣下の誠実を疑ったことはありません。…が、同時にローマの子。国家の保全を第一に考えねばなりません」
「そうだな…」
「それゆえ、ここで失礼し、ローマに帰国いたします。互いに最善を尽くしましょう」
「そうか…」
重い息と共に言葉を吐いたジスコーネ。沈鬱な表情で考え込んでいたが、
「今夜一晩待ってくれぬか」といった。
「今夜一晩?」
「そうだ」
彼は、敵となるかも知れぬ友の顔を見つめた。
「これよりハンニバル殿の許に参り、その真意をただす所存。そして、血気に逸らぬようお諌めしてくるつもりだ」
「なるほど」
とはいったが、プブリウス、それに期待を賭けるのは愚かとも思った。
(されど、ジスコーネ殿の身になれば…)
国家の興亡の瀬戸際。今できる全てを尽くさねばならない、そう思うのが心情だ。
プブリウスは、彼との友情を思い、一晩待つことに同意した。
ジスコーネは、衣服をカルタゴ貴顕のそれに改め、馬車に乗って、その夜、マシニッサだけを連れて、バルカ家の宮殿を訪れた。
丘の麓の門でマシニッサが宮門を守る衛兵に申し入れた。
「イベリア総督ハンニバル閣下にお会いしたい」
「汝らは何者か」
最初、衛兵は胡散臭げに見た。が、馬車の人物がハンニバルの義弟にあたるジスコーネと知ると仰天した。
「これは失礼いたしました。直ちに取り次ぎますゆえ」
彼らは、あたふたと宮殿に走り、戻ってくると、急いで門を開けた。
馬車は、丘の上に通ずる石畳の道を、がらがら登り始めた。
宮殿に着くと、ジスコーネらは奥に案内され、とある一室に通された。
彼は部屋を見回した。壁一面に大理石をふんだんに用い、ギリシア風の柱が立ち、贅を尽くした調度で埋め尽くされている。これ全てバルカ家の富強を物語っていた。
「これはこれは」
声と共に現れたのは、主のハンニバル、ではなく、弟のマゴーネであった。
「突然のお越しと聞き驚きました。ようこそいらっしゃいました」
マゴーネは、いつものように快活な笑顔で迎えた。
彼は、ジスコーネの姉エリッサを妻にしている。だから、肉親同然の親しみを見せた。
「おお。マシニッサ殿も御一緒であったか。ようこそ参られた」
マゴーネは愛想を見せた。
「お久しゅうございます、閣下」
マシニッサは丁寧に一礼した。カルタゴ遊学中にマゴーネとは面識があった。
「ハンニバル殿は?もうお休みになられたのか」
「いや、その…」
マゴーネの口調が途端に重くなった。
「兄は今不在にしております」
「不在?巡察にお出かけか?」
「一軍率い出陣しております」
「まさか…」
ジスコーネの顔色は愕然とした。
「サグントゥムに!」
「それは…」
マゴーネはなおも逡巡していたが、今はやむなしと実を吐いた。
「その通りです。兄はサグントゥムに向かいました」
「な、なんと…」
ジスコーネは茫然となった。一足遅かったのだ。
「こうするしかないのです」
マゴーネは、自身に言い聞かせるよう語気を強めた。
「こうするしかないのです」
彼の繰り返す言葉が、静寂に包まれた部屋の中に響いた。
「ば、馬鹿な!」
ジスコーネは体を震わせ激昂した。
高ぶるあまり、続く言葉がすぐに出てこない。が、強いて落ち着きを取り戻すと、
「貴殿はそれが何を意味するかお分かりにならんのか!サグントゥムに兵を向けること、それ即ちローマとの戦端を開くことぞ!」と言葉を迸らせた。
「分かっております」
マゴーネはあくまでも落ち着いた口調だ。おそらく、自身の中で、事の是非を幾度も反芻したに違いない。
「これしかないのです」
彼は幾度も繰り返した言葉を、また繰り返した。それは、彼らバルカ家の決意も、容易ならざる覚悟を経てなされた証左でもあった。
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