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平和と戦争の襞
間もなく。
ローマ使節団の正使ファビウス、副使パウルス、サリナトルが元老院議場に招かれた。
議場の戸口には、決定的な瞬間を見ようと、大勢の市民が詰めかけ、興奮した熱気を充満させていた。
その人々の垣根を通り、議場へと入った。
ファビウスは、右に左に、視線を遣った。
(ジスコーネがいない…策は破れたか…)
最上段にあって、彼を迎えるのは、スフェス(行政長官)のボミルカル、その左右にはミュルカノス、バルモカル。バルカ党の大物たちがずらりと並んでいた。
「ローマの代表よ。我が国に申し述べたいことあらば、今一度訊こう」
バルモカルが横柄な口調でいった。
かつて、敗者としてローマに和を乞うた、あの時の弱々しさは微塵もない。
ハンニバルの強大な軍事力を背景に、誰もが異様な自信を膨らませていた。
「…では」
ファビウスは登壇した。
もう望みはない。それは分かっていた。
しかし、言わずにはおられない。この機会しかないのだ。
「カルタゴの人々よ」
静かに語りかけた。
「後に戻るのはこの機会のみ。それゆえ、今一度申し上げる」
ファビウスは、ローマとの友好を思い出すよう故事を引き合いに訴えた。
「ピュロスとの戦いでは、両国は同盟を結んだ。我らは共存できる筈」
そして、今の平和を大事に思うのならば、ハンニバルの行動を認めず、身柄を引き渡すことを重ねて要求した。
「ならば、我がローマとカルタゴは、これから長きにわたり、平和と繁栄を共有できることであろう」
が、彼が懸命に演説する間、バルカ党の議員はヤジを飛ばし、罵詈雑言を浴びせた。
「身勝手なことを申すな!」
「そうだ!」
「ハンニバル殿を引き渡すなどもってのほか!」
「我がカルタゴに非は無し!」
まるで聞く耳を持たなかった。
今はと、ファビウスは、トーガの胸元をぎゅっと掴んだ。
「私は、ここに二つのものを持っている」
「それは何か?」
ミュルカノスが問うた。
「一つは平和。もう一つは戦争である」
「ほう。面白い。…して?」
「いずれを取り出すべきか、選ぶのは諸君である。我らは、それを受けて立つであろう」
「ほう」
ミュルカノスとバルモカルは、にやとした。
ボミルカルは、顔をこわばらせている。
「我がカルタゴは、貴公が望むいずれでも受けて立つ。貴公は何を選ぶ」
バルモカルが迫ると、ファビウスは凛とした眉を見せた。
そして、只一言。
「戦いを」
それは宣戦の布告であった。
「よかろう!受けて立とう!」
バルモカルの自信に満ちた声が響くと、議場全体にどっと歓声が上がった。
ファビウスらローマ代表団は、カルタゴの地を後にした。
その船影を、いつまでも見詰めている男がいた。
ジスコーネである。
「プブリウス君…」
北の空に向かって、彼は友の名を呼んだ。
「やはり…我らはこうなるしかないのか」
彼はいつまでも佇んでいた。ローマの船影は、やがておぼろに、かすんでいく。
(希望が…消えていく…)
彼はいつまでもそこにあった。
ここに、ローマとカルタゴは、再び戦火を交えることとなった。
紀元前218年春のことである。
両国の人々は、この時を境に、戦いに向け猛烈に邁進する。明日の勝利を信じて。
それは長い長い戦いの始まりであった。
第4章ローマの章終り。第5章アルプスの章へ続く。
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