新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

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※現在のピサ(古名ピサエ)の街の様子です。川(アルノ川)を少し下ると地中海となります。そのため、ここは海上交通の要衝。ローマ艦隊の出撃基地となったものと思われます。

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 勢揃い(続き)
「ミルト殿」
「はい」
「このスキピオ、もう許すと申したからには、それを恩に着せ、何かそなたからせしめようなどとは考えておらぬ」
 先に許されたことを恩に感じ、切ない義理に駆られて来たのではないか、それならば無用にせよ、ということ。
「そういうことではございませぬ」
 ミルトはにこと笑った。
「これは、閣下のためではなく、わたくしのため、なのでございます」
「どういうことか?」
「わたくしは、閣下から大恩蒙り、このローマに住み夫ラエリウスと共に暮らすことができるようになりました。なんたる幸せ者でしょう」
 ミルトの頬に明るい色が浮かんだ。事実、今ほど幸せな時は、これまでなかった。
「ですが、この幸せが続くかどうかは、この大戦の帰趨次第」
「ふーむ」
「ならば、安穏とローマに残っておってよいものでしょうか。自らの才を求める人々がおるのに、それを用いぬままに夫や閣下に万が一あらば、私は一生後悔するに違いありませぬ。なんという不幸な女に成り下がることでしょう」
「うーむ」
 スキピオは唸った。
 ミルトがこれほど堂々所信を述べるとは思わなかったのだ。
「私へ慈愛を賜った閣下の許で働くこと、それこそ、今の私がなすべきことと確信し、ここに参ったのでございます」
 彼女の力強い言葉に、部屋はしんとなった。
 ラエリウスも、今は、彼女の顔を穏やかな面持ちで見詰めていた。



 スキピオは、しばらく黙考していたが、おもむろに口を開いた。
「ミルト殿よ」
「はい」
「よいであろう。我と共に参るが良い」
「ありがとうございます」
 ミルトは、こぼれんばかりの笑顔を浮かべた。
「が、申しておくべきことが三つある」
「はい。しかと承ります」
 ミルトは姿勢を正した。
「第一に。言うまでもなきことながら、戦場では男女の差などない。男どもの将官と同じように扱うぞ」
「無論、承知」
「第二に。敵地に赴いても、必ず生きて帰れ」
「生きて…」
「我のため、ラエリウスのため、などと命を安易に捨てることは絶対に許さぬ。スキピオのやつめ、己の功のため女を死なしめたと後世の歴史家どもに言い囃されては、我一人ではなく一門の恥辱ゆえな」
「かしこまりました。それも胸にしっかと刻みました」
「第三に…」
 スキピオは、すっくと立ち上がると、彼女の許に近寄った。
「はい?」
 ミルトは自然と見上げる姿勢になった。
「これからは、我らは生死を共にする仲間になった。よろしく頼むぞ」
 と、手を差し出した。
「は…はい」
 ミルトは、おずおず手を差し出した。
 その手を、スキピオがぐっと握りしめた。
「よくぞ決意してくれた。よくぞ来てくれた」
「はい…はい」
 ミルトは嬉しかった。涙が止まらなかった。
 ラエリウスも、ヘレンニウスも涙していた。



 スキピオは振り返り、
「ヘレンニウス様よ。これで文句はないであろう」とおどけた。
「はい。これで我が軍団は、一分の隙もない盤石な態勢となりましてございます。敵に百万の兵あろうとも恐れるものはありませぬ」
 ヘレンニウスは威勢よく返事した。
「百万とは大きく出たな」
 スキピオとラエリウスは笑った。
 その夜、スキピオ家の居間では、妻のアエミリアと執事のティロも交え、遅くまで愉しく語り合う人々の姿がいつまでもあったという。




 紀元前210年晩秋。ピサエの軍港。
「ようし!帆を張れ!」
 水兵が力を合わせ、縄をするすると引っ張っていく。
 大きな帆がばんと張られると、艫綱がほどかれた。そして、風を受け、ゆるゆると進み出していく。
 スキピオは、舳先にあって、彼方の水平を見詰めていた。
「いよいよですな。スキピオ殿」
 ラエリウスが船縁を掴んで言った。
「ああ。ようやく我の時が来た」
「時が…」
「ここから本当の戦いが始まる」
「ここからが…本当の戦いに…」
 そう。スキピオが己自ら立ち闘う、それはこの時からなのである。
「いくぞ。ラエリウス」
「おう!お任せあれ!」
 ローマの船団は、穏やかな地中海の海を西の彼方に消えていった。
 ここから始まる。ここから、スキピオの本当の活躍が始まるのだ。



 第8章シチリア・カンパニアの章終わり。第9章ヒスパニアの章へ続く。

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