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息子と引き換えに
その夜。
「このまま帰るわけにはいかぬ」
ヘラクレイデスはひどく焦っていた。この不首尾のままでは面目が立たない。
「スキピオに会わねばならぬ」
スキピオへの『手土産』を梃に、事態の逆転を図らねばならない。
「わたくし。ローマ軍の副官セルギウスに面識があります」
そう言ったのはマニアケス。
スキピオ当人とも面識があるのがだが、敵との親密さを感じさせぬよう、敢えてそういう風に言った。彼女の用心深さである。
「ほほう。それは好都合」
「彼を通じて、面会を取り次いでもらいましょう」
「それはよい。頼む」
そのスキピオは、就寝前のひとときを読書に充てていた。
読んでいたのは『アレクサンドロス大王遠征記』である。当世のベストセラーといえる作品群だ。作品群というのは、これを著した人物は何人もいて、この時代、恐らくその全てが伝えられていた筈だからだ。その御蔭で、原本こそ散逸したものの、現代でもほぼ完全な形で大王の遠征記を読むことが出来る。
今から2300年前の記録を詳細に読むことが出来る。これは中国の史書などと並ぶ偉業・奇跡で、まことに稀有なこと。我が日本の歴史が、六世紀(約1400年前)に遡ると途端に靄がかかったようになることと対比すれば、そのことがよく認識できよう。
「ふう…」
スキピオは溜め息をついた。
(歴史上勝者など存在しないのではないか…)
近頃そんなことを思うようになっていた。
傍目から見れば、彼は全ての人士が羨む勝者。無敵と謳われたハンニバルを破り、カルタゴを屈服させ、今や地中海最強の国家ローマの最高実力者。
(だが、アレクサンドロスの死後、彼の王朝が辿った命運を見れば…)
アレクサンドロスはギリシアからインドに至る空前の大帝国を建設した。歴史上、彼に優る勝者はないと、この時代の誰もが思っていた。
しかし、彼の死後、配下の部将による帝位継承の大戦争が勃発した。ディアドコイ(後継者)戦争だ。この戦争は二十年にも及び、最終的に、セレウコス(シリア)、プトレマイオス(エジプト)、アンティゴノス(マケドニア)の王国に分割された。その争覇の過程で、アレクサンドロスの王統は根絶やしにされてしまった。
こう見ると、アレクサンドロスは武将として一流ではあっても、王国の統治者としては落第というほかない。後継者を定めず、争乱の極みを招き、ついには王家を衰亡させてしまったのだから。だから、彼を評して凶暴な冒険家とする向きもあるぐらいだ。
事実、彼には酒乱の気があり、配下のリュシマコス(後にリュシマケイアを建設した王)をライオンの檻に入れたこともある。もっとも、勇敢なリュシマコスは、ライオンを拳一つで仕留めてみせ、アレクサンドロスの称賛を克ち取って許されたが、これは例外である。彼の逆鱗に触れ無残に殺された部下は遠征中数多くいた。
それゆえ、私はアレクサンドロスを単純に英雄と称賛することにためらいを覚える。アレクサンドロスは帝国を建設し東西の文明を融合するという偉大な事績を残したが、偉大な統治者ではなかった、というのが彼に対する穏当な評価であろう。
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