新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

歴史あれこれ

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

イメージ 1

            ↑
古代ギリシアの聖地オリンピアの復元想像図です。


https://www.blogmura.com/ にほんブログ村

ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)

 −暦(こよみ)について(補足)−

 ギリシア世界には共通の暦はありませんでした。
 何百とある都市国家がそれぞれ、暦を定めていました。
 ために、歴史家は、年を役人の名前で特定し、季節で期間を特定したと申しました。
 たとえば、こういう具合です。
「監督官アンタルキダスの年、夏から秋にかけて、テバイがスパルタに進攻した」
 現代の暦に直すと
「紀元前369年八月から十月にかけて、テバイがスパルタに進攻した」となります。
 ここまでが前回までの説明です。

 実は、もう一つ、年代を特定する方法がありました。
 オリンピックです。
 ギリシア世界では、紀元前八世紀の半ばごろより、聖地オリンピアで競技会が四年ごとに開催されていました。はじめ、参加国は、主催国のエリス、そしてスパルタなどに限られていましたが、そのうちギリシア世界全域から人々が集まるようになりました。
 紀元前776年に第一回オリンピックが開催されています。
 以降、紀元前772年、同768年、764年…

 こうなると、いつ何年に競技会が開かれるという共通認識が誕生します。
 時間の認識の共有です。
 そこで、オリンピックの開催回数を基準に年代が特定されるようになります。
 たとえば、第三回オリンピア期一年目といえば、紀元前772年となります。もっとも、現代の暦の八月ごろに開催されていたらしいので、正確には772年の八月から771年の八月を指すことになります。
 となると、紀元前780年を起点として、ギリシア世界共通の暦が出来上がります。
 例えば、第140オリュンピア期といえば、780−(140×4)=220ですから、紀元前220年から同216年を指すことになります。

 ギリシアの歴史家ポリュビオスは、この年代特定方法を採用しています。
 はは。まったく古代の歴史家は大変ですな。

イメージ 1


https://www.blogmura.com/ にほんブログ村

ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)

 −暦(こよみ)について(続き)−

 ところで。
 歴史を追っていく時、困るのが、年代表記の不統一です。
 私たちは、例えば、西暦2009年4月15日といえば、ほぼ世界中の人々が、
「この日のことだな」と認識し、それは同じ日のことを考えています。
「はあ?何を当り前のことを言っているんだ」
 そう思われる方もいるかもしれません。
 が、この当たり前に思えることが確立されるまで、多くの人々が英知を絞ってまいりました。
 正確に太陽の動きを知るには、天文学の発展が不可欠だったからです。
 今日の太陽暦の基は、ガイウス・ユリウス・カエサルによって定められました。
 ローマのカエサルのことです。
 そこで、この暦はユリウス暦と呼ばれます。七月はこのときからユリウスと呼ばれることとなりました。彼の氏族名ユリウスからきたものです。英語のJulyは、このユリウスから来ているものです。
 ユリウス暦は、紀元前45年1月1日より施行されました。
 今から2050年ほど前のことです

 古代欧州において、ローマが覇権を握るまで、長い間国によって、暦が異なっておりました。
 たとえば、ギリシア諸国では、都市国家ごとに暦がつくられているため、アテネでは一月であっても、スパルタでは三月ということがあり得ました。
 
 ギリシアの歴史家は困りました。
「何年何月に何が起こった」
 この事実の記載は、歴史叙述の形態として最も基本的なことです。
 が、読者であるギリシア人は、自分の祖国により定められた暦しか認識できません。
 すると、歴史家の記載が、いつ起きたことなのかということが認識しにくいのです。
「さあて、どうするか」
 歴史家は考えました。
 年の表記は、アテネでは「誰誰がアルコン(統領)の年」、スパルタでは「誰誰がエフォロス(監督官)の年」というように表記されていました。つまり、指導者や役人の名前により、年代の識別がなされていた訳です。
 二大国の指導者は比較的よく知られていたため、年代認識の共通化は、なんとか確保されていたようです。あとは、何日かということです。
 歴史家は悩みました。
 考え出されたのが、何年の春、何年の秋、何年の冬というように、季節による大雑把な表記です。
 ヘロドトス、トゥキュディティス、クセノフォン、ポリュビオス。いずれもこの方式を採用しています。

イメージ 1


https://www.blogmura.com/ にほんブログ村

ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)


−暦(こよみ)について−

 暦(こよみ)。
 現代では、カレンダーといった方が分かりやすいのでしょうか。
 ところで、なぜ、暦があるのか?
 考えたことがおありでしょうか。
 最大の理由は、農業や漁業という、我々先祖の大多数が従事していた日々の仕事のためです。
 いつ種をまけばよいのか。
 いつ雨が降るのか、降らないのか。
 それを知るためです。

 その基準として、月の満ち欠けで考えるのが、太陰暦。
 太陽の動きで考えるのが、太陽暦。
 月の満ち欠けは、見た目で誰もが判断できるので、大変分かりやすいものです。だから、古代国家の多くは太陰暦を採用しています。
 が、太陰暦の弱点は、季節の移り変わりと一致しないことです。季節に決定的に影響を与えるのは太陽の動きですからね。
 ということで、現代の多くの国は太陽暦を採用しています。


イメージ 1

              ↑
 スパルタの少年少女たちが運動に励む風景を描いたものです

https://www.blogmura.com/ にほんブログ村

ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)

  −スパルタの女たち−
 前節では、ギリシアの女性たちが抑圧されていたことを紹介いたしました。

 が、例外があります。スパルタ(ラケダイモン)の女たちです。

 無論、スパルタでも、政治を担うのは男たちです。二人の王は勿論、議会の議員も男たちだけです。
 しかし、スパルタでは女性が重んじられました。
 不思議に思った外国の人はその理由を尋ねました。
 スパルタの女は堂々と答えます。
「私たちだけが戦士を産むからです」

 丈夫な戦士を産むため、女性にも肉体鍛錬が奨励されました。
 幼少期は、少年少女が裸になって運動に励んでいました。
 裸ということに驚かれる方もおられると思います。
 互いに裸ならば妙な気は起きないものだということを、教えるためであったといわれています。

 そして、女性の権威の源泉として土地所有が挙げられます。
 他国では、所有権などの財産権が制限されていた女性も、スパルタでは女性の地主も珍しくはありませんでした。
 スパルタは、衰退期に入ると、土地売買が解禁になり、それと共に貧富の格差が問題となります。
 女性の大地主が登場し、彼女らの権勢は、王をもしのぐ勢いでした。
 この頃、アギス四世、クレオメネス三世と改革を志す王が相次いで登場します。
 二人の王は、彼女らの処遇に大変苦慮いたします。

 スパルタの女たちが、他のギリシア諸国とは異なり、大きな力を握っていたことがお分かり頂けたと思います。

イメージ 1

            ↑
 ギリシアのレスボス島が生んだ女流詩人サッフォーです。

https://www.blogmura.com/ にほんブログ村

ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)

-古代ギリシアの女性たち-
 古代ギリシア世界は、男尊女卑の徹底した社会です。
 女性には選挙権はありません。
 私法上の権利の主体にもなりえません。
 離婚の自由も、男性側からは自由でしたが、女性側から申し出ることは制限されていました。
 つまり、市民でありながらも、男性成人市民にくらべ制限された存在でした。

 良家の女性こそ、そこそこの教育を受けることができますが、結婚後は、家事に専念します。もっとも、実際の家事は、奴隷が担いますので、子女の養育、家計の維持やら、夫の社交を助けることが主な仕事となります。
 当然、家の奥が、彼女たちの生活空間となります。
 時折催される、祭典や演劇が、女性たちが社会に出ることが許された数少ない機会となります。

 歴史上記録されている女性たちは、いわゆるヘタイラと呼ばれる遊女たち。
 なかでもアスパシアやライスが有名です。
 アスパシアは才色兼備の女性で、アテネの大政治家ペリクレスの愛人となり、その子を産んでいます。この物語で登場する、ペルシア帝国の王妃となったアスパシアは、このアテネのアスパシアにあやかって、キュロス王子により名付けられたものです。
 また、一説によれば、哲学者ソクラテスとも親交があったということです。
 
 ライスは、コリントスの遊女で、多くの男性を虜にしたとのこと。この物語にも登場させています。
 彼女たちは、自身の才覚で、歴史に名を残したと言えましょう。


 あと有名なのは、レスボス島出身の女流詩人サッフォーがいます。
 彼女の許には、多くの女性が詩歌を学ぶために集まったとのことです。
   
 ただ、後世、彼女に対する偏見が生じ、女性の同性愛者を指す言葉として「レスボス」が使われました。が、これはサッフォーにとっても、レスボス島民にとっても、いわれなきことなのです。
 
 この一事をとっても、女性に対する古代ギリシア人の見方がうかがえますね。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.
アバター
Dragon
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

Yahoo!からのお知らせ

友だち(3)
  • 時間の流れ
  • JAPAN
  • ダイエット
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事