|
https://www.blogmura.com/ にほんブログ村
↑
ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)
アカデメイアの痕跡(続き)
アカデメイア。
紀元前387年に、プラトンがアテネ郊外のアカデモスの森に創設した学園である。
プラトンが、この学園を開いた志は一つ。
「理想の国とは何か」
至極まっとうな志である。今日の大学も、実はともかく、何かしらの理想を掲げているのが普通であろう。
ただ、プラトンが、このような志を打ち立てなければならないのには訳があった。
アカデメイア創設当時、ギリシア中で流行していたのが弁論術である。
弁論一つで黒を白と言いくるめることができるとするもので、演説一つで出世が決まる世情に合致し、はやりにはやった。この弁論術を教える教師をソフィストと言い、彼らは名士として遇され、どこの町を訪れても下にも置かないもてなしを受けた。
が、プラトンは、この弁論術なるものを真っ向否定した。
「実のない弁論が正であるはずがない。説得力があるわけもない」
これは、彼の師ソクラテスの信念でもあった。それを彼は継承した。
「正しさを追い求めること」
そのための哲学であり、法律学であり、政治学なのである。弁論術は、その正しさの表現方法に過ぎない。
弁論術に飽き足らない人々は、プラトンの思想に共感し、彼の許には、アリストテレスをはじめ、ギリシア世界全土から俊秀たちが集った。ために、アカデメイアは、ギリシア世界に冠たる学園として繁栄を極めたのであった。
執事のアッティクスと少年の二人は、このアカデメイアに向かった。
いや、そろそろ名前で呼ぶことにしよう。
少年の名は、プブリウス・コルネリウス・スキピオ。
そう。彼こそ、この物語の主人公である。他のスキピオ家の男たちと区別するために、しばらくは、プブリウス、と呼ぶことにする。
「えっ!記録がない!」
プブリウスは素っ頓狂な声を上げた。
「は。何分、昔のことですし…。また、プラトン先生の頃には、学生の記録を正確に残すこともしていなかったようですので…」
アカデメイアの係官は、申し訳なさそうに事情を説明した。
「ああ…」
プブリウスは嘆息し、振り返った。
「アッティクスよ、何もないそうな。これでは、ルキウス公は世にいなかったと同じじゃないか」
「御曹司」
「なんだ、あのアゴラにあった絵は。エパミノンダス公を討ったグリュロスなんぞを、誇らしげに飾りたておって…」
少年は忌々しげにいった。
アテネの人は、マンティネイアの決戦でエパミノンダスを討ち取ったグリュロスを英雄と称え、その討ち取る様を描いた絵画がアゴラの一角に掛けられていた。
「御曹司!」
アッティクスはたしなめた。ここは、そのアテネなのだ。
「そうは思わぬか。エパミノンダス公を討ち、ギリシア統一を妨げ、その後、ギリシアはどうなったのだ。マケドニアに全てを奪われたのではないか。何が英雄なもんか」
プブリウスは言い募った。まさに怖いもの知らずであった。
この時代、マケドニアは東方最強の国家であり、アテネはマケドニア国家の影響下にあった。マケドニアを非難中傷するとなれば、政治犯として逮捕されてしまう。
「御曹司!いい加減になされませ!」
執事アッティクスの上品な眉が、きりりと吊り上がった。
「なんだ、そのまなざしは。私は間違ったことは言っていないぞ」
「間違った、間違っていない、ではありませぬ。御曹司は、これから、このアカデメイアで学ぶのでございます」
「だからなんなのだ」
「郷に入っては郷に従え、でございます。ここはアテネ。そのアテネの人々の心に背いて、アテネで勉学に励むことなどできましょうや。アテネの人々は、御曹司に親切にしてくれましょうや。異国の地にて実を掴むには、その地の人々の心を掴まねばなりませぬ」
アッティクスは、こんこんと言い聞かせた。
それは本当に親身な様子だったので、さすがに、少年の顔に反省の色が浮かんだ。
「そうであったな…。すまなんだ。聞き分けのない幼子のようなことを申して」
プブリウスは、このアッティクスが大好きであった。だから、きつく叱られ、しゅんとなった。
ために、アッティクスは、叱った後は、いつも悲しそうな眉を見せた。父が、母が、愛する我が子を叱るのと同じである。
「いえ。お分かりいただければ。とにかく、入学の手続きを済ませてまいります」
「でも…残念だなあ」
「なに。そんなにがっかりするには及びません」
「なぜだ」
「アテネは、テバイと異なり、国の破壊を経験しておりませぬ。公文書の保管もしっかりしておりましょう。政府には何かしらの記録が残っておりましょう」
「そうか、そうだな」
少年の瞳に、再び希望の光が宿った。
「今日はお疲れになられたでしょう。一日にてテバイからこのアテネまで馬で飛ばしましたゆえ」
「うん。おなかが減ったよ。手続きが済んだらアゴラに出て食事をしよう。アテネの人々の心を知るためには、アテネの人々が何を食しているのかを知ることが肝要だ」
アッティクスは、機知に富んだ少年の言い草に、苦笑した。
|