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その後−アンティゴノス
こうして、ギリシア世界にマケドニア国王アンティゴノス三世の覇権が確立された。
しかし、彼はその栄光に浸る暇もなかった。
スパルタに進駐して僅か三日後、本国から急使が飛び込んできたのだ。
「なんだと!イリュリア人が大挙攻め寄せてきたと!」
「はっ。陛下と軍の主力が留守であるのをいいことに、大軍をもって侵攻してまいりました。既に北部地方を制圧し、国都ペラに迫る勢いにございます」
繰り返しになるが、イリュリア王国はマケドニアの同盟国。その王国の統治に服さないイリュリア人部族は、マケドニアの宿敵であり続けた。それが攻め入って来たのだ。
「おのれ…貪欲なイリュリア人め」
アンティゴノスは、怒りのあまり、手にした儀仗をバキと折った。そして、すっくと立ち上がった。
「皆の者!直ちに本国に戻るぞ!そして、イリュリア人に目にもの見せてやるのだ!」
「おおっ!」
が、その途端、アンティゴノス、どうしたわけか目を見開き、ぐっと呻くと口を左手で押さえた。その指の間から血がたらりと垂れた。
傍にいたメガレアス、それに気づくと、仰天し、
「陛下!それは!」と叫びそうになった。
王は目をもって制止した。
(黙っておれ)
そう。勝者になったとはいえ、スパルタを制圧してまだ三日に過ぎない。ここでアンティゴノス倒れるなどと知られては、どのような異変が生ずるか。
彼の病は、今日の肺結核か、それに類する肺病であろう。当時は不治の病に属する。連年の戦働きによって罹患したものであろう。
(今死ぬわけにはいかぬ。王太子フィリッポスに王位とこの覇権を無事に継承させねば、亡き伯父上や従兄に面目が立たぬ)
その一念で、その場を堪えると、彼は、すぐに軍議を開いた。後事をアラトスやフィロポイメンに託すことに決め、軍を再編成した。
そして、翌日、一部の軍勢をスパルタに残すと、疾風の如く北方に退却していった。
このことから、とある歴史家は、クレオメネスがあと数日決戦に打って出るのを控えていればと惜しむ記述をなしている。あと数日堪えれば、マケドニア軍は自然と退却し、クレオメネスの覇権がギリシア全土を覆ったであろう、と。
が、それは歴史の大事件全てに当てはまる話で、所詮、仕方のない話である。
王都ペラに帰還したアンティゴノス、すぐに太子フィリッポスを呼んだ。
「陛下、お呼びにございますか」
「うむ。そなたは間もなく王位に上がる身」
「何を仰せになります。陛下はまだまだこれからにございます」
そう。アンティゴノスは四十を少し越えたばかり。壮年の盛りである。
「いや」
王は首を振った。
(わしにはもう時間がない)
スパルタからペラに帰還するまでの間も、日々強くなる体の異変が、彼にそう確信させていた。
が、王はそのことには触れず、
「心構えだ」といった。
「心構え…」
「そうじゃ。そなたも十七歳。いつ王位についてもよい心構えをしておかなくてはならぬ」
「はい…」
どうも、フィリッポスは、あまりぴんと来ていなかったようだ。無理もない。彼は、花の青春の季節を過ごす身、人生の儚さなど夢にも思わぬときだ。
「となると、そなたは、余に代わりギリシア世界を統治する立場になる」
「はい…確かに」
「が、ギリシア世界の統治は難しい。力だけでは無理だ。人々の心を統御せねばならぬ」
これは、この三年、ギリシア世界で転戦を重ねた、彼の到達した知見であった。
「どのようにいたせば宜しゅうございましょうか?」
「幸い、ギリシア人に名声あるアラトス殿が我がマケドニアの味方だ。彼の許に参り、ギリシア世界の名士たちと交友するがよい。ならば、自然と、そなたがギリシア世界の覇者であることが認知されよう」
「なるほど…」
「分かったのならば、すぐに出立するがよい」
「すぐ…ですか?」
「そうじゃ」
「されど、今、我が国はイリュリア人の攻撃を受けており、そのような国難の折に太子たる者が外遊にうつつを抜かしていては…」
「心配要らぬ。イリュリア人はこの余が攻め滅ぼす。そなたは、次代に備え、研鑽に励むのだ。それがそなたに課せられた任務ぞ」
王は諭すように言った。
アンティゴノスは、王家にあって傍系に属する。たまたま、従兄デメトリオス二世の死の折、その子フィリッポスが幼かったため、王位を継いだに過ぎない。ために、彼には、従兄に対する強い責務を感じていた。
(フィリッポスに無事王位を渡さねば…)
自分にも男子がいたが、王位をこれ幸いと息子に譲ろうなどとは夢にも思わなかった。
間もなく、フィリッポス王太子は、大勢の従者を連れ、ギリシア世界の外遊に出かけた。
(これでよし)
それと同時に、アンティゴノスは、大軍を率いて出陣した。勿論、イリュリア人を討伐するためである。
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