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プトレマイオスの迷い(続き)
「そこです。陛下のお見落としは」
「見落としだと?」
「はい。わたくしは、マケドニア王家と親しく、それだけにその弱さも見えてまいります」
「ほう」
「マケドニアは只今ギリシア世界を制圧せん勢いとはいえ、その実、極めて危うい立場にあります」
「どう危うい」
「もし、来る戦いでクレオメネスに敗北すれば、北方の諸部族がマケドニア本国に攻め込みましょう。南にクレオメネス、北に異民族。マケドニアはたちまち存亡の危機に陥ること、間違いありませぬ」
「ふふふ」
「おかしゅうございますか?」
「汝はアンティゴノスの盟友であろうが。そのようなことを口にしてよいのか」
「いえ。陛下に真実をお伝えするためには、ありのままの事実をお伝えせねば」
「真実のう」
王の反応は鈍かった。
繁栄極めるプトレマイオス王家、無数の人々に仰がれる宮殿の中にあっては、危機感を実感できなかったものであろう。
「左様。アラトスも申しておりました。陛下は、このままいけば、必ずや後悔するであろう、と」
「アラトスか」
その名が出ると、王は舌打ちした。
「アラトスの申すことなど信用できぬ。我が援助を基に国を運営しておきながら、アンティゴノスに寝返ったやつのことなど」
その言葉に、デメトリオスはニヤとした。
「陛下はそのように申すに違いない、と。そこで…」
懐から書付を取り出し、そばの侍臣に手渡した。
「これを陛下にお渡しするように、と預かってまいりました」
そう。今回のエジプト説得の策は、実はデメトリオス・アラトス共同の発案だ。いや、王を翻意させるという根幹の部分は、このアラトスの書面がものをいうから、全くのアラトスの策である、といえないこともない。
「アラトスが今さら何を言って来た」
王は顎を軽く上げ、侍臣に朗読するよう命じた。
『アカイア同盟ストラテゴスのアラトス、エジプト国王陛下に一筆進上いたします』
まずは、挨拶からつらつら始まった。
『わたくし、先代陛下の折より蒙った深い御恩を決して忘れてはおりません。アカイア同盟崩壊の危機に際し、与えられた御国の援助により同盟が維持され、その後の発展があったことは、アカイアの者ならば誰もが知る事実』
アラトスの謹厳実直が、そのまま文言に現われていた。
『陛下にお知らせしたいのは、クレオメネスの行動が陛下の志とは決して相容れることはない、そのことでございます。彼は、ラケダイモン本国にて、市民の債務を帳消しにし、地主から取り上げた土地を再分配いたしました。これは貧者の革命にて、世界を統治する掟に反するもの。なぜならば、金を借りれば返す、自らの財産で得た土地は自らのもの、この万国公認の法をないがしろにするものだからであります』
「ふーむ」
プトレマイオスは唸った。
『私が、かつての旧怨を捨て、アンティゴノス王と手を組んだのもそのため。決して、陛下に仇なす意図など毛頭なく、ただただ、ギリシア世界に秩序を取り戻し、平和と自由を回復せんがためにございます』
王は、アラトスの語るところに次第に引き込まれた。
(さすがアラトス。まだまだ健在と見える)
『陛下。もし、このクレオメネスの革命が、御国に飛び火いたせばどうなりましょう。必ずや、住民たちの不満が爆発いたしましょう。それは御国の存亡にかかわる一大事。しかも、陛下は、あろうことかラケダイモン王家の人々を庇護しているとか。その危うさ、まさしく累卵の如きものと申して差し支えありますまい』
プトレマイオスはギクとした。
(ちっ、痛いところを衝いてくる…)
そう。プトレマイオス王家はマケドニア人。アレクサンドロス大王に従った部将プトレマイオス(一世)が、総督として与えられたエジプトの地に創始した王朝だ。
王国のアキレス腱は、この征服王朝という特質にあった。支配階級はマケドニア人とギリシア人。被支配階級は現地エジプトの旧来の民。
治者と被治者が、完全に二分され、固定されていたのだ。しかも、被支配階層は、未開の人々などではなく、古代エジプト文明を営々育んできた英知の人々。
ために、エジプト住民の不満は大きく、とかく軋轢が生じやすかった。この民の扱いを一つ間違えれば、王国を揺るがす反乱が勃発しかねなかった。プトレマイオス王家は、細心の注意を払い、強大な軍事力で住民の不満を押さえつける一方、他方で王がファラオを称するなど、エジプト文明に接近する工夫も払ってきた。
アラトスは、この王朝の弱点を衝き、クレオメネスを援助することは、現地エジプト住民暴発の契機となろうと、やんわり脅したのだ。
ここらあたりは、アラトス、さすがに老獪であった。
事実、これは歴代君主の懸案とする点であったためか、プトレマイオスには、かなりの効き目があった。
「なるほど…」
現に、王の顔からは、最前までの冷ややかな表情は消え失せ、苦渋をにじませた思案のそれになっていた。
「デメトリオス殿、申し出の趣はあい分かった。大臣どもと協議いたすゆえ、賓館にて休息なされるがよい」
「ははーっ。良きお返事をお待ち申し上げております」
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