|
https://www.blogmura.com/ にほんブログ村
↑
ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)
マトスの最期
ハミルカル軍はカルタゴに凱旋した。
司令官となって以降、ハミルカルは国に戻らなかった。だから、三年ぶりの帰国だ。
カルタゴ市民、老若男女、一切合切総出となって大通りに鈴なりとなり、勝利した味方を、歓呼をもって迎えた。
人々の表情は、明日を掴んだ歓喜に満ちていた。
「ハミルカル将軍万歳!」
「あなた様こそ救国の英雄!」
ハミルカルは、手を振って笑顔で応えた。
そして、彼の馬の後に、勝利の証として、マトスを始め傭兵軍の首脳たちが縄につながれ、その捕虜の身を晒していた。
彼らを目にするや、カルタゴ市民の罵声が浴びせられた。
「この人でなしめ!」
「ざまを見ろ!」
群衆の中から石つぶてが飛んできた。それはマトスの顔に当たった。
「うっ」
こめかみ辺りから、たらりと血が落ちてきた。
それに端を発し、雨あられの如く飛んできた。
「これ!やめよ!」「やめないか!」
兵がいくら制止しても、やまなかった。むしろ、兵の怒声に、群衆の憎悪はますます煽られていく。
「親の仇め!」「この鬼め!」
「わが恋人を返せ!」
「父を返せ!」「息子を返せ!」
いつの時代も、愛しい人、肉親を失った恨みは容易に消えるものではない。いや、忘れられるものではない。消し去り難い深い傷を人の心に残すだけだ。
その張本人が目の前の男かと思うと、誰もが憎しみに我を忘れた。
ハミルカルに対する歓喜、マトスに対する憎悪、まさしく悲喜こもごもの勝利の行進は元老院議事堂まで続いた。
ハミルカルは馬から降りると、人々に向かっていった。
「市民諸君!捕虜たちはカルタゴの法により裁かれる!」
彼は、熱気にむせ返るほど集まった市民たちを見渡した。
「それまでは、よく自制を保ってもらいたい。なぜなら、それが文明の英知に浴する民の習いだからである」
ハミルカルは諭した。
なんといっても、救国の英雄ハミルカルの言葉である。市民たちは不満そうな色を浮かべたが、素直に頷いた。ために、喧騒は少し静まった。
彼は、副官のボスタルを呼びつけ、こう言いつけた。
「捕虜を監視せよ。間違っても、無法の暴に晒してはならぬ」
「かしこまりました」
ボスタルにあとを委ねると、ハミルカルは、戦勝の報告と戦後処理を協議するため、議事堂に入った。
ハミルカルは、あくまでも、法によってけりをつけることにこだわった。
(邪悪な戦いは終わった。この日をカルタゴ再生の日とせねば…。それには、正義と法の支配する大地としなければならぬ。さもないと、この悲劇は幾度でも繰り返されよう)
この大乱の本をただせば、傭兵に対する処置を誤ったこと、そして、リュビアの民に対するカルタゴ政府の悪政、この二つが原因であることに疑いを差し挟む余地はない。
この悲劇に満ちた争いは、まさしく、カルタゴの自業自得なのだ。
原因を取り除かねば、第二、第三のマトスが現れるのは自明の理。
しかし、マトスら傭兵たちに憎悪を燃やしていたのは、国にとどまった市民たちだけではない。カルタゴ兵もだ。特に、参戦したカルタゴ市民の若者たちの心中には、怨念にも似た感情が渦巻いていた。彼らの友の多くが死んでいる。討ち死にした、それはましな方で、生きて捕えられれば、むごたらしい最期が彼らを待ち受けていた。
捕虜の監視に当たっていた、一人の将校がマトスに詰め寄った。
「貴様、何ゆえ、大恩あるジスコーネ殿を殺した。しかも、あのようにむごたらしく…」
語気は鋭かったが、ハミルカルの命もあり、声を押し殺していた。
それは全将兵の気持ちに違いない。あまりの理不尽に対する怒り、そして、傭兵がどうしてそんな豹変を遂げたのか、そんな戸惑いもあったのだ。
「なぜそんなことを訊く?」
マトスは不思議そうな顔を向けた。
「貴様はもうすぐ死ぬ。その前に、その本心を質しておきたいのだ」
「ふん、なるほど」
マトスは冷笑した。
「俺たちリュビア人は、長年、お前たちカルタゴ人に酷使されてきた。平時は畑を耕し、戦時は兵に駆り出される。そして、死骸が戦場に転がっている。いわば家畜も同然。それが、汝らカルタゴ人のしてきた所業でもある」
「なんだと」
その将校は血相を変えた。
「まあ聞け。俺は死人に等しい。嘘は言わぬ」
マトスの表情は冷めきっていた。この世のこと全てを諦めた人間の色だ。
|