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愛するがゆえに(さらに続き)
「なぜだ。なぜ、そこまでして余に近づいた。嫉妬のためではあるまい。余を殺そうとするのは。その理由を申せ」
「復讐のためでした」
「復讐…誰のために復讐する?」
「私はオリッセス族の生き残りです」
「なに」
ハシュドゥルバルの目はこれ以上ない程に見開いた。
それは、暗黒の世界から突如訪れた魔人に遭遇したかのような驚きだ。そう。あの時、彼は全て殺したはずであった。後日の禍を絶つために。全てを、地下の世界に追いやったはずだった。
「勘違いなさらないでくださいませ」
マニアケスはにっこりと笑った。それは、彼女本来の、女性としての笑顔だ。
しかし、その笑みのもと、彼女は、さきほど哀れな犠牲を一人始末している。いや、一人じゃない。邪魔する衛兵数人も殺害していた。
「私が、閣下に刃を向けるのは、復讐のためではありません。おそばに仕えるうちに、閣下のお優しさを知り、復讐の心は薄れてまいりました」
「ではなぜ?」
「愛するがゆえにございます」
「なに」
ハシュドゥルバルは、マニアケスの目を見た。狂気に囚われたその目を。
(歪んでいる…)
凶器を手に愛の告白。
が、これも、彼女にとっては真実の愛。手の届かぬ相手を自己のものとするための最後の手段。
「閣下を愛するがため…。でも、所詮、わたくしは奴隷の生まれ。それはかなわないこと。それを思い知ったのでございます。閣下が側室を持たれた時に」
神殿の内は物音一つしない。二人の吐息が小さく響くだけ。
そこにいるのは、もはや総督と小姓ではない。主と家来でもなかった。男と女の、まさしく命を賭けた対決だ。
「それで余を殺すというか」
「はい。私と共に、ゼウスの許へ、いえ、バァルの大神様の許へ参りましょう」
「断ると申せば?」
「無理にでもお連れいたします」
マニアケスは短刀をぐっと握った。総督より拝領した短剣を。
ハシュドゥルバルは、じりじりと下がった。間をとるためだ。
逆に、マニアケスは、じりじりと間を詰めてくる。
僅かな時間。必死の攻防。
次の瞬間。
「むん」「たっ!」
ハシュドゥルバルが抜刀したと同時に、マニアケスも短剣閃かせ飛びかかった。
二人は、抱き合う形になって、その場に倒れ込んだ。
「う、ううう」
うめき声を上げたのは総督ハシュドゥルバル。
彼は、力なく剣を地に落とした。
マニアケスは、愛する総督を抱きすくめ、その体深く短剣を突き刺した。
「総督様ご安心を。わたくしも、すぐ後を追いますゆえ」
マニアケス、総督の耳に囁いた。
それを聞くと、早くも土気色になり始めたハシュドゥルバル、僅かに笑みを見せた。
「ふ、よしにせよ」
「え?」
「神殿の背後の海を渡れ。そなたならば逃げきれるだろう」
「な、なんと仰せになられます」
マニアケス、驚いた目をした。
「この余の命で…この余の命で、バルカ家の人々を…そして、余を許してくれ」
「閣下…」
「すまぬ。す…すまなかった…」
ハシュドゥルバルは涙を流し、マニアケスをぐいと抱きしめた。
「閣下…」
「…すまなかった。辛い思いをしてきたのであろう」
ハシュドゥルバルは、震える手で、血にまみれたマニアケスの頬を撫でた。
「閣下!」
マニアケスは、ひしとしがみついた。
「許して…くれ…」
やがて、マニアケスを抱きしめた腕から力が抜けた。
「閣下!閣下!」
マニアケスは叫んだ。
イベリア総督ハシュドゥルバルは、こうして生を終えた。
紀元前221年春のことであった。
神殿の外では、つがいの小鳥が楽しげに愛の歌を囀っていた。
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