新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

第3章イベリアの章

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 愛するがゆえに 
(総督閣下も苦しんでおられた…)
 それは、ますますマニアケスを苦しめることとなった。
 人を理解することは、人を許すということ。復讐の刃を振り下ろすことが、難しくなるということだ。
 しかも、ハシュドゥルバルは、あの日以降、何事もなかったように彼女に接した。それも、ますます彼女に信頼を示すようになった。
「そなたは不思議なやつだ…」
「なぜ…でございましょう?」
「余の権威を恐れ、人が憚ることを、そなたはずけずけ訊いてくる」
「申し訳ございませぬ」
「いや、責めているのではない」
「は…」
「人には、そういう人間が一人は必要だ。余はそれに気づいた。統治者として、余は、本心を打ち明ける存在がこれまでいなかった。が、それは人として辛いことだ。それをそなたが聞いてくれる」
 総督は穏やかな表情を見せた。
「これからも余を支えてくれ。頼むぞ、マニアケス」
「はい」
 答えるマニアケスは涙ぐんでいた。
 嬉しかったのだ。愛する人の力になれること以上に、喜びがあるであろうか。自身がその存在になれたのだ。
 しかし、一人になって自身を取り戻すと、彼女はうろたえた。
(どうしよう…どうすればいいの)
 もう刃を向けるどころではない。彼女は、総督の優しい微笑みに接すれば、体中が熱くなり、幸福感に包まれる。一人の恋する女になりきっていた。


(もう仲間たちの恨みは忘れて…)
 そう思いきろうとしていた矢先、あることが起こった。
 いつものように宮殿に出仕すると、総督は傍らに一人の少女を置いていた。しかも、その少女の容貌は、マニアケスと瓜二つであった。
「おう、マニアケス。いつも早いな」
「閣下、そちらの方は?」
「うむ。余の側室にする」
「え」
 マニアケスは凍りついた。
「はは。余は、そなたが女であったなら、と密かに思うていたのだ」
 総督は快活に笑った。近頃、マニアケスには、本心を隠さず話していた。それが、彼の快活の原因となっていた。
 が、今は、それが鋭い棘となって、マニアケスの心を突き刺した。
「そ、それは、どういうこと…」
「そなたが女なら、余の側室にしたさ。そなたほどの器量、見たことがないからの。だから、配下に命じて探させておったのだ。汝に似た女を、な。そして」
 総督は、ぐいと少女を引き寄せた。
「ようやく見つかった。ガリア人だ。そなたの仲間だぞ。仲良くしてやってくれ。お前からも挨拶せよ。小姓頭のマニアケス様へ、な」
 総督は上機嫌であった。
 少女は、こくと頷いて、マニアケスの方を向いた。
「マニアケス様、これからよろしゅうお願いいたします」
 叩きこまれたものであろう。たどたどしいフェニキア語で挨拶した。
「こちらこそ…よろしく」
 マニアケス、常の沈着な風であったが、内心はまるで違った。
 全身を燃やし尽くさんばかりの嫉妬の炎にくるまれていった。


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 暗殺者の迷い(さらに続き)
「亡きハミルカル殿は、私にとって大恩ある御仁であった」
 総督は、義父ハミルカルとの出会いから、婿となった経緯、そして、イベリアに来てから運命を共にしたことを、縷々と語った。
「そのハミルカル殿をオリッセス族は殺した。だから許せなかった」
「女や子どもも…ですか」
「そうだ」
 ハシュドゥルバルは大きく頷いた。
「いや、あえて憎もうとした」
「あえて…」
「余とて情けはある。それまで、女子どもに手をかけたことはなかった」
「それではなぜ?」
「もし、情けをかけ見逃せば、必ずやカルタゴに仇なすであろう。だから、敢えて非情の措置をとった」
 ハシュドゥルバルの表情は、何か重たいものを呑みこむようであった。
 それは、統治者の重責に耐え、良心と葛藤する一個の人間の言葉であった。


「そんな…ひどい」
 彼女は思わず漏らした。
 それは、あまたな親族友人の犠牲を見た彼女の当然の言葉であった。
 が、その言葉に、総督はびくと肩を震わせた。
「ひどい?ひどいだと」
 ハシュドゥルバルは、ぎろりと睨んだ。
「あ…」
 マニアケスは手で口を覆い、口走ったことを悔いたが、もう遅かった。
 総督の形相が一変していたからだ。
「ああ!ひどいとも!ひどいさ!ひどい振る舞いだよ!」
 総督の美貌は、真っ赤になり、そして、真っ青になった。
 彼は、ひどく取り乱した。両手を広げ、天を仰いだ。
「母が子を手に捧げ、必死に命乞いをした。されど余は許さなかった。殺したのだ。矢を雨の如く浴びせて、な」
 総督の目は血走っていた。
「これがひどくないわけがない。知っているさ、そんなことぐらい」
 人が変わったように激昂する総督に、マニアケスは凍りついた。
「だから、夜な夜な、やつらはこの俺を苛む。よくも、私たちを、このようにむごたらしく殺しおったな、と」
 言葉も荒々しくなっていく。
 あの事件は、よほど彼を苦しめていたと見える。


「分かるか!マニアケス!」
 総督は、マニアケスの顔にくっつけんばかりにして怒鳴った。
「だが、余は敵に負けることは許されぬ!ハミルカルという偉大な司令官を殺した部族に情けをかけるわけにはいかんのだ!さもなくば、祖国カルタゴを雄飛させるという、我らの大志は挫折するからだ!」
 ハシュドゥルバルは、一気に言葉を迸らせると、肩で息をついていた。
「もうよい。下がれ…」
「閣下…」
「下がれ。余を一人にしてくれ…」
 総督は、どかっと椅子に座り込むと、頭を抱えこんだ。
 マニアケスは、孤独な支配者の姿をじっと見詰めていた。
 そして、一礼して退出した。


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 暗殺者の迷い(続き)
 マニアケスは憔悴していた。仇敵を愛することで、彼女の心身は疲れきっていた。
 当然、ハシュドゥルバルも、その異変に気付いた。
「どうも、そなた、最近、体の具合が悪いのではないか?」
「いえ、そのようなことは」
「一度典医に診てもらえ」
「いえ」
 マニアケスは慌てた。たちまち女であることがばれてしまう。
「典医はギリシア人の名医だ。良い薬を処方してもらえ」
 ギリシアの医学は進んでいた。この頃、既に外科手術の技法や道具が揃っていた。
「いえ。これは…ただの気の病。心の持ちようから来たものですから」
 マニアケスは懸命に言い訳した。それは、確かに真実ではあったが。
「おかしなやつだな」
 ハシュドゥルバルは首をかしげた。


 そんなある日。
「閣下に一つお尋ねしたいことがあります」
 マニアケスは、思い切って訊いた。
「なんだ?」
「わたくしども下々の間に流れている噂にございます」
「ああ、この余が、残虐非道で人の血を見て喜ぶ、というやつか」
 ハシュドゥルバルは苦笑した。
「はい。閣下の御政道、まこと道に適ったもので、見ると噂とではまるで違います。なにゆえ、あのような噂をお打ち消しになりませぬ」
「余は活用しておるのだ」
 総督は、バルカ家の人々だけに明かした説明を、ここでも繰り返した。
「活用…でございますか?」
「そうだ」
 ハシュドゥルバルは頷いた。
「余を恐ろしいと思えばこそ、イベリアの者どもも無用な敵対はしまい。そうなれば、無駄な血が流れずにすむ。不幸が生まれずにすむのだ」
(そのようなお考えであったのか…)
「では…では、なにゆえオリッセス族にあのような処置を」
 マニアケスは肝心なことを訊いた。
 彼女の瞳は、いつの間にか潤んでいた。憎めぬ人を何とか憎もう、憎むべき理由を、彼女は必死に探し求めていた。
 ハシュドゥルバルは、そんな彼女をまじまじ見詰めた。
「今日のそなたは少し変だの。根掘り葉掘り訊いてくるの」
「申し訳ございませぬ。つい…閣下の真を知りたいと思いましたので」
「よい。そなたは命の恩人。特別に聞かせてやろう」
 ハシュドゥルバルは立ち上がった。

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 ガリア(ケルト)の剣です。
 GNUフリードキュメントライセンスに基づいて掲載しています。

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 暗殺者の迷い
 オリッセス族の少女、いや、これからはマニアケスと呼ぶことにしよう。
 そのマニアケスは、総督の身辺近くに仕える小姓となった。それは、総督直属の衛兵であり、また、総督の無聊を慰める相手ともなる近しい存在。
 その任に就くと、マニアケスはすぐに当惑することとなった。
 ハシュドゥルバルは、敵から見れば、これほど恐ろしい武将はなかったが、味方にはこれほど頼もしい主君はなかった。それほどに、心配りの利く男であった。
 配下の兵が病気になると、
「そうか。病気か。すぐに典医を遣わしてやれ」
 といって、食べ物や医薬品を届けてやった。
 また、支配下の領民が陳情に訪れたときにも、
「なになに。日照りで不作とな。よいよい、今年は貢を免じてやれ」という具合だ。
 新カルタゴの総督政府の歳入は、土地の収穫だけに依存している訳ではない。交易から上がる税金や、鉱山から潤沢に上がる金銀もある。住民から過酷に搾り取る必要もなかった。だから、君臨する総督も大らかになれたものであろう。
(これは…思っていたのと違う)
 ハシュドゥルバルの為政者ぶりに、マニアケスは困惑した。
 彼−いや彼女−も、多くのイベリア人同様、過酷な統治者と思い込んでいたからだ。


 総督は、彼女にも様々に気配りした。ある日のこと。
「マニアケス、そなたにこれをやる」
 宝石のちりばめられた見事な短剣を彼女に与えた。
「これは…」
「そなたは、余のため身を挺して守ってくれた。良い剣が必要だ」
 総督は、その美貌に笑みを浮かべた。彼の美貌は、数知れぬ女性を虜にしている。そもそも、彼は滅多に笑みを見せない。だから、その笑みには抜群の効き目があった。
 案の定、マニアケスの心は、たちまち大きく揺れ動いた。
(まさか…僕がこの男に…)
 そう。それは、大人への階段を上る女性の当然の体験。
 恋である。
 が、彼女の場合、その相手は不倶戴天の仇敵だった。
 彼女は自身の心の動きに気付くと、激しく動揺した。
「どうした、嬉しくないのか?」
 総督は不思議そうな顔をした。
「いえ…滅相もありません。喜んでおります」
「ふーむ。そなたは、時折、不思議な表情を見せるの。まるで女のようだな」
 それは総督が何気なくもらした言葉だったが、マニアケスは、どきとした。
 彼女は十四歳。少女が大人の階梯を上り始める年頃。
 髪を短く切り、胸にはきつく布を巻き、少年の風体に見せていたが、その肉体が女性の匂いを否が応にも発し始める。いつまでも誤魔化せるものではない。


(急がねばならない)
 マニアケスは焦った。
 そう、時間がない。未来に時間が充分に残されている少年がなぜ、と思う向きがあるかもしれないが、それは彼女が少年として振る舞える時のこと。女性としての春を迎え、喜ぶべき胸の膨らみも、彼女にとっては忌々しいものでしかなかった。
 そして、もう一つ。
(いけない…このままでは剣先が鈍ってしまう…)
 そう。彼女は、ハシュドゥルバルを愛し始めていた。人の心の動きは不思議なもの。理屈ではない。愛してしまうのだ。だから愛するのだ。
 総督との会話は、彼女にとって、過去の自分を忘れるひと時になり始めていた。一人の乙女が、一人の男との出会いに、自身の全てを捧げるのだ。
 ハシュドゥルバルの投げかける何気ない言葉に、全身全霊をもって応え、相手の笑顔を得ようとする。相手の喜びが自身の喜びへ、そして、幸福へと昇華していく。
 これは、まさしく愛のなせる業。
 が、一人になると、彼女は自分を取り戻す。苦悶が始まるのだ。
(申し訳ない…申し訳ない)
 少女は亡き仲間たちに詫び言を繰り返す。
 相手を愛する自分、相手を憎む自分。彼女は、体が引き裂かれるような苦痛の中、日々過ごすようになっていた。


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 美しき暗殺者(さらに続き)
「僕は…どうしてやつ・・を助けたのであろう。死ねば幸いなものを…」
 少年は髪を掻きむしった。
 ハシュドゥルバルを救ったあの少年だ。部屋の隅に座り込み、陰鬱な言葉をぶつぶつ吐き、時折壁を拳で叩き、花の如き顔を歪めている。
 そう。彼は、復讐のためにここにいる。
 彼は、ハシュドゥルバルの軍隊に滅ぼされた、オリッセス族の生き残り。仲間の復讐を果たすため、恥を忍び、屈辱を堪え、奴隷の境遇に生きてきた。オリッセス族の出自を知られないため、マニアケスを身に着け、ガリア人のふりをしてきた。
 そうして、ようやく宮殿付きの奴隷となることができた。


 獅子狩りにおいても、実は虎視眈々、その機会を狙っていた。
 ハシュドゥルバルを仕留める機会を、だ。
(ふふふ。存分に獅子を狩るがよい。最後には貴様が狩られるのだ)
 少年は、ほくそ笑み、短剣を胸に握りしめた。
そう。あの短剣は、総督を守るため、ではなく、その総督の命を奪うために肌身離さず忍ばせていたもの。
 狩りを終え、人々が油断した頃を見計らい、そろそろと総督の騎乗する馬に近寄った。
(あと一歩…あと一歩…)
 総督が気持ちよさげに馬に揺られる背後に、足音忍ばせ近づいた。
(今だ!)
 まさに彼が飛びかからんとしたその時。
 突然、獅子が総督に飛びかかった。
 彼は、条件反射の如く、獅子に飛びかかっていた。そして、その首に短剣を突き立てていた。それは、総督のために身を呈すよう訓練を施されてきたからであろう。
 結果、思いがけず、総督の命を救ったことになった。
 総督の感謝の言葉、同僚の羨望の眼差しを浴びる中、彼は全く別の世界にいた。
(家族に…仲間に…申し訳ない)
 悶え苦しんだ。
 業火の中、命を落とした人々の顔が難詰する。
『何をしているのだ』
『我らの無念を晴らしてくれるのではないのか』
『さればこそ、我が身を犠牲にしたものを』
 胸を抱きしめた。僅かな膨らみが見える。
 そう、本当は女であった。
 女であることをひた隠し、男として、ハシュドゥルバルに近づこうとした。女ならば、狩りに同行することはできないからだ。剣を握ることもできない。


 しばらくして、彼女は虚空を見上げた。
(これは、神が、わたくしに機会を残されたのだ)
 そう考えることにした。いや、思いこもうとした。
(獅子の牙ではなく、この短剣で仕留める機会をお与えくだされたのだ…)


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