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ガリア(ケルト)の剣です。
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暗殺者の迷い
オリッセス族の少女、いや、これからはマニアケスと呼ぶことにしよう。
そのマニアケスは、総督の身辺近くに仕える小姓となった。それは、総督直属の衛兵であり、また、総督の無聊を慰める相手ともなる近しい存在。
その任に就くと、マニアケスはすぐに当惑することとなった。
ハシュドゥルバルは、敵から見れば、これほど恐ろしい武将はなかったが、味方にはこれほど頼もしい主君はなかった。それほどに、心配りの利く男であった。
配下の兵が病気になると、
「そうか。病気か。すぐに典医を遣わしてやれ」
といって、食べ物や医薬品を届けてやった。
また、支配下の領民が陳情に訪れたときにも、
「なになに。日照りで不作とな。よいよい、今年は貢を免じてやれ」という具合だ。
新カルタゴの総督政府の歳入は、土地の収穫だけに依存している訳ではない。交易から上がる税金や、鉱山から潤沢に上がる金銀もある。住民から過酷に搾り取る必要もなかった。だから、君臨する総督も大らかになれたものであろう。
(これは…思っていたのと違う)
ハシュドゥルバルの為政者ぶりに、マニアケスは困惑した。
彼−いや彼女−も、多くのイベリア人同様、過酷な統治者と思い込んでいたからだ。
総督は、彼女にも様々に気配りした。ある日のこと。
「マニアケス、そなたにこれをやる」
宝石のちりばめられた見事な短剣を彼女に与えた。
「これは…」
「そなたは、余のため身を挺して守ってくれた。良い剣が必要だ」
総督は、その美貌に笑みを浮かべた。彼の美貌は、数知れぬ女性を虜にしている。そもそも、彼は滅多に笑みを見せない。だから、その笑みには抜群の効き目があった。
案の定、マニアケスの心は、たちまち大きく揺れ動いた。
(まさか…僕がこの男に…)
そう。それは、大人への階段を上る女性の当然の体験。
恋である。
が、彼女の場合、その相手は不倶戴天の仇敵だった。
彼女は自身の心の動きに気付くと、激しく動揺した。
「どうした、嬉しくないのか?」
総督は不思議そうな顔をした。
「いえ…滅相もありません。喜んでおります」
「ふーむ。そなたは、時折、不思議な表情を見せるの。まるで女のようだな」
それは総督が何気なくもらした言葉だったが、マニアケスは、どきとした。
彼女は十四歳。少女が大人の階梯を上り始める年頃。
髪を短く切り、胸にはきつく布を巻き、少年の風体に見せていたが、その肉体が女性の匂いを否が応にも発し始める。いつまでも誤魔化せるものではない。
(急がねばならない)
マニアケスは焦った。
そう、時間がない。未来に時間が充分に残されている少年がなぜ、と思う向きがあるかもしれないが、それは彼女が少年として振る舞える時のこと。女性としての春を迎え、喜ぶべき胸の膨らみも、彼女にとっては忌々しいものでしかなかった。
そして、もう一つ。
(いけない…このままでは剣先が鈍ってしまう…)
そう。彼女は、ハシュドゥルバルを愛し始めていた。人の心の動きは不思議なもの。理屈ではない。愛してしまうのだ。だから愛するのだ。
総督との会話は、彼女にとって、過去の自分を忘れるひと時になり始めていた。一人の乙女が、一人の男との出会いに、自身の全てを捧げるのだ。
ハシュドゥルバルの投げかける何気ない言葉に、全身全霊をもって応え、相手の笑顔を得ようとする。相手の喜びが自身の喜びへ、そして、幸福へと昇華していく。
これは、まさしく愛のなせる業。
が、一人になると、彼女は自分を取り戻す。苦悶が始まるのだ。
(申し訳ない…申し訳ない)
少女は亡き仲間たちに詫び言を繰り返す。
相手を愛する自分、相手を憎む自分。彼女は、体が引き裂かれるような苦痛の中、日々過ごすようになっていた。
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