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花嫁所望(続き)
東ヌミディアのマッシュリ族にマシニッサという王子がいた。このとき十八歳。筋骨隆々の逞しい青年だ。
彼を自邸に招き寄せた時のこと。
「閣下、本日は都内をご案内頂いたうえ、お屋敷にお招き頂き、かくなるおもてなしまで頂戴いたしまして…」
青年は緊張していた。
マッシュリの都キルタ(現コンスタンティーヌ)とは比較にならぬ絢爛豪華な都城、王宮をも凌ぐ広壮な邸宅群。その一角に、将軍ジスコーネの屋敷はあった。
そして、眼前の卓上には、地中海世界全土から取り寄せた珍味が、所狭しと並べられている。なにぶん、現代の如く保存の利かない時代。この豊富な食材こそ、その人の権勢を示して余りあった。
「ははは。マッシュリの王子よ。我がカルタゴ国家は、貴君らの信義ある勇武に期待しておる。それとの引き換えならば、何を惜しもうか」
ジスコーネは鷹揚にいった。事実、この程度の散財で、ヌミディア人の心を掴めるのならば安いものと思っていた。
「ありがたきお言葉」
「何か所望があれば申されるがよい。余が取り計らって進ぜよう」
「されば…」
王子は、ちらとジスコーネの傍らを見た。そこには、妹のソフォニスバが控えていた。このとき、ようやく十一歳になったばかり。
「閣下の妹御をそれがしにくだされまいか」
「なんと申される」
ジスコーネは驚いた。
「一目見て惚れ申した。なにとぞ、それがしの妻にいただきとうございます」
マシニッサは、自身の心に真っ正直に申し入れた。
ジスコーネは振り返った。
ソフォニスバの頬がぽーっと上気していた。その姿は、可憐な花が色づいたようで、艶やかに映じた。
(なるほど…。まだまだ子供と思っていたが…。もう一人前の女となっていたか…)
「ふふ。ソフォニスバもあなたを気に入ったご様子」
「それでは…」
「ただ、ソフォニスバは十一になったばかり。五年ほどお待ちいただければと存ずるが」
「おお!ありがたきお言葉!」
こうして、ジスコーネは、妹ソフォニスバを、マッシュリ族の王子マシニッサに嫁すことを約したのであった。
マシニッサは大喜びし、カルタゴ国家への忠誠を約し、マッシュリに帰って行った。
それからしばらくして。今度は、西のマサエシュリ族の王子シファクスがやってきた。
ジスコーネは、これも大いに歓待した。
マサエシュリ族は西アフリカの沿岸(今日のアルジェリア西部)を領有し、カルタゴ船舶の安全な運行には、この部族の協力が欠かせなかったのだ。
ジスコーネは、盛んにもてなしたうえ、彼にもたずねた。
「何か所望のものがあれば遠慮なく申されよ」
富裕な育ちの彼。物を惜しむところが全くなかった。
しかし、シファクスの答えは、その彼ですら与えるものができないものであった。
「ソフォニスバ殿をいただきたい」
こちらの王子もずばと欲するものを求めた。
「なんと」
彼は、再び妹の姿を見た。やはり彼女は上気していた。
そう。妹ソフォニスバはまだ幼かった。あちらから言い寄られればあちらになびき、こちらから言い寄られればこちらになびく。少年少女の時代にはよくあることだ。
(これは…早計であったやも知れぬ…)
ジスコーネはマシニッサに快諾したことを少し悔やんだが、もはや手遅れだ。
「まことに申し訳ないが…」
既にマッシュリの王子マシニッサと婚約を交わしたゆえ、願いは叶えられぬと事情を説明した。
シファクスは落胆した。
「左様ですか…よりによって…マシニッサと…」
そう。シファクスのマサエシュリ族とマシニッサのマッシュリ族とは犬猿の間柄であった。北アフリカの草原の覇権を巡って昔から争ってきた。
同じヌミディア人なのに、と思う向きがあるかもしれない。が、『ヌミディア』という言葉は、実はギリシア・ローマ人の呼称に過ぎない。『遊牧民』を意味するギリシア語(ノマデス)・ラテン語(ヌミダエ)に由来している。
つまり、『遊牧民たち』と呼ばれる彼ら自身は、あくまでもマサエシュリ族、マッシュリ族として各々自立している存在なのである。
その一方の王子の、いいようのない色に、ジスコーネは慌てた。
「我が妻が今身篭っておる。もし、それが女子ならば、貴公に嫁がせるであろう」
彼は、未だ胎児の我が子までも出しにして、カルタゴの国益を守ろうとした。
こうして、シファクスも手厚いもてなしを受けて、最後は機嫌よく国に帰って行った。
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