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市民同士(続き)
ファビウスは、出立前の自国の政治状況を思い浮かべていた。
カルタゴとの開戦を望む声が日増しに高まっていた。元老院でも。民会でも。街の至る所で、カルタゴとの戦いが叫ばれていた。
それは、何も国家の大義という美名に基づくものばかりではない。
『貧困から脱出したい』
『新たな土地が欲しい』
これ全て人間の欲望だ。
既に、ローマは大国となっていた。ピュロスの侵略を退けイタリアを統一し、カルタゴを打ち破りシチリア島を得た。結果、ヘレニズム諸国もローマを一等の大国と認め、プトレマイオス王朝とは対等な同盟を結んでいたほど。
だが、欲望とは際限がない。
人々はさらなる領土拡張を望んでいた。
(しかも、これはプレプスに限ったことではない)
ファビウスは、パトリキ階級にも、名誉欲という強烈な欲望があり、これが戦いを招き寄せる一因になっていると思っていた。戦争に勝利した指導者が英雄となる価値観にあっては、世の中が平和であっては困るのだ。
ファビウスは、それを苦々しい思いで見ていた。
(只の名誉欲で戦争をされてはたまらぬ。いつかは足をすくわれるに違いない)
「あるやも知れんな」
ファビウスは呟くように言った。それは一言に過ぎないが、大きな言葉であった。
ジスコーネは大きく頷いた。
「よくぞ正直に仰せくださいました」
「ここにいる私は…一市民だからの」
ファビウスは笑った。
「長老、お訊きしたいのは、ここからです」
ジスコーネは語気を強めた。
「何です」
「長老の力により、その流れを押しとどめることができますか」
ジスコーネは相手の瞳を見詰めた。
それができないのならば、結局は、ハンニバルの戦いにむけた動きを押しとどめることは不可能であろう。
しばしの沈黙の後、ファビウスは
「どうだろう」といった。
「それには手土産がいるな」
「ハンニバルの身柄ですか」
「左様」
ファビウスは即座に頷いた。
「昼の交渉でも申したことだが、これは余の本音でもある。正直、余の和平派は少数。多数の開戦派を抑え込むには、目に見える大きな成果が必要だ」
「それがハンニバルと」
「そう」
「それは呑めませんな」
「なぜ」
「ハンニバルは今やカルタゴの英雄。その引き渡しを求めることはは国賊もの。たとえ議員を説得できても、市民を説得することは不可能です」
ジスコーネは、率直に実情を打ち明けた。
ちなみに、カルタゴの国家機関は、主に、元老院(長老会)、スフェス(行政長官)、そして民会の三つで構成されている。元老院に権能が集まっている点でローマと似ている。民会が開催されるのは、元老院とスフェスの意見が相違した場合に限られた。
元老院はバルカ党が多数を握り、内閣の首班たるスフェスはバルカ党のボミルカル、そして、市民はハンニバルを支持している。即ち、どう転んでも、ハンニバルの引き渡しなど、不可能なことなのである。
「ローマが、あくまでもハンニバルの引き渡しを求めるならば、決裂するよりほかないでしょう」
部屋の空気が張り詰めた。
「…では」
ファビウスがおもむろに口を開いた。
「どうするか、だ。そこが、我らが話し合う意味だし、自由な市民としての智慧の出しどころであろう」
「一つ考えがあります」
「どのような」
「我が党派がハンニバルの身柄の引き渡しを求めます」
「なに」
先ほどできないと言ったばかり。ジスコーネは、それを敢えて提案するという。
「ふむ。何かお考えがありそうであるな」
「はい」
ジスコーネは微笑んだ。
「普通に審議に入ったのでは、元老院は収拾のつかぬ事態となり、大いに揉めた挙句、否決されることでしょう」
「それで」
「こうこうするのです」
二人は、それから夜明け近くまで、額を突き合わせて話し合った。
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