新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

第5章アルプスの章

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 水中から攻め入る(続き)
 その夜。
「音を立てるな」
「声を上げるな」
 ギリシア人傭兵隊のエピギュテスを隊長に、マガルスらボイイ族の兵、そしてマニアケスら合わせて二十人。夜陰に乗じ、タウラシアの城にそっと接近した。
 城壁前の川に着くと、全員服を脱ぎ捨てた。
 この間、幾人かは生唾を呑んだに違いない。
 マニアケスの美しい白肌が、月夜の下に露わになったからだ。
「よそ見していると溺れ死ぬぞ」
 マニアケスの声がした。
 それは、彼女の単純な注意であったのだろう。
 が、皆、なにゆえか怯えたかのように慌てて顔を背けた。魔女メドゥーサを見て石にされてしまう、そう思ったかのように。
 確かに、彼女はそれほどに恐ろしい使い手であった。ちなみに、メドゥーサも、神罰により魔女に落とされる前は、黒髪輝く絶世の美女であったという。
「いくぞ」
 そのマニアケスが、ざぶんと水中に飛び込んだ。続いてエピギュテス、マガルスらが飛び込んだ。彼らは、いずれも泳ぎの達者。
 二十人は、あっという間に、水路の中を城内へと消えていった。



 こちらタウラシア城内、族長の居館。
 ここでは連日宴が繰り広げられていた。今も、戦勝の前祝いとして、部族の有力者が一堂に集まり、浴びるように酒を呑んでいた。
「ふふ、さしものハンニバルも困っておろうのう」
 族長は、ぶどう酒でなみなみ充たされた杯を、うまそうにぐっと干した。
「左様。たかが二万余の軍勢では、この城は俄かに落ちませぬ」
「音を上げて退散するか、和睦を求めてくるに違いありませぬ」
 誰もが自信に満ちていた。
 兵糧乏しく、ガリア人の支援も受けられぬ、だから長期戦に持ち込めばすぐに音を上げるであろう。決して、論理的には間違ってはいない。
 間違っているとすれば、籠城すれば長期戦に持ち込める、そう簡単に思い込んでいる点であろうか。敵は、イベリアの数々の要害を抜いてきたハンニバルなのだ。
「わははは!」「勝利に乾杯!」
 明日の勝利を、ここにいる誰もが信じ切っていた。
 が、事の結末は、彼らの浮かれ切った時に訪れた。



「た、大変です!」
 兵が飛び込んできた。
「どうしたのじゃ」
 族長は杯に悠然と口をつけ訊いた。
「て、敵襲です、敵が!」
 その兵は、よほどに動転していたのか、喘ぎながら急を告げた。
「お前…何を言っているのだ?」
 まだ危機を知覚し得ないのか、族長は、訝しげな顔になって訊き返した。
 その兵は、あまりに鈍い主君の反応に焦れた表情を見せた。
「敵ですっ!敵が攻め込んできたのです!」
「な、なに」
 族長は思わず腰を浮き上がらせていた。
「ばっ、馬鹿を申せ!どこから攻め寄せて来たというのかっ!」
「三方の門より一斉に攻め入って来ました!」
 そう。マニアケスらに水路から城内に潜入させ、内から城門を開けさせたものだ。
 南からマゴーネ率いるカルタゴ騎兵隊、西からマハルバル率いるヌミディア騎兵隊、北からヒッポクラテス率いるギリシア傭兵隊が、城内に雪崩れ込んでいた。


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      ↑
 トリノ(古名タウラシア)の全景です。彼方に見えるのがアルプス山脈です。
 左から流れて来るのがポー川(パドゥス川)、右がドーラ・リパリア川です。ハンニバルの軍勢は、モンテ・ヴィーゾから下って来ましたので、南西(左手)の方角から現れることになります。

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 水中から攻め入る 
 タウラシア(現トリノ)は、パドゥス川(現ポー川)の北西岸、今日のドーラ・リパリア川とパドゥス川の合流地点に位置した。川の流れに囲まれた天然の要害である。
 ハンニバル軍は進撃したが、ついぞ敵とは出会わなかった。ために、やすやすタウラシアに攻め寄せることができた。
「敵の意図はどこにあると思う」
 ハンニバルは、駒を並べるマゴーネに訊いた。
「我が軍の勢いを恐れ、ひとまず籠城して様子を見ようとの肚ではありますまいか」
 マゴーネは、常勝バルカ家の一員として、自軍の強さに強烈な自負を持っている。だから、そんな見方に傾いたものであろう。
「ふーむ」
 ハンニバルは頷かなかった。
「これ、そなたはどう思う」
 と、彼の馬の手綱を引く兵に訊いた。
「わたくしは従者に過ぎませぬゆえ」
 兵は身をかがめ、ぼそと無愛想に答えた。
 ハンニバルは苦笑した。
「私にまで正体を偽る必要はあるまい、マニアケス」
「やれやれ…」
 その兵は無遠慮に嘆息した。
「またまた看破されてしまいましたか…」
 振り向いたのは、美しき密偵マニアケス。彼女は微笑していた。が、その笑みは、研がれた刃の如く透き通っていた。



「で、そなたの意見はどうなのだ」
「はい、わたくしの見立てでは…」
 マニアケスは手綱を取りながら意見を述べ始めた。
「我らを病と飢餓に苦しむ弱兵と侮り、籠城を決め込んだものでしょう。決して怯えて立て籠っている訳ではありませぬ。我らが弱り切ったところを不意に打って出て潰滅させてしまおうとの肝太い肚かと」
「ふむ」
 ハンニバルは頷いた。
 事実、そうであった。天下の強兵として凛々たるハンニバル軍も、アルプスを越えたばかりのその惨憺たる有様は、幽鬼の群れと映ったに違いなかった。
 武勇誇るガリア人からすれば、取るに足らない軍団と見えたことは想像に難くない。



「ここで時を費やす訳にはいかん。兵の消耗も避けたい。何か良い手はないか」
 まともに城攻めすれば、人的被害が大きくなり過ぎる。ローマと戦う前に、兵を失っては話にならない。
「一つ手があります。ご覧ください」
 マニアケスは指差した。
「あれは…水路か」
「はい。何分、四方を川に取り囲まれておりますれば、何本もの水路が城内を通っております。そして、ここの水路は大きゅうございます」
「…なるほど」
 ハンニバルの目が光った。
「そなた…抜け目がないな」
「閣下の御旨は速戦即決。ならば、城内にいかに潜入するか、それを考えぬ訳にはまいりませぬ」
 マニアケスは笑った。



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 驕れる者に鉄槌を(さらに続き)
 二人のやり取りを解せぬハンノンは、マガルスの剣幕に唖然としていた。
「お、おい、マガルス殿、どうなされたのだ」
「ハンノン殿、長居は無用。帰りましょうぞ」
「されど…返事をまだ…」
「訊くまでもありませぬ」
「相手は何と言ったのだ」
「ありのまま申せばハンノン殿は面目を失いますぞ。帰陣の途中に教えます」
 そういうや、マガルスは踵を返した。
 恐らく、彼も、このまま耐え得るか否か自信がなかったに違いない。
「おい!マガルス殿!」
 通訳がいなくてはどうしようもない。ハンノンは、マガルスの後を追いかけた。



 ハンノンは帰陣すると、ハンニバルに一切を報告していた。
 彼も今は顔を真っ赤にしていた。
 途中で、マガルスから全てを聞いたからだ。
「不遜なるタウリニ族。目に物見せてやらねば」
 が、ハンニバルは別に顔色を変えるでもない。
「そうか…」
 とだけいった。が、苦い色が顔に広がっていた。



 ガリア人の心の移ろいやすさが、これほど身に沁みたことはなかったろう。
 来援を求める折には、あれほど平身低頭辞を低くしておいて、今、現実に彼がやって来た時には、この扱いだ。
(我らの有様を見て侮っておるのだ…)
 これを放置すれば、イタリアのガリア人は、ハンニバルの足元を見て、結局味方に従えるどころか、敵に回る恐れすらあった。
(ここは我が軍の強さを見せねばならぬ)
 彼は、奥歯をぐっと噛み締めると、すっくと立ち上がった。
「驕れる者には鉄槌を下すのみ!全軍、タウラシアに進撃!」
「おおっ!」
 ハンニバル軍は、パドゥス川沿いを進み、タウリニ族領内深くに進攻を開始した。



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 驕れる者に鉄槌を(続き)
「して、我らに兵糧を補給して欲しいとか」
「左様にございます。タウリニ族にとってもローマは不倶戴天の仇敵。我らは、そのローマと戦うためにやって来たもの。我らは貴方がたの友邦にございます」
「ゆえに兵糧をと」
 族長は執拗に念を押した。
 物腰柔らかながら、それは優位にある者が、時折見せる慇懃無礼そのものであった。
(ちっ、蛮族めが…)
紅顔の将ハンノンは、不快に端正な眉を一瞬曇らせた。が、ハンニバルから念を強く押されている。
『くれぐれも傲岸な態度を取らぬよう』
だから、不快の色をすぐさま彼本来の爽やかな笑みの下に隠し、続けた。
「左様にございます。…して、ご返事は」
「そうでござるなあ」
 族長は勿体をつけた。
 そして、散々焦らせた末の言葉は、傲慢を露骨にしていた。
「総司令官ハンニバル殿が、このタウラシアに足を運びになり、我が町の守護神にガリア人への誠実を誓うならば、承引しても宜しゅうござる」



 その言葉にマガルスが驚いた。
 あたかも臣従を求める如きものだったからだ。
「おい…それをそのまま訳してよいのか」
「構わぬ。遠慮するな。カルタゴの犬よ」
 族長はニヤとした。
「な、なにおっ」
「そんなみすぼらしき将を上に戴くとは…貴様、どうかしているぞ」
 族長はついに本性をあからさまにし、せせら笑った。
「き、貴様!」
 マガルスは、一つボイイ族のためだけでなく、イタリアに住む全ガリア民族の未来を切り開くため、千里の道を越え、苦難に耐え、ハンニバルとの協力に苦心してきた。
 その彼の辛苦に、同じ民族の頭領は嘲笑で報いたのだ。



「おのれ…」
 激昂し剣の柄に手をかけたが、ぐっと思いとどまった。
(ハンノン殿を守り、この事を総司令に報告せねば)
 それを考えたからだ。
 が、ふーふーと熱い息を吐き、体をぶるぶる震わせた。
 ガリア人は元来血気盛ん。憤る心を宥めるのにかなりの努力を要するのだ。

 

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※ハンニバルのアルプス越えのルートの諸説です。GNUフリードキュメントライセンスに基づいて掲載しています。
※この物語では、『島』の位置、『裸岩』(シャトークイラ)の所在、峠の手前の平地の所在から、イゼール川(Isere)を遡り、ドラック川(Drac)に分け入り、デュランス川(Durance)に至り、ギル川(Guil)に誘い込まれ、トラヴェルセッテ峠(Traversette)を越えるルートを念頭に置いています。

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 驕れる者に鉄槌を
 イタリアの地に入ったハンニバル軍は、アルプスの麓で数日、体を休めた。その間、付近から調達した兵糧で腹をいくばくか満たし、英気を養うことに努めた。
 兵の顔色は随分とよくなった。
 とはいえ、満腹とまではいかなかった。二万六千の兵の腹を一杯にしようとすれば、烈しい略奪を伴うが、ここはハンニバルにとって大事な土地。対ローマ戦の後背地であり、同盟相手のガリア人の住む土地に近い。むやみに乱暴はふるえない。
「今しばらく我慢せよ。同盟国から兵糧を調達するであろうから」
 ハンニバルは味方をなだめ、進軍を再開すると、パドゥス川(現ポー川)沿いを北へ下り、やがてタウリニ族の土地に入った。
 彼は、そこで軍勢を止め、ボミルカルの子ハンノンを呼んで命じた。
「そなた、マガルスと共にタウラシア(現トリノ)に向かい、タウリニ族長に兵糧の支援願いたいと申し伝えよ」
「かしこまりした。早速に」
「よいか。我らは、あくまでもローマと戦うためやってきたもの。貴国に迷惑をかけるつもりはない、否、貴国の友人である、そのことをよく伝えるのだ」
 総司令官は念を押した。イタリアにあるガリア人を味方につけねば、ローマと戦うことは不可能だからだ。間違っても傲慢な色を見せる訳にはいかない。
「よく心得ております」
 ハンノンは胸を叩いて見せ、出ていった。


 ここタウラシア。ガリア人部族の一つタウリニ族の主邑である。
「ほう。カルタゴのハンニバルが我らに援助を求めていると?」
「はい。アルプス越えで兵糧尽きたゆえ食糧を分けて頂きたいとの申し入れです」
「ふーむ」
 族長は考え込んだ。
(確かにローマの増長は許し難い…)
 ローマの勢力は、この頃、日に日に迫っていた。植民都市プラケンティア、クレモナを建設し、次第にパドゥス川上流域へと伸ばしていた。ローマの当面の目標が、パドゥス川流域の制圧にあることは明らかであった。
(といって、ハンニバルに味方してよいものだろうか)
 ハンニバルは、ローマの最も警戒する敵となっている。それに味方することは、ローマに正面切って敵対することになる。もし、ハンニバルが敗れれば、戦後、この地から追われることとなってしまう。
「とにかく、使者と会うてみるとするか」
 族長は別室に向かった。



「おう、そなたも来ていたか」
 族長はマガルスを見てそう言った。部族は異なれど同じガリア人。
「お久しゅうござる。今日は、御使者の通訳として参りました」
「…そうか」
「カルタゴ軍の使者ハンノンにござる」
「これはこれは」
 挨拶した族長だったが、途端に、その顔に明らかな憫笑が浮かんだ。それは、使者ハンノンの服装があまりに傷んでいたからだ。
(アルプスを越えただけで、こんなに弱り切っているのか…)
 確かに、彼らアルプスの麓に住むガリア人からすれば、アルプスを越えるなど大したことではなかったろう。イサラス川(イゼール川)沿いをまっすぐ進めば、アルプスとて、さしたる難路ではないからだ。
(こんな連中に味方してローマと戦うなど危険だぞ)
 族長は、カルタゴに期待する熱が、急速に冷めていくのを覚えた。
 が、ハンニバルたちは、略奪の欲望に駆られたガリア人の無数の襲撃に苦しめられ、それに耐えてアルプスを越え、このイタリアの地に入ったのだ。
 だから、ハンノンの身なりがみすぼらしかったのも当然なのだが、族長はそこまで思い至らなかった。


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