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トラヴェルセッテ峠を下ったところのクリッソーロという集落です。イタリア領です。
流れる川は、ポー川(パドゥス川)の源流となります。
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アルプス越え−道を切り開く
ハンニバルは将兵を集めた。
岩の角に上がって見渡すと、案の定、どれも暗い顔ばかり。
「諸君!よくここまで耐えてくれた!が、それもあと僅かである!」
総司令官の言葉にも、反応を示す者は少なかった。絶望的な戦いの連続、それに追い討ちかける飢餓に、すっかり精気を奪われていたのだ。
「諸君、あちらを見たまえ!」
ハンニバルは、背後の、峠の彼方を指差した。
そこには、麓への下り道を望むことができたが、あいにく薄く雲がかかっていた。
晴れていれば、パドゥス川(ポー川)流域、北イタリアの平野が一望できる筈であった。
「あの雲の先こそイタリアの地である。我らの目指す土地である」
その言葉に、兵らは我に返ったかのように、目をそちらに向けた。
「おお」「あそこが…」
そう。そこを目指しての苦難であった。が、何故そこを目指すのか、それを思い起こすこと自体疲弊しきった頭脳には億劫なことであった。
「諸君!もうすぐなのだ!麓にあるのは我らの同盟国!道先案内を務めてくれたマガルスの故郷!我らの味方の土地である!」
ハンニバルは語気を強めた。
「これまでの苦難を乗り越えた我らに立ち向かえる敵は、あの土地にはいない!我らはイタリアの主となる!諸君はローマ人の財宝と土地を手に入れるのだ!」
やはり、人間が元気になるのは、欲望が充たされる時、それが叶えられると思う瞬間だ。兵らの目に生気が甦って来た。
「そうだった」
「我らは豊かな土地を手に入れるのだ」
「この苦しみはそれを購うための代償」
兵は囁き合った。
ハンニバルは、ようやく息をついた。絶望の下にある人々に希望を与えるのは骨の折れる仕事であった。
「さあ!諸君!元気を出して峠を下るのだ!胸を張り正々堂々の軍勢がやってきたことを同盟国の人々に知らせるのだ!そして、敵を畏怖せしめるのだ!」
「おおお!」
兵は歓声を上げた。
ハンニバルは、苦心の演説により、なんとか兵の士気を取り戻した。
アルプスの頂に立ったハンニバルであったが、苦難はこれで終わりではなかった。
先に、イタリア側のアルプスは麓までの行程が短いといった。それすなわち勾配が急であるということ。また、登山において注意すべきは下山のときとされる。このアルプスにおいても、下山する彼らを、最大の難所が待ち構えていた。
ハンニバル軍は行軍を再開した。
モンテ・ヴィーゾ山の脇のトラヴェルセッテ峠を越え、崖と川の道を、ゆっくりと下った。というのも、辺り一面には早くも雪が積もり、足を滑らせてしまえば、あっという間に崖下へ転落してしまうからだ。
ハンニバル軍は、一歩一歩足場を確認しながら、慎重に歩みを進めた。
「あっ」
先頭を進むマガルスが叫んだ。
すると、崖崩れがあったものであろう。山道が土砂や岩石に埋もれていた。彼方には巨岩が地面に刺さり、向こうが見通せなかった。
「総司令、これでは進めませぬ」
「ならば、迂回できる道を探れ」
「はっ」
マガルスは、手の者に命じ、二手に分け間道を探らせた。
その間、ハンニバル軍は、寒風の中、立ち往生のほかなかった。凍えぬよう身を縮め、体を寄せ合った。
そして、随分時が経ち、しびれが切れそうになる頃、マガルスの手の者は全身雪と泥だらけになって戻って来た。彼らも必死に探索していたものであろう。
「どうであった」
ハンニバルが早速に訊いた。
「駄目です。雪深く積もり、とても軍勢を進めることはできませぬ」
「そちらはどうであった」
「無理です。道は全て凍てつき、足を踏みしめることもできませぬ」
ついに恐れていた事態が生じたといえよう。冬の到来により、早、道が閉ざされ始めていたのだ。ここで足止めを喰らえば、兵糧もないこと。全滅してしまうしかない。
「むうう」
ハンニバルは追い詰められた猛獣の如く唸った。
(進みも引くもならぬ…どうすればよい)
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