新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

第7章地中海の章

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 やむにやまれず(続き)
「馬鹿なっ!」
 プブリウス、瞳を大きく見開き、思わず声を荒げ、テレクレスに詰め寄った。
「そんな支離滅裂な話があるかっ!」
「俺じゃあない!」
 テレクレス、怒鳴り返した。
「滅裂なのはヒッポクラテス一派の連中だ!あの阿呆どもは、先生がいなくなったのを知って逆上し、市民に刃を突きつけているのだ!」



 船内は騒然となった。
「こうなればやむを得ん。先生にヒッポクラテス一味と話をつけてもらおう」
「そうだ。子どもたちの命には代えられん」
 学生には子持ちも多い。人情として当然の意見であった。
 が、プブリウスとラエリウスは、これに強硬に反対した。
「それこそ敵の思う壷」
「そうだ。奴らは先生を取り込もうとしているだけだ」
 だが、学生も引き下がらない。
「では、子たちを見捨てよというか」
「無慈悲な!」
 これに対し、プブリウスらは、冷静に事態を見るよう訴えた。
「それは違う」
「安易に脅しに屈してはならぬ」
 だが、子どもの命が天秤の片方に乗っているとあって、容易に結論は得られなかった。



 アルキメデスが、卒然立ち上がった。
「先生、どうなされました?」
 テレクレスが訊いた。
「セイレーンが呼んでいる…」
「え?」
「呼んでいる。聞こえるのだ」
 アルキメデス、遠くを見詰める表情になった。
「セイレーンの奏でるサンブカが、この耳に聞こえる」
「先生…」
 我が師の、常とあまりの違いに、テレクレスは唖然とした。



「先生!なりませぬ!」
 プブリウス、顔を真っ赤にしていた。
「これは、そのマニアケスの策略。のこのこ出向けば罠にはまるだけ!」
「よい」
 アルキメデスは微笑した。
「これもわしの運命なのであろう。セイレーンの許に参るとしよう」
「先生!」
「プブリウス君。骨折り感謝する。君のローマとは敵対することになってしまうのであろうが…。わしは君の誠実を決して忘れぬ」
「先生!」
「行かねばならぬ。セイレーンの許に。さもなくば、無実の子たちが、セイレーンの牙にかかろうでな」
 アルキメデス、そういうと船を出て桟橋に降り立った。


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−これまでのあらすじ−
 アルプスを越えイタリアに攻め込んだハンニバルは、カンネーの地でローマ軍を包囲撃滅。カンパニアの大半を勢力下に収めると(紀元前216年春)、ローマ最大の同盟国シラクサを味方に付けることに成功(紀元前215年初頭)。
 が、そのシラクサでは新君ヒエロニュモスが暗殺され(紀元前214年)、親ローマ派政府が樹立される。ハンニバルから派遣されたヒッポクラテス、エピキュデス兄弟と、親ローマ派政府との対立が激化。
 ヒッポクラテス兄弟は、傭兵を味方につけシラクサ本市に攻め込みローマ派政府を打倒。ついに政権奪取を果たす。
 プブリウスとラエリウスは、ハンニバル派政権にアルキメデスが取り込まれることを防ぐべく、シラクサに潜入。だが、そのアルキメデスに不穏な影が忍び寄る。


 やむにやまれず 
 年が明けて紀元前213年。
「先生、さあ、こちらへ」
 テレクレスとプブリウスたちは、アルキメデスの手を引かんばかりにして、港の桟橋を先に進んでいた。
 アルキメデスは、なにぶん著名人であるので、頭巾をかぶってもらっていた。
 いや、警戒するのは市民の目だけではない。ヒッポクラテス一派の手が伸びていることが察知されたからであった。



「セイレーンがやって来た」
 アルキメデスがいうことを、はじめ、何のことか皆目分からなかったが、ラエリウスがその正体を看破した。
「そやつは、ハンニバル秘蔵の密偵マニアケスに相違ありませんぞ」
 すわとなった。
 彼女が迫っているとなると、一刻の猶予もならない。
 すぐさま船の手配をし、プブリウスたちとその従者、さらにテレクレスら学生たちと力あわせ、書物の山を、夜を徹して運び込んだのであった。



 アルキメデスを船の中に導き得ると、プブリウスは、ほっと一息ついた。
「よし。すぐに帆を上げるのだ。テレクレスが来たらすぐに艫綱をほどき出航だ」
 プブリウスは命じた。
 そのテレクレスは、様子を窺いにアクラディナ地区に出ていた。
「ヒッポクラテス一派の動きを確かめて来る」といって走っていったものであった。
「ちっ、遅いな。何をしているのか」
 プブリウス、しきりに船内から街の方を望んだ。
 風向きも気にかかる。南風に乗り、一気に北上したいと思っていたのだ。



 その時であった。
 市街の方から、そのテレクレスが駆け戻って来た。
 血相を変えていた。
「先生!た、大変です!」
 船内に飛び込むなり叫んだ。
 沈着な彼が、狼狽しきっている。
「どうしたのだ」
 プブリウスが訊いた。
「町中の少年少女がアゴラに集められている」
「何があったのだ」
「それが…」
 ちらとアルキメデスの方を見て、躊躇した。



「どうした?早くその先を言え」
 一刻も早く出航したいプブリウス、先を急かした。
「ヒッポクラテスは子どもたちにこう申したそうな。アルキメデス先生はお前たちを見捨てた。だから、お前たちを神への生け贄として捧げると…」
 すなわち、ヒッポクラテスは、兵に命じて大きな穴を掘らせ、子どもたちを生き埋めにして神への犠牲にしようとしている、と。そのため子の親たちは、狂わんばかりに悲泣の叫びを上げているという。


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−これまでのあらすじ−
 アルプスを越えイタリアに攻め込んだハンニバルは、カンネーの地でローマ軍を包囲撃滅。カンパニアの大半を勢力下に収めると(紀元前216年春)、ローマ最大の同盟国シラクサを味方に付けることに成功(紀元前215年初頭)。
 が、そのシラクサでは新君ヒエロニュモスが暗殺され(紀元前214年)、親ローマ派政府が樹立される。ハンニバルから派遣されたヒッポクラテス、エピキュデス兄弟と、親ローマ派政府との対立が激化。
 ヒッポクラテス兄弟は、傭兵を味方につけシラクサ本市に攻め込みローマ派政府を打倒。ついに政権奪取を果たす。
 プブリウスとラエリウスは、ハンニバル派政権にアルキメデスが取り込まれることを防ぐべく、シラクサに潜入。だが、そのアルキメデスに不穏な影が忍び寄る。


 セイレーン(さらに続き)
「もうよい、セイレーンよ」
 アルキメデス、粘る相手を突き放すように言った。
「いかに説いても、わしが味方になることはない。そのようにヒッポクラテス…否、ハンニバルに伝えよ」



「先生」
 マニアケス、さらにずいと身を進めた。
「先生がローマ方に付けば、このシラクサは灰燼に帰すことになりますぞ」
 語気をぐっと強めた。
「今度は脅しか」
 アルキメデス、白髪の中の瞳を、僅かに細めた。
「いいえ」
 妖気漂うセイレーン、再び首を横に振った。
「我ら三人、この地をローマに明け渡すくらいならば、この街を炎と化すことに何のためらいもありませぬ。そのことを伝えるため、ハンニバルの麾下であると、最前、正体を明かしたのでございます」
「ふーむ」
「我ら、勝利の目的のためには、先にローマ一派を悉く粛清いたしました。そのことからも、我らの言葉が、単なる脅しでないことをご理解いただけるものと存じます」



「わしが手助けすれば…そういうことはしない、そういうことか」
「はい」
 マニアケス、こくりと頷いた。
「先生がお味方くだされば、ローマ軍など城壁に近寄ることも叶いますまい。シラクサの統治についても、先生の意見をないがしろにするものではありませぬ。シラクサは永く安泰となりましょう」



 それきり、二人の間には、沈黙が広がった。
 しばらくして、アルキメデスが口を開いた。
「セイレーンよ」
「はい」
「そなたの話は分かった」
「それでは」
 彼女は目を輝かせた。
 アルキメデスは手を上げて遮った。
「…だが、今、わしは大変眠い。思考巡らすことすら億劫。また、明日の夜、飛んで来るがよい。またそなたの歌を聞くでの」
 まるで、愛玩する小鳥に言い聞かせるかのように、彼は囁いた。
 マニアケス、静かに頷くと、テラスの外へふわと飛翔した。白い衣翻すその姿は、まさに、夜空に羽ばたく鳥のようであった。

イメージ 1

↑セイレーンです。船乗りを誘惑し遭難させるという言い伝えがあったようです。上記は1900年ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス作『セイレン』です。

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 セイレーン(続き)
 そこにいたのは、セイレーンもかくやと思わせる、美貌のマニアケス。
 彼女は片膝付き、跪いた。
「先生にお会いするため参りました」
「世捨て人のわしに…一体何の用だ」
「シラクサの大地を守るため、です」
「なに」
「先生」
 彼女は魅惑的な瞳で、顔を近づけてきた。
 不思議な香りがする。
 アルキメデス、頭がくらとした。
(香木を焚きしめたものか…いや、何かの薬やも知れぬ…)



「この時勢にあって、世捨て人を装うことは、もはや許されませぬ」
 セイレーン、いや、マニアケスは、そんなことを言った。
「ふーむ。汝はどちらの人間だ」
「私は、ハンニバルの配下です」
「即ち、ヒッポクラテスの方か」
 問いかけに、マニアケスは首を横に振る。
「彼らも、その実はハンニバル麾下の部将。私たちは、あくまでもハンニバルのために戦っているのでございます」
 包み隠さず答えていく。確かに、そうでなければこの巨人の心を掴むことはできないであろう。心の曇りなど、すぐに看破されるに違いなかった。



「…で、わしにどうせよと申す」
 アルキメデス、セイレーンの誘惑にも、表情一つ変えない。
「先生のお力を、我がハンニバルに貸し与えてほしいのです」
「無理だのう」
「なにゆえ?」
「わしは武将ではない。軍に従事したことすら只の一度もない、齢七十を越えた老人。役に立つことがあろうとは思えぬ」



「先生」
 彼女は再び笑みを浮かべた。
「そのような言葉、無知なる大衆なら丸め込まれるやも知れませぬ。でも、私の目は誤摩化されません。先生は、あのヒエロン公の求めに応じ秘密兵器を製作なされております」
「あれはヒエロン殿に無理に作らされたもの。小道具に過ぎぬ」
「小道具とは御謙遜。まこと精緻なものと拝察仕りました。君主の想いに応える気概なくば、あのような物を作り上げることはできませぬ。まさに国家を想う人間のなす業」
 マニアケス、言葉を極めて絶賛した。



「ふふ、随分と買ってくれることだが…」
 アルキメデス、鷹揚に含み笑いした。
「わしに軍才などない。役に立たぬことには違いない」
 枯れ木を放り捨てるが如き口調で、己を評した。
「…でも」
 マニアケス、しぶとく食い下がる。
「あの秘密の兵器を動かすことはできるのでしょう。ならば、一軍に匹敵する力ありといえましょう」

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 ※アルキメデスの彫像です。ベルリンのアルヒェンホルト天文台にあります。ゲルハルト・ゲルダ作。GNU Free Documentationのライセンスに基づいて掲載しています。


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 セイレーン 
「…そうか。レオンティニへ逃げよと申すか」
 アルキメデスは、鑞板上を走らせていた木筆を止めた。
「このままでは、先生の身に危険が及ぶことは必定。学問に必要なものは、船にて全て運び出しますゆえ、ここはひとまず城外の安全な場所へ」
 テレクレスが説得に当たっていた。
「ふうむ…そうか」
 愛弟子の顔を見詰めていたが、一言、こう述べただけであった。
「ならば、良いように計ってくれたまえ」
「は。それでは直ちに」
 テレクレスは駆け去った。



 アルキメデス、鑞板を脇に置いた。
「ここも世の外ではなくなった…か」
 ぽつんと呟いた。
 と、その時。
 無人の筈のテラスの方から、音曲が朗々流れてきた。
「む。誰かいるのか?」
 アルキメデス、立ち上がり、ふらと外に出た。
 すると、純白の薄衣をまとう一人の女が、テラスの手すりに腰掛け、サンブカを弾いている。



「恋しい貴方よ、いまいずこへ」
「アポロン神は、黙して語らず」
「神の御手の許、神の地に隠れ」
「人知超ゆ業に、日々励むとか」
 その歌は、恋人が、遥かなる志を抱き、学究の旅に出たことを示唆していた。
「女神アテナよ、聞いておくれ」
「女神ヘーラよ、慈み与えてよ」
「我が手の内へ、返しておくれ」
「愛で給う勿れ、才惜しむ勿れ」
「人と人の愛が、世に咲く事を」
「愛の魂こそが、この世の真よ」
 その旋律は、恋と愛を高らかに謳う情感溢れるものであったが、同時に、人間の悲哀も悲しく響いてくるものであった。



 アルキメデス、いつの間にか聞き惚れていた。
 曲が止んだ。
「そなた…セイレーンか」
 セイレーンとは、半人半鳥の美貌の怪物で、その美声で船乗りを誘惑し遭難せしめるという伝説があった。彼がそんなことを口にしたのは、いつの間にか、歌声に誘われている自分を自覚したからであろう。
「いえ」
 その女は微笑んだ。
 その時。月光が、周囲の闇を一斉に照らし出した。

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