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−これまでのあらすじ−
アルプスを越えイタリアに攻め込んだハンニバルは、カンネーの地でローマ軍を包囲撃滅。カンパニアの大半を勢力下に収めると(紀元前216年春)、ローマ最大の同盟国シラクサを味方に付けることに成功(紀元前215年初頭)。
が、そのシラクサでは新君ヒエロニュモスが暗殺され(紀元前214年)、親ローマ派政府が樹立される。ハンニバルから派遣されたヒッポクラテス、エピキュデス兄弟と、親ローマ派政府との対立が激化。
マルケルス率いるローマ軍のシチリア島上陸に伴い情勢はさらに緊迫。ヒッポクラテス兄弟は、傭兵を味方につけシラクサ本市に攻め込みローマ派政府を打倒。ついに政権奪取を果たす。
プブリウスとラエリウスは、ハンニバル派政権にアルキメデスが取り込まれることを防ぐべく、シラクサに潜入する。
色町(続き)
やがて、とある娼館の門をくぐり、テレクレス、すたすた入っていく。
「さあ入れ。遠慮する必要などないぞ」
「入るとも。お前の家じゃあるまいし」
「我が家も同然。この気楽さ。故郷に帰った心地ぞ」
「やれやれ…見直したよ」
「そうであろうが」
「褒めているのではないぞ」
「なんだ。つまらん」
同窓の二人が他愛ない会話をしていると、女が飛んで来た。
「テレクレス様、お帰りなさいませ」
「おお、アスパシア、今帰ったぞ!」
二人は、プブリウスらの目も構わず、ひしと抱きあった。
「アスパシア?」
プブリウス、つい失笑を浮かべた。
この時代、ヘタイラ(娼婦)の名前にアスパシアと付けることが流行っていた。日本の小野小町、中国の楊貴妃などと同じで、いわば美女の代名詞になっていた訳だ。
実在の二人のアスパシアが元になっている。
一人はアテネのヘタイラ、アスパシア。美貌だけでなく教養ずば抜けており、時の大政治家ペリクレスの妻に納まったほどの女性である。あの哲学者ソクラテスも、若い頃、随分といれ込んだとの記録がある。
もう一人はフォカイアのアスパシア。こちらは、ペルシア王子に見初められ、後にペルシア王妃に登り詰めたことで著名であった。物語の第一部で登場した。
「アスパシアとは、ちと器量不足ではあるまいか」
思わず、ラエリウス、本音が口について出た。
「なに、この人。失礼しちゃうわね」
女は口を尖らせた。
どう見ても、二人のアスパシアほどの美貌も教養も持ち合わせているようには見えない。
「こらこら、この女を怒らせるなよ」
テレクレス、慌てて口を挟んだ。
おそらく、生活の糧を、この女の稼ぎに頼っているものであろう。
「だって…お前、フォカイアの出ではないか」
プブリウス、手で口を押さえ、吹き出しそうになるのを必死に堪えていた。
同郷でその美貌を伝え聞いている筈の男が、さして器量よしでもない女を『アスパシア』と呼んで愛しているのが、何とも滑稽であったのだ。
「名付けたのは俺だ。俺にとっては、この女こそがアスパシアなのだ」
「どういうことだ」
含み笑いを堪えつつ訊いた。
「女性の美とは、何も姿顔立ちで決まるものではない。要は気立て。心のありようで決まるのだ。そうであろうが。徳こそ人の美の基。そう学んだろう、アカデメイアで」
テレクレス、大まじめに言い返す。
要は気遣いが行き届き、側にいて安心な女なのだということ、それが彼にとっては至高の美徳をまとう女性なのだと。
「理屈はそうかもしれないけど…」
だが、プブリウスとラエリウスも、すぐに納得することになる。
そのアスパシアは、彼らのために、冷水を運んで来たり、手ぬぐいを持って来たり、まことにかいがいしい。食事もすぐに運んで来た。
そして、四方山話もするのだが、決してうるさからず、されど暗からず。ほどよい明るさで場を和ますことも忘れない。
「なるほど…これは『アスパシア』かもしれんな」
プブリウスはやや感心して頷いた。
「どうだ、得心したであろう」
テレクレスは自慢げに言った。
「うむ。世の男どもは反省せねばならんな。…だがな」
「だが、何なのだ?」
「蓼食う虫も好き好きとはよくいったものぞ」
「こいつめ!」
テレクレスは拳を振り上げた。
それから三人は、シラクサのアスパシアも交えて、夜ふけるまで歓談を交わしていた。
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