新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

第7章地中海の章

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 脱出の算段(続き)
「どうであろう」
 プブリウスは提案した。
「ヒッポクラテス一味が強硬な手に打って出ぬとも限らぬ。先生には、しばらく身を隠してもらうことにしては」
「どこに身を隠せというか?」
「レオンティニだ」
 そこは既にローマ軍の勢力下。そこに連れて行こうというのだ。
「なに」
 テレクレスの血相が変わった。
「いや」
 プブリウス、間髪容れず、言葉を続けた。
「何も我が軍の味方をせよというのではない。あくまでも、先生の身柄を保護したい、その一念だ。今ならば、夜陰に乗じて逃げ出すこともできよう。だが、マルケルス殿が大軍率いて押し寄せてからでは、それも難しい。そうなれば、先生はヒッポクラテス一味に加担せざるを得なくなる」



「無理だ」
 テレクレスは断じた。
「先生が、この学園を動くことはない」
「なぜだ?このままでは先生の身に危険が迫ることもあるのだぞ」
「そういうことをいうから、どこぞの武人とすぐ看破されるのだ」
 テレクレスは苦笑した。
「どういうことだ?」
「学者が最も大事にするもの。それはこれまで得て来た知見。それを支えるのが書物だ。その大切な書が、ここに全て所蔵されている。それを捨て逃げるなどできる訳ない」
「しかし…死んでは書など意味がないではないか」
「それは違う。無為に生きる方が意味のないこと」
 ここに決定的な人生観の違いが露になった。
 学究に生きるギリシア人と、名誉に生きるローマ人の違いともいえようか。



「…分かったよ」
 プブリウスは思い切った。
「ならば、その書物も運び出そうよ」
「本気か。一人や二人では無理だぞ」
 テレクレスは手を振った。
「それしかないのであろう。私が命じられたのは先生が敵の手に落ちぬよう計ること。書物を運び出すことで先生が城の外へ避難してくださるならば、そうせぬ訳にいくまい」
 そして、半ば脅すようにこう申し向けた。
「お前とて、無理だ無理だというばかりでは能があるまい。血に飢えた兵どもに刃を突きつけられてから後悔しても遅いのだぞ」
「ふーむ」
 考え込んでいたテレクレスであったが、
「…分かった。先生に勧めてみよう」といった。
 それから三人は、額を寄せ合って、段取りを詰めた。


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−これまでのあらすじ−
 アルプスを越えイタリアに攻め込んだハンニバルは、カンネーの地でローマ軍を包囲撃滅。カンパニアの大半を勢力下に収めると(紀元前216年春)、ローマ最大の同盟国シラクサを味方に付けることに成功(紀元前215年初頭)。
 が、そのシラクサでは新君ヒエロニュモスが暗殺され(紀元前214年)、親ローマ派政府が樹立される。ハンニバルから派遣されたヒッポクラテス、エピキュデス兄弟と、親ローマ派政府との対立が激化。
 マルケルス率いるローマ軍のシチリア島上陸に伴い情勢はさらに緊迫。ヒッポクラテス兄弟は、傭兵を味方につけシラクサ本市に攻め込みローマ派政府を打倒。ついに政権奪取を果たす。
 プブリウスとラエリウスは、ハンニバル派政権にアルキメデスが取り込まれることを防ぐべく、シラクサに潜入する。


 脱出の算段 
 数日後。
 エピキュデスは、白馬に跨がり、多くの兵を従え、アルキメデスの学園に赴いた。
 その仰々しさに、日頃、俗世間と隔絶してある学生たちは、うろたえ立ち騒いだ。
 エピキュデス直々恭しく申し入れた。
「我は、シラクサ政府の政務官エピキュデス。アルキメデス先生と面会いたしたい。宜しく取り次がれよ」
 門番の書生は仰天して、奥に走っていった。



 出て来たのはテレクレス。
 彼はこう述べた。
「先生は、お会いできぬ、と申されております」
「なにゆえか?」
 エピキュデス、眉間に皺を寄せた。
 何分、激しい闘争を経て来たばかり。感情の炎が発火しやすい。
「は。この書き付けを御覧頂くように、と」
 テレクレスは紙をエピキュデスに渡した。そこにはこう書かれてあった。
『このアルキメデス、天性の野人にて、学問の外、何ものにも関心なく、従って、貴卿らの役に立つことなど何もなし。ゆえに、お会いするのは時を空しくするのみで、無用のことと存ずる』
 それは取りつく島もなく、なんともつれないものであった。



「…ふーむ。このような書き付けをもらって、すごすご帰る訳にもいかぬ」
「とは申されても、先生はこうと決められると、てこでも動くことではありませぬ。なにとぞお引き取りを」
 テレクレス、なかなか度胸が据わっている。
 エピキュデスの色は険悪なものになったが、その彼の袖を引くものがあった。衛兵であろうか、女のような美貌の者が、彼の耳許に何事かを囁いた。
 すると、俄に、温厚な笑みを見せてこう言った。
「分かりました。今日はこれで引き揚げることとしましょう。…ですが、決して諦めた訳ではありませぬ。先生にそのようにお伝えを」
 恭しく挨拶すると、再び馬上の人となって、颯爽立ち去っていった。
 なにゆえか、手綱を引く衛兵が、振り返り、こちらをじっと見遣っていた。



「なんだ。あいつ…気味悪いな」
 テレクレスは呟いた。あいつというのは、馬上のエピキュデスと、その衛兵のことだ。
 彼の背後から、二人の学生が現れた。
「やはり来たな」
 プブリウスとラエリウスの二人である。
「君の予測通りだな。…でも心配するな。先生は耳を貸す風でもなかった」
「…でも」
 ラエリウスが口を挟んだ。
「素直に帰っていったのは何だか薄気味悪いですな」
「ああ。妙に諦めが良い。時間はない筈なのに、な」
 プブリウスが頷いた。
 そう。マルケルスの大軍が、いつシラクサ攻めを開始してもおかしくない時である。


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 すぐそばでの企み(続き)
「もう一つ手を打たねばならぬ」
 マニアケスが言った。
 彼女は、己の気配を紛らせるため、用心深くサンブカを弾き始めた。
「何か不足があるか?」
 エピキュデスが訊いた。
「先日、オルテギュアを占領したおり、武器庫の中を調べてみた」
「ほう。何かあったか」
「実に不思議なものがあった」
「何だ?」
「投石兵器らしいものが一つ…あとは見たこともないものばかり。それが、きちんと整頓され布を被せ置かれてあった」
「ふーむ」
「役人に、これは何かと尋ねると、ヒエロン公の命で、全てアルキメデスが設計・製作したものであるとのことであった」
「なんと」「あの学者のアルキメデスが」
 兄弟は、意外な、と顔を見合わせた。



 今回の一連の政変で、その名を、誰も思慮の端にもかけていなかった。学問にしか関心なく、薬にも毒にもならぬと見ていたからだ。
 だが、マニアケスは違った。彼女は、策略に奔走する間も、密かにその動向を観察していた。
(この御仁は只の人ではない。あのヒエロンが重用しようとしたのも得心できる)
 それゆえ、兄弟にこう勧めた。
「あの兵器を活用すれば、我が軍にとって大いに有用。貴公らは、すぐに先生に出馬されたしとお願いせよ」
「なんと」「我ら自ら出馬を乞え、というか」
 兄弟は、今度は驚き、再び顔を見合わせた。
「そうだ」
 マニアケスは大きく頷いた。
「あの大バシレウス、ヒエロンがその才を認め製作させたもの。大軍を得るに等しい力を与えてくれるに違いない」



「ふーむ。誰が部下をやって引っ張ってくれば済む話ではないのか」
 ヒッポクラテスが面倒臭そうに言った。
 元来の性質は野戦の指揮官。こういう乱暴なところがあった。
「駄目だ」
 マニアケス、言下に強く否定した。
「それは指導者のあるべき振る舞いではない」
 彼女は甚だしい不機嫌の色を浮かべて続けた。



「貴公らに言っておくが」
 彼女はくぎを刺した。
「ヒエロニュモスの真似など、ゆめしてはならんぞ。暴政の限りを尽くせば、内より崩壊すること、そなたらも見て来た通り。よく統治することを心がけるのだ。そうすれば、そなたらをバシレウスと人々も認めてくれよう」
 語気を強めた。彼女としては、勝利に浮かれ自信過剰気味の兄弟に、ここぞと喝を入れた格好だ。
「人材を登用すること、これこそ良き統治者のあるべき姿。これを忘れてはならぬ」
 一歩踏み外せば直ちに滅亡。現にヒエロニュモスやアドラノドロスやら、テオドトスたちは、危険な道を踏み外し、既にこの世に存在しないのだ。



「ふーむ…」
 兄弟は、彼女の初めて見る雄弁に大いに驚き、しきりに唸っていた。
 だが、別段腹を立てることなどなかった。彼女が、兄弟のために、命の危険も顧みず、策を遂行して来たことを知っていたからだ。
 二人は大きく頷いた。
「分かった。そなたの申す通り」
「我ら二人、充分心がけようぞ」
 こうして、アルキメデス招聘を決定した。
 それからも、三人は、今後の戦略を巡って、深更まで話し合いを続けた。


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 すぐそばでの企み 
 その同じ時。
 ヒッポクラテス、エピキュデス兄弟、そして、マニアケスの反革命の首謀者たちも、偶然にもアスパシアの娼館にて宴を開いていた。
「こんなところで慰労を兼ねての打ち合わせとは…な」
 エピキュデスは苦笑いしながら杯に口をつけた。
 そう。味方の将たちを引き連れ、ここに来ていた。女の嬌声と、男ともがどっと騒ぐのが聞こえて来る。
「ま、幕僚たちはあのように喜んでおる」
 ヒッポクラテスはそういって、自身、ぶどう酒を注いでいく。内密の談合だから、ここには娼婦(ヘタイラ)は呼んでいなかった。



「だが、マニアケス、お前は居心地が悪かろうが」
 エピキュデス、意地悪な目を向けた。
 娼館とは、男が逸脱と放埒を愉しむ空間。男の身勝手な場所なのだ。
「いや、別段」
 彼女はサンブカ奏者の姿に戻っていた。宴席では、この格好が最も自然に溶け込む。
「私は、密偵活動の折、娼館を根城にすることがよくある。官の手が伸びることの滅多にない色町は、紛れるに最適」
 そう。役人とて色町がないと困るのだ。だから、厳しい摘発などある訳なかった。
「それゆえ、かえって居心地が良いくらいなのだ」
「なるほど…」「そなたならば、娼婦に化けるなどお手の物であろうしな…」
 兄弟はしきりに納得していた。
 彼女がその気になりさえすれば、ここにいる娼婦など足許にも及ばぬ色気を醸すであろうことは想像に難くなかった。



 反ローマ派の血の粛清を終え、シラクサの政治権力を完全に掌握した三人。
 悲泣の声が街中に満ちていたが、彼らには、やましい曇り一つもなかった。
「これも戦争の一つ。我ら、対ローマ戦の一つに勝利したまでぞ。その過程での血みどろは、戦いの当然の帰結ではないか」
 その開き直りである。既にカンネーで万余の死骸を目の当たりにしており、こんなことで彼らの良心が怖じ気づくことはなかった。



「ところで…ソシスは逃げたようだな」
 ヒッポクラテスが、杯をあおりながらいった
 多くのローマ派の政務官の中で、ソシスだけが城外へ脱出し、単身マルケルスの陣営に逃げ込んでいた。
「ふん、あんな奴一人消えたところで痛くも痒くもないわ」
 エピキュデスはうそぶいた。
「それよりも、これからどうするか、ということだ」



「手は打ってある」
 ヒッポクラテスが自信を見せた。
「どんな手だ、兄者」
「カルタゴ本国に急使を派した。そして、近日中に、ヒミルコ殿自ら大艦隊を率い、援軍に駆けつけるとの返事を頂いておる」
 ヒミルコとは、ハンニバルの陣営にある同名の武将とは別人で、本国バルカ党の実力者である。近頃、本国における主戦派の急先鋒となり、戦備を整えていたものだ。
「おお、それは吉報」
「我らの兵力と、ヒミルコ殿の兵力でマルケルスを挟み撃ちにするのだ。ならば、ローマ軍とて崩れ立とう」
 兄弟は大いに意気を高めていた。明日の栄光が手に届く所にまで来ている。
(バシレウスの栄位に上がるのだ…)


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−これまでのあらすじ−
 アルプスを越えイタリアに攻め込んだハンニバルは、カンネーの地でローマ軍を包囲撃滅。カンパニアの大半を勢力下に収めると(紀元前216年春)、ローマ最大の同盟国シラクサを味方に付けることに成功(紀元前215年初頭)。
 が、そのシラクサでは新君ヒエロニュモスが暗殺され(紀元前214年)、親ローマ派政府が樹立される。ハンニバルから派遣されたヒッポクラテス、エピキュデス兄弟と、親ローマ派政府との対立が激化。
 マルケルス率いるローマ軍のシチリア島上陸に伴い情勢はさらに緊迫。ヒッポクラテス兄弟は、傭兵を味方につけシラクサ本市に攻め込みローマ派政府を打倒。ついに政権奪取を果たす。
 プブリウスとラエリウスは、ハンニバル派政権にアルキメデスが取り込まれることを防ぐべく、シラクサに潜入する。


 色町(続き)
 やがて、とある娼館の門をくぐり、テレクレス、すたすた入っていく。
「さあ入れ。遠慮する必要などないぞ」
「入るとも。お前の家じゃあるまいし」
「我が家も同然。この気楽さ。故郷に帰った心地ぞ」
「やれやれ…見直したよ」
「そうであろうが」
「褒めているのではないぞ」
「なんだ。つまらん」



 同窓の二人が他愛ない会話をしていると、女が飛んで来た。
「テレクレス様、お帰りなさいませ」
「おお、アスパシア、今帰ったぞ!」
 二人は、プブリウスらの目も構わず、ひしと抱きあった。
「アスパシア?」
 プブリウス、つい失笑を浮かべた。
 この時代、ヘタイラ(娼婦)の名前にアスパシアと付けることが流行っていた。日本の小野小町、中国の楊貴妃などと同じで、いわば美女の代名詞になっていた訳だ。
 実在の二人のアスパシアが元になっている。
 一人はアテネのヘタイラ、アスパシア。美貌だけでなく教養ずば抜けており、時の大政治家ペリクレスの妻に納まったほどの女性である。あの哲学者ソクラテスも、若い頃、随分といれ込んだとの記録がある。
 もう一人はフォカイアのアスパシア。こちらは、ペルシア王子に見初められ、後にペルシア王妃に登り詰めたことで著名であった。物語の第一部で登場した。



「アスパシアとは、ちと器量不足ではあるまいか」
 思わず、ラエリウス、本音が口について出た。
「なに、この人。失礼しちゃうわね」
 女は口を尖らせた。
 どう見ても、二人のアスパシアほどの美貌も教養も持ち合わせているようには見えない。
「こらこら、この女を怒らせるなよ」
 テレクレス、慌てて口を挟んだ。
 おそらく、生活の糧を、この女の稼ぎに頼っているものであろう。



「だって…お前、フォカイアの出ではないか」
 プブリウス、手で口を押さえ、吹き出しそうになるのを必死に堪えていた。
 同郷でその美貌を伝え聞いている筈の男が、さして器量よしでもない女を『アスパシア』と呼んで愛しているのが、何とも滑稽であったのだ。
「名付けたのは俺だ。俺にとっては、この女こそがアスパシアなのだ」
「どういうことだ」
 含み笑いを堪えつつ訊いた。
「女性の美とは、何も姿顔立ちで決まるものではない。要は気立て。心のありようで決まるのだ。そうであろうが。徳こそ人の美の基。そう学んだろう、アカデメイアで」
 テレクレス、大まじめに言い返す。
 要は気遣いが行き届き、側にいて安心な女なのだということ、それが彼にとっては至高の美徳をまとう女性なのだと。
「理屈はそうかもしれないけど…」
 だが、プブリウスとラエリウスも、すぐに納得することになる。
 そのアスパシアは、彼らのために、冷水を運んで来たり、手ぬぐいを持って来たり、まことにかいがいしい。食事もすぐに運んで来た。
 そして、四方山話もするのだが、決してうるさからず、されど暗からず。ほどよい明るさで場を和ますことも忘れない。



「なるほど…これは『アスパシア』かもしれんな」
 プブリウスはやや感心して頷いた。
「どうだ、得心したであろう」
 テレクレスは自慢げに言った。
「うむ。世の男どもは反省せねばならんな。…だがな」
「だが、何なのだ?」
「蓼食う虫も好き好きとはよくいったものぞ」
「こいつめ!」
 テレクレスは拳を振り上げた。
 それから三人は、シラクサのアスパシアも交えて、夜ふけるまで歓談を交わしていた。


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