新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

第7章地中海の章

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 細心の化身(さらに続き)
 新月の夜。
 ハンニバルは、ヌミディア騎兵司令官マハルバルに命じた。
「そなた、八十騎を率い、我が軍の前方を左右に別れて進め」
 その奇異な命令に、マハルバルは意味が呑み込めなかった。
「それは…斥候ということですか?」
「…いや。そう思わせることにある」
「思わせる?」
「考えてみよ。そなたらに遭遇した者たちは何と考えるかを」
「それは…斥候か…糧秣の調達に出て来たと思うでしょうな」
「ということは、その後に我が大軍が接近していると思うか」
「あ…」
 マハルバルは絶句した。
 このカルタゴ人総司令の智謀には随分と慣れている筈であったが、この今、再び愕然とするほどに驚いた。



「なるほど。出会った者たちは我らに捕らえられるか、逃げ果せた者も、我ら騎兵が斥候に出ているか糧秣調達に出て来たと思いますな」
「そうだ。そなたらは、いわば我が軍の煙幕になる訳だ」
 ハンニバルは、その隻眼を細めた。
「かしこまりました。直ちに出陣いたします」
 マハルバル、勇躍して幕舎を後にした。
 ヌミディア騎兵八十騎は、飛ぶように出撃していった。
 たまたま出歩いていたタラス市民は捕らえられるか、逃げおおせた者も、彼らが略奪に現れたと思い込んだ。その背後にハンニバルの大軍のあることは、誰にも知られることはなかった。



 ハンニバルは、一刻後、部将のハシュドゥルバル、ヒミルコ、マニアケスなどと共に、一万余の軍勢を率いて進発した。
 辺りは真っ暗だが、先頭には何度もここを往復し、道筋を諳んじているフィレメノスがいる。彼に従って、まっすぐ軍勢は進んでいく。ここにもハンニバルの用心深さが如実に現れていた。
「総司令」
 そのフィレメノスが言った。
「あそこがヒュアキントスの塚にございます」
「む」
 小高い丘があって、石碑らしきものが建っている。
「よし。すぐに合図を送れ」
「ははっ」
 フィレメノスは、馬から降り塚に駆け上がると、松明に火をつけ、それをタラス市の方角に向かって大きく回した。

イメージ 1

↑タラス(現ターラント)の地図です。「歴史2」ポリュビオス著 京大学術出版会刊からの引用です。「城山」とはアクロポリスのことです。


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 細心の化身(続き)
 往来すること七たび。その最後に、ようやく企みの隅々までが整えられた。
「進入路は二つだ」
 ハンニバルはタラスの若者たちに向かって言った。
 彼の前には、フィレメノス、ニコン、トラギスコスの外、数人の若者が居並んでいた。反ローマで一致した同志たちだ。



「一つはテメニデス門」
 テメニデス門とは、タラス東の大門。ここからまっすぐ市の中枢アゴラに繋がる。
 ハンニバルは、主力をここに配することにした。
「フィレメノスの手引きで我らはヒュアキントスの塚から城内に合図を送る。合図を見たら、内より門に攻めかかれ。同時に、我らも一斉に攻め込む」
 ちなみに、ヒュアキントスとは、アポロン神に愛された美少年で、誤ってアポロンの投げた円盤に当たり死んでしまったといわれている。
 その伝説の美少年が葬られたと言い伝えのある塚が、タラス市城外にあった。塚であるから、少し高い地になっている。そこから合図を送ると言っている訳だ。




「もう一つは、テメニデスの南すぐにある名もなき小さな門だ」
 ここは、フィレメノスが、ハンニバル陣営からの帰りに利用していた門である。気前よく肉を振るまい、ローマ兵を手なずけていた。
「フィレメノスよ。そなたにガリア兵三百を授ける」
「ははっ」
「いつものように猪を運び入れよ。その後に続いてガリア兵が乱入する」
「かしこまりました」



 ハンニバル、まことに用意周到であった。
 フィレメノスを通じ、入念に策を施していた小門の方は、いわば万が一の備えとし、自身はあくまでも市内の若者と同時に大門に攻めかかり、進路を確保せんとしたのだ。
 しかも、フィレメノスを軍に帯同させることで、人質を確保した格好である。首領の彼を預かることで、彼の同志たちの決起を確実なものにしようとしていた訳だ。
 彼は父ハミルカルの言葉を思い出していた。
『事がうまくいかなかったことを常に念頭に置いて備えよ』
(一つの道に全てを賭けてはいかんのだ…)


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 細心の化身 
「総司令。なにゆえ、細かく打ち合わせなされませんでしたので?」
 ハンニバル船長が不思議そうに総司令ハンニバルに訊いた。
「用心のためだ」
「用心?」
「彼の決意は分かった。…されど、彼の同志たちの心はまだ分からぬ」
「ははあ。それで幾度か往来させて…」
「そういうことだ。もし、決意揺らがねば、言葉に自信が滲み出て来る筈。同志たちの結束も固め得たということになる」
「なるほど」
 船長は感服した。



「それよりも、君は、私がここに長滞陣していることが疑われぬよう、噂を広め給え」
「どのような噂で?」
「ハンニバル、体調思わしくなく、陣営を一つの場所にとどめておる、とな。ならば、疑い深いファビウスやグラックスも安心しよう」
 細心の化身ともいえる行き届きようであった。確かに、タラス近くに滞陣してあれば、老ファビウスあたりが勘付く恐れがあった。
「なるほど」
 船長は、その用心深さに再度感服した。



 それから、フィレメノスはハンニバル陣営との往来を頻繁に重ねた。
 いつのまにかハンニバルに最も容易に面会できる人物となっていた。
 最初は大掴みであった企みは、次第に事の細かな部分に及んだ。なにせ、タラス市民でハンニバルに味方する者はごく少数。これを活かして事を成し遂げるには、綿密な行動計画が不可欠だ。
「ご苦労であった」
 いつものように労ったハンニバルは、これまたいつものように言った。
「今日も、猪を持ち帰るが良い」
「はい。ありがとうございます」
 そういって、フィレメノスは、にっと笑った。
「閣下の初めの言葉が、ようやく腑に落ちかけております」
「そうであろう」
「はい。今や、私が戻るのを、ローマ兵は首を長くしている模様。口笛一つで門を開けてくれるようになりましてございます」
 フィレメノスは、わざと夜更けてからタラス市に戻るようにしていた。門を開けてくれる代わりに、ローマ兵に猪の肉を振る舞うことにしていた。
「ふふ。さもあろう。滅多にお目にかかれぬ御馳走が帰って来るのだからな」



 ハンニバルは知っていた。
 いかに強固な軍規あろうとも、軍中に一つ綻びを見せ、それが当たり前のようになってしまうと、そこからみるみる綻びは大きく裂け始め、ついには全体が破綻するものであることを。
「本能に訴えかけることが、最も効果的な策なのだ。人間、誰しも腹一杯食べたいと希求しているのだからな」
 ハンニバルは冷笑した。


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 人の心を統御す(さらに続き)
 フィレメノスと会見したハンニバル、人の心を統御する達人ぶりを遺憾なく発揮した。
「貴君がフィレメノス殿か」
 ハンニバル、流暢なギリシア語で語りかけた。
「はい。左様にございます」
 対するフィレメノス、身をこわばらせていた。
 恐らくは、カンネーでローマ軍を全滅せしめた、恐らしき大将という先入観がそうさせているものであろう。



「何も案じることはない」
 ハンニバルは笑顔を見せた。
「貴君がここに来たのが神慮ならば、我らにとっても神の恵み。天恵に他ならぬ。どうして、貴君らを信じぬことがあろうや」
「は。ありがたき」
 フィレメノス、大いに感銘を受けていた。相手がギリシア語を解する素養豊かな人物であると分かり、大いに親近感を深めたようだ。
 それから話はトントン拍子に進んだ。
 なにせ、互いが互いを求めている。あとは、どうやってことをし遂げるか、その打ち合わせだけという形になった。
 だが、ハンニバル、なにゆえか事の詳細に入ることはなかった。



「貴君は狩猟を名目にここに来られたということであったな」
「はい。私の狩り好きは周知。それを口実にすれば怪しまれませんので」
「よろしい。帰る際、猪を一頭差し上げる。それを持ち帰られるがよい」
「ありがとうございます」
「これから来られるときも、狩猟という名目で参られるが良い」
「はい」
「それと、その猪を活用することをお勧めする」
「それはどのような…」
「城門はローマ兵が警戒しているのであろう」
「はい。各門に数十人ずつ配されております」
「帰るときの門は、特定の門に定めるがよい」
「は?」
「そして、帰るたび肉を番兵に振る舞い給え」
「それは…?」
「いずれ分かる。とにかく、そうなされよ」
「かしこまりました」
 あとは、同志たちにといって金銀を渡した。
 フィレメノスは大いに感謝し去っていった。


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 人の心を統御す(続き)
「そなたの神託通りに事は運んだ。どうだ。いっそ、巫女に宗旨替えしては」
 それは上機嫌なハンニバルの、ごく軽い冗談であった。
 だが、どうした訳か、マニアケスは笑うことなくうつむいてしまった。
「このような罪深い者が巫女など…」
「まだそんなことを申しているのか」
 ハンニバル、呆れたような語気になった。
(こういうところは女だな)
 そんな風に思った。時折ひどく感傷的になり、手を煩わせるところなどは。
「されど…」
 愛する総督ハシュドゥルバルを殺めたことは、心の深い傷として残っていた。いや、消えるものではなかった。
 何かの拍子でその傷が疼き出し、所構わず発症するのであろう。今もそうだ。
(一つ願いが叶うならば、総督様を甦らせてほしい)
 そんなことを強く思うばかりであった。



 ハンニバルは、己の罪に煩悶する女の容子を凝視していた。
(働き詰めで、心身共に疲れているのやも知れんな…)
「そなたの罪など、もう誰も問わぬ。帳消しじゃ。義兄も夢の中でそう言っていた」
 マニアケスには、これからも自身の手足として働いてもらわねばならない。
(ここらでその鬱を払っておこう)
 ハンニバルは思った。それができるのは、亡き総督の義弟であり、大志の継承者である自分以外になかった。
「ほんとうですか」
 マニアケス、大きな瞳となった。
「そうだとも。夢の中に現れ、『こらっ、ハンニバル』と叱るから、いきなり何事ですかと訊ねた」
「それで…」
 夢の中に現れる総督ですら、彼女にとっては恋い焦がれる対象であった。
「そなたは我がバルカ家並びにカルタゴ国家に多大な貢献をなした、だから、もう許してやれと仰せであった」
「して、閣下は何と?」
「私は、義兄上がそう仰せなら別段構いませぬ、と答えておいた」
「総督様は?」
「『そうかよしよし』と、私を子どものように褒めておった。私にとっては、いつまでも頭の上がらぬ義兄だから仕方ない」
 ハンニバル、苦笑して見せた。



「…そうですか」
 マニアケス、ほっと息を吐いた。
「ありがとうございます。そのように仰せ頂き、嬉しゅうございます」
 彼女は素直にそう言った、だが、と続けて
「弟君たちのお心が…」といった。
 次弟ハシュドゥルバル、末弟マゴーネの心情を慮ってのことであろう。
「マゴーネは、とうにお前を許しているさ。ハシュドゥルバルも直情な奴だが、気の悪い奴ではない。お前の働きを知れば、寛大な心になろう。そういう弟だ。この長兄ハンニバルが言うのだから間違いない」
 ハンニバル、なにゆえか、マニアケスを許してやることに熱がこもった。
(どうしたことだろう…)
 自分でも不思議に思った。
 一時は、いつ成敗してくれようか、そんなことすら思っていた憎い女の筈であった。
 だが、そういうものなのであろう。罪人が罪を自覚し、罪を必死にあがなうその姿を見れば、あたかも氷結した憎しみとて、いずれは溶解するものであることを。
 人の心とは、そういう大きな慈悲をも具えているものなのだ。



「罪悪感を覚える暇があれば、もっと仕事に励め。ならば、そなたの夢の中にも義兄が現れよう。よいか」
「は、はい。ありがたきお言葉…」
 マニアケス、涙ぐんでいた。
「まだまだローマの勢力は強大。戦いは続く。そなたの任務は重い。頼むぞ」
「はい。必ずや、必ずや、し遂げてみせます」
「よし。ならば、そなたのおびき寄せたタラス人を大いにその気にさせてやれ」
「はい。段取りは整っております」
「では、そのタラスの若者と面会するとしようか。…ソシュロス先生、今のやり取りも、ひょっとして全部記録されたのか」
 ハンニバル、近頃は存在を忘れることすらある記録官ソシュロスの方を振り向いた。
 その記録官は、にこやかにこう答えた。
「はい全て。これで、御大将が敵に苛烈に振る舞うだけが能の武将でないことが、後世の人々に知れるでしょう」
「はは。ありがたいことだな」
 ハンニバル、快活に笑った。


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