新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

第8章シチリア・カンパニアの章

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全27ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


https://novel.blogmura.com/novel_historical/ にほんブログ村

ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)


 落城する都市(さらに続き)
「総司令が援軍を寄越すでございましょうか?」
「なに」
「私も総司令閣下の人となりを存じております」
「何を知っているというか」
「落城寸前の都市を、手元の味方の危険も顧みず救いにやって来るようなお方ではない、ということです」
「言葉が過ぎるぞ、ミルト」
「いえ、これは決して貶めているのではありませぬ。むしろ、総大将たるものはそうでなければならぬ、と思っているのでございます」
 今だ少女の領域を出ていない彼女であったが、鋭敏に事を聞き分けていた。
(総司令閣下は、決して無慈悲なのではない。目的のためには、他の事は顧みないだけ)
 それは名将の必須条件なのかもしれぬが、常人には真似の出来ぬこと。生死の境の悲泣に耳を塞ぎ、断固敵中進むことは常人では不可能。



「わたくしは、それゆえ、ここに残りたいと思います」
 ミルトは言った。
「ふーむ」
 カルタロは唸った。
「そなた…本当にタウレアを愛しておるのだな…」
「はい」
 ミルトはニコと微笑んだ。
「タウレア様も覚悟なされております。ならば、どうしてわたくしが城を抜け出すことがありましょう」
 直属の上官であるマニアケスには打ち明けられなかったが、目の前の、死を覚悟したカルタゴ人指揮官には心を偽らなかった。
(ここにも死を覚悟した者がいたか…。なんとも健気な)
 カルタロはしみじみ見詰めた。



「ならば、なおさら総司令の許に向かうがよい」
 カルタロは優しい口調になって、もう一度命じた。
「…でも」
「まあ聞け」
「はい」
「愛する人のために死ぬのもよかろう。だが、その愛する人のために最後まで努力することも人の道」
 カルタロは説いた。なにゆえか懸命に説いた。
 うら若き少女が縦容と死に往くのを止めなければ、と思った。



「総司令が、ここに来ればどうなるか、まだ一縷の希望はある」
「…ありましょうか?」
「ある」
 カルタロは語気を強めた。
 最前まで、そんなこと露ほど思ってもいなかったのに、あえて思い込もうとした。そうでなければ、眼前の、生命を諦めた女を奮い立たせることは出来なかったろう。
「その希望に賭けよ。それがタウレアを愛する女の務め。タウレアの愛を得た女の務め。そうは思わぬか」
 熱心に説くカルタゴ人指揮官の瞳をじっと見詰めていたミルトであったが、やがてこくりと頷いた。
「分かりました…今一度、総司令閣下の許に走りたいと思います」
「うむ。急ぐがよい。ローマ軍の総攻撃の時は迫っておるからな」
「はい」
 彼女が答えた次の瞬間、その姿は消えていた。


https://novel.blogmura.com/novel_historical/ にほんブログ村

ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)

−これまでのあらすじ−
 アルプスを越えイタリアに攻め込んだハンニバルは、カンネーでローマ軍を撃破(紀元前216年春)し、攻防の末シラクサ支配権を獲得(紀元前213年)。さらにタラス市街を制圧(紀元前212年初頭)。
 他方、マルケルスが再びシラクサに大軍をもって押し寄せ反攻を開始。悪戦苦闘の末、ついにシラクサを攻め落とす(紀元前212年秋)。
 戦いの焦点はカンパニアの主都カプアへ。ハンニバルはカプアを包囲するローマ軍を挑発するも相手にされず。ハンニバルは、局面を打開するため、首都ローマに進撃(紀元前211年春)。
 ハンニバルは、ローマ近郊のアニオ河畔で挟撃するローマ軍を撃破。大いに気勢を上げる。
 だが、カプアの包囲は解けず、落城の時が刻々と迫っていた。


 落城する都市(続き)
「カルタロ殿…これはどういうことだ?」
「は…それがしにも、どういうことか…」
 分からなかったに違いない。ハンニバル軍の副官とはいえ、彼もカプア城内にずっといるのであるから。
「分からぬ、ではすまぬ!」
 カラヴィウスは逆上した。
 生命に刻々と迫る危機が、大尽の鷹揚を完全に奪っていた。
「なんとかハンニバル殿に連絡を付けよ!速やかに援軍を寄越すよう手配するのだ!」
「されど…この包囲の有様では…」
 城の周りには二重の柵が張り巡らされ、常人では脱出不可能。



「なんとかなるはずだ!」
 カラヴィウスは決めつけた。
「マニアケス殿やら、先頃にはハンニバル船長がやって来た。手練の密偵ならば通れるような箇所があるに違いない!」
「は…」
 それはそうなのだが、カルタロに思い当たる、それが出来る人間は一人しかいなかった。それは、彼にとっては貴重な人間であった。
「このままでは落城!そうなれば、そなたも我らと同じく死座に着くことになるのだ!一刻の猶予もないのだ!」
「は…分かりました。なんとか取り計らってみましょう」
 そう答えるしかなかった。



 カルタロは宿舎に戻ると、大きく溜め息をついていた。
(カプアも…もうおしまいだな…)
 彼には実は分かっていた。ハンニバルがカプアの救援を諦めたことを。
 より大きなもののためには味方の犠牲も厭わぬ、それが彼の仕える主君ハンニバルであるからだ。
(総司令らしいとはいえば、それまでなのだが…)
 だが、そのことをカラヴィウスら指導者たちに言い出すことはできない。彼らは、まだ生存を諦めていないからだ。いや、それどころか、なんとか生存の道がないか、あらゆる希望に縋り付こうとしている。
(彼らが人間らしいのだ。わしのように諦めきっている方がおかしいのかもな…)
 一人、苦笑を浮かべていた。



 と、その時である。脂粉の香りがぷんと漂ってきた。
「カルタロ様。お呼びにございますか」
 娼婦のなりをしたミルトがすっと立っていた。
「…おお、ミルト。よく来てくれた。そなたに行ってもらいたい場所があるのだ」
「はい…いずこに参れば?」
「ハンニバル総司令の許だ」
「総司令の許に…」
「うむ。カプアの窮状を伝え、速やかに援軍を寄越してもらうよう申し上げてほしい」
「はい」
 と答えたミルトであったが、動かなかった。



「どうした?そなたならば、なんとか城を抜け出すことが出来よう。女の身なれば、投降して参りましたと口実を構えることも出来よう」
 落城前に投降した住民には、ローマは寛容であった。彼らの脱落は、それそのままカプアの戦力を細らせる効果を有するからだ。
 こういうことだから、近頃、城から抜け出す市民があとを絶たなかった。人々は、反ローマ派政府と運命を共にするのは御免とばかりに、脱出の機会を窺っていた訳だ。


https://novel.blogmura.com/novel_historical/ にほんブログ村

ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)



 落城する都市 
 紀元前211年初夏。
 ハンニバル軍は、レギウム近郊に本陣を置いていた。
 レギウムは、ブルッティウム地方でハンニバルに唯一服さない国であった。
「マニアケスよ」
「はい」
「カプアはまだ落ちておらぬようだな」
「は…なにせ、落ちれば助からぬ人間も大勢おりますことゆえ、激しく抵抗しておるようです」
「ふ…む。そうか」
 ハンニバルは遠くを見詰める眼差しとなった。
 そう。彼にとって、カプアは、もはや思考の外に置かれた存在でしかなかったのだ。



 ローマ軍は、ハンニバル軍が全土を荒らす間にも、カプアからじっと動かず、城攻めに専心していた。
 包囲を解いてハンニバルに立ち向かうべきだとの意見も上がったが、ファビウスやプルクルスの軍首脳はこれを退けた。
「今、包囲を解けば、ハンニバルの思う壷。カプアは落ちず、会戦に持ち込まれ撃破されては、これまでの苦労が水の泡」
 そのため、同盟国から届く悲泣の声にもじっと耐え、包囲を続けていたのであった。
 だから、カプア攻めは苛烈を極めた。一刻も早く決着をつけ、同盟国の防衛に向かいたい、その切なる心情からだ。



 ここカプア城内。
 かつての享楽都市の面影はとうに消え失せ、今や要塞都市と化していた。
「どうなっている…。どうなっているのだ」
 あの肥え太っていたカラヴィウスも、今は、慣れぬ鎧を着け軍のことに当たっていた。
 その彼はやつれ果てていた。迫り来るローマの脅威に、恐怖がのど元を締め上げて来るからだ。
 そして、日々側近やら将たちに当たり散らしていた。
「ハンニバル殿はどうした!どうして駆けつけて来ぬ!」
 タウレアも、カルタロも、誰も答えない。誰も分からないからだ。



 先頃、ハンニバル船長がやって来た。
「ハンニバルは敵の虚を衝きローマを急襲します」
 それを聞いた時は、カラヴィウスは小躍りした。
「その手があったか!これで我らは救われるぞ!」
 ハンニバルのローマ進軍は、確かにはじめは効き目があった。数日後、主力の一翼フラックス隊が慌てて退却するのが見えたからである。
「ははは。退いていくぞ!敵軍が退いていくぞ!」
 城壁の上で、彼は愉快そうに笑っていた。
 だが、数日後、ファビウスとマルケルス率いる大部隊が姿を見せた。そして、新たに重厚な包囲陣を形成し始めるのを見ると、一転狼狽した。
「なんだ。これはどういうことだ。首都ローマは危機に陥っているのではないのか」



 しばらくして伝わって来たのは、意外な言葉であった。
「ローマに進軍し敵を破ったハンニバルは、転じてアプリア地方に向かったらしい」
 カラヴィウスは耳を疑った。
「どういうことだ?なにゆえティファタに戻って来ぬ?」
 戻って来ようにも、既にティファタ山はローマ軍に押さえられているから、迂闊に戻ることは出来なかった訳だが。また、カプア市内にいる人間に、ハンニバルの冷徹な論理などそもそも理解しようがない。生存を渇望している人間が、自身を犠牲にすることを前提にした計算など、出来る訳がないのだ。


https://novel.blogmura.com/novel_historical/ にほんブログ村

ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)



 全土に兵を向ける(続き)
「マニアケスよ」
 今度は彼女に目を転じた。
「ははっ」
「我らは、その間何をなすべきと思う」
「敵に最大の打撃を与えることか…と」
「最大の打撃?」
「は。敵はカプアに戦力を集中しております。言い換えるならば、イタリア全土が無防備になっているのと同じことかと。ここを攻めない手はありませぬ」
 主従は、カプア救援は無理と断じ、その間になすべきことを問答している。即ち、カプアを見捨てることを前提に作戦を話し合っていた。
 非情極まりないと言えばそれまでだが、そもそもハンニバル軍は、周囲を敵に囲まれたイタリアで戦い続けている。情に囚われた思考の停滞は許されなかったのだ。



「全土が無防備…か」
 ハンニバルは考えた。
 彼は、ここに一つの結論に到達した。
(今の我らに点と点を結ぶ戦略は無理がある)
 そのことである。つまり、カプア、シラクサ、タラス、という主要都市を制圧し、自己の勢力を拡大し、それをローマに及ぼしていく戦略。
 これは、敵国に迫る戦いの常道と言えよう。
 だが、拠点を制圧するたびに、守備する兵を置き指揮官を残す、となると、ハンニバルの手元から兵力が抜け落ちていく。
 ハンニバル軍は、ボミルカルらの艦隊によりカルタゴ本国から支援を受け、兵力の増強が図られていたが、それでも総勢五万ほどでしかない。その貴重な兵力を、後方の拠点の守備に割いていくと、ローマの主力と戦うことが出来なくなる。
(点に足を取られる結果となったようだ)
 対するローマは、本国近くで戦う利を活かし、存分に兵力を増強してくる。しかも、ローマと同盟国の共闘体制もほとんど揺るがない。その敵を相手に、点と点を結び、面を広げていく、その戦略は無理があるといえよう。



「元来の姿に戻らねばならぬ」
 ハンニバルは言った。
「元来の姿…それは?」
 ハンニバル船長が訊いた。
「自在に動くことだ」
「自在に…」
「自在に動き、自在に敵を衝き、そして撃破する。それが、アルプスを踏破し、カンネーに至るまで、味方に倍する敵を破って来た我が軍必勝の途」
 これは、事実上、都市防衛の放棄を宣するものであった。
「マニアケス、船長」
「はっ」「ははっ」
「ハンニバルの武威を全土に見せつけてくれよう。出陣だ」
「はっ」「ははっ」



 翌日。ハンニバル軍は進発した。
 だが、向かったのはカプアではなかった。アペニン山脈をずんずんと越えると、アドリア海に面するアプリア地方に至った。ローマの主力はカプアに集中している。精鋭揃いのハンニバル軍は無人の野を行くが如くに進んだ。遭遇するローマ軍は次々に撃破され、抵抗する小都市は陥落した。
 さらにカラーブリアを経て、ルカニアに攻め込み、ここでも猛威を振るった。
 反ハンニバルのルカニア人勢力をたちどころに粉砕した。



「ひいい、強い!」
「とても敵わぬ!」
 ちりぢりばらばらに逃走するよりほかなかった。
 転じて、ハンニバルの軍勢はブルッティウム地方に進攻し、イタリアの『爪先』のレギウム(現レッジーナ)に到達した。
 そう。まさしく、ハンニバルは、全土に兵を向けたのであった。
 全土の、ローマに味方する都市の市民は、大いに震え上がった。


https://novel.blogmura.com/novel_historical/ にほんブログ村

ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)



 全土に兵を向ける 
 間もなくして雨が上がった。
 豪雨が嘘のように晴れ上がり、それと同時にフラックス隊が姿を消していることに気付いたハンニバル軍の将兵が騒ぎ始めた。
「敵がいないぞ!」
「どこに行った!」
 だが、敵の所在はすぐに知れた。
 晴れ渡った空、山の上にローマの旗が閃いていたからだ。
「全く悪運の強い奴らだ」
 ハシュドゥルバルやハンノンらハンニバル軍将兵は、忌々しそうに言い合っていた。
 が、すぐに破ることの出来ない地形に敵がいることは、誰の目にも明らかであった。
「総司令。これからどうなさいます?」
 マニアケスが訊いた。
 戦機が遠くに去った今、新たな行動を起こさねばならない。ここは敵中深いラティウムの地なのである。
「船長を待つ」
 隻眼の司令官は、それのみ答えた。
 カプアに向かった、同名の密偵兼副官ハンニバル船長の報告を待つ、ということだ。



 数日後、そのハンニバル船長が帰って来た。
「遅くなりまして…」
「挨拶はよい。それよりどうであった。我が軍はローマを衝いた訳だが」
 カプアの戦況は好転したか、ということだ。
「それが…」
 船長の顔は渋くなった。
 彼の報告するところでは、フラックス隊の出撃に伴い、手薄になるかと思われた包囲陣だったが、ほぼ時を同じくして、ファビウスとマルケルス率いる軍勢が大挙駆けつけてきたこと。そのため、包囲するローマの軍勢は、減るどころか逆に膨れ上がり、蟻の這い出る隙もない有様になったということであった。
「それがしが城から出るのも一苦労なほどにございます」
「うーむ」
 さしものハンニバルも唸った。
 虚を衝きローマに進軍し、ローマ市民を仰天させ、次いでアニオ川で前後から押し寄せるローマ軍を撃破し、さらに逃れる敵を追撃して来た。
 そう。ハンニバル本軍は勝利に勝利を重ねている。
 にもかかわらず、である。全戦局を俯瞰すれば、ちっとも好転していないのだ。



「船長」
「はい」
「忌憚のない意見を聞きたい」
「はい。何でございましょう」
「カプアはいつまでもつか?」
「このままでは一月ほどかと」
 ずばり答えた。
「一月…」
 それは、もはやカプア救援は不可能、という帰結以外何ものでもなかった。

全27ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
アバター
Dragon
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

Yahoo!からのお知らせ

友だち(3)
  • 時間の流れ
  • ダイエット
  • JAPAN
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事