新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

第8章シチリア・カンパニアの章

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 戦利品を下げ渡す 
 それから数日後。
 ラエリウスとティロが、フォルムの隅で話し込んでいた。
「なに、スキピオ殿とアエミリア殿が悩んでいると」
「そうなのだ。どうも、そなたの妻ミルト殿が原因らしいのだ」
「我が妻の?どういうことだ?」
「分からぬ。二人とも、ミルト殿と密かに話し込んだあたりから、様子が明らかにおかしい。そして、思い悩んでいる。何か心当たりはないか?」
「うーむ。皆目見当もつかんな…」



「あの快活な主人がふさぎ込み、朗らかな奥方も鬱々としておる。…只事ではない」
「スキピオ殿は元老院議員になられたばかりで、ますます溌剌としておられたに…」
「そうだ。奥方も、スキピオ家の女として、ようやく生き生き輝き始めた折のこと」
 二人は、あれこれ想像を巡らしてみたが、やはり判断を下す材料がなさ過ぎる。
「分かった」
 ラエリウスは言った。
「我が妻に問い質してみよう」
「頼む。だが…」
「だが、何だ?」
「我が主や奥方から聞いたなどと言うてはならぬぞ」
「分かっている」



 その日の夜。
 ラエリウスは、妻のミルトと食卓を囲んでいた。
「ミルトよ」
「はい」
「女の勘で答えてほしいのだ」
「私の勘で分かることならば」
 ミルトは笑った。
 この頃、ようやく子を失った傷が癒え始めていた。
「近頃、スキピオ殿とアエミリア殿が、元気がないという話なのだ」
「え…」
 ミルトの笑顔は途端に凍り付いた。
「二人は、私にとってかけかけがえのない人。そなた…どう思う」
 そういって彼女の瞳の奥をじっと見詰めた。
「それは…お二人から何かお聞きになって?」
「いや…お二方の口からは何も聞いておらぬ。だが、執事のティロが、最近どうもおかしいと申すので、会いにいったのだ。すると、いつもは快活なお二人が、私の顔を見て困ったような顔をなされた」
「困ったお顔を…」
「そうだ。もし、私に行き届かぬことがあれば、そのことをずばと指摘するのがあのご夫婦なのに、言葉に困っておるご様子」



 やかで、ミルトはうなだれ、しくしく泣き始めた。
「も、申し訳ありませぬ…」
「やはり…そなたが原因なのだな」
「は、はい」
「申してみよ。何を告げたのか」
「はい。私が、そもそもタウレア様に近づいたのは…」
 今はと観念して、ミルトは全てを打ち明け始めた。
 ラエリウスは、妻の言葉を一言一句、目をそらさず聞き入った。
 決して、取り乱すことなく、静かに聴いていた。


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 めぐりめぐって(さらに続き)
 それから数日後。
「ティロよ。おかしくないか」
 スキピオは執事のティロに訊いていた。
「は。何の事ですか?」
「アエミリアのことだ」
「奥方様がどうかいたしましたか?」
「ここ数日、何やらふさぎ込み、思い悩んでいるような…」
「確かに…」
「そなた、何か思い当たることはないか」
「何か…とは申しても、ここ数日といえば、ラエリウスの家を訪問したぐらい…」
「そこで何かなかったか?小さなことでもよい」
「いえ…別段。夫婦喧嘩を見事仲裁し、言い聞かせておりましたが…」
「ふーむ」



「あ」
「何か思い当たることがあったか」
「そういえば、家を出た後、ミルト殿が追いかけて参り深刻そうな顔つきで奥方と話しておられましたが…。確かに、その後、何か考え込む風ではありました」
 こういう記憶力について、ティロは抜群であった。
 というのも、執事というのは、家のことを取り仕切るというに留まらず、主人の政治活動の秘書という役回りもあったからだ。となると、主人とその家族にかかわる出来事を詳細に覚えておくことも、大切な務めの一つであった訳だ。
「ミルト殿か…」
 スキピオ、あれこれ思考を巡らたが、事の判断を下すには材料が乏しすぎる。
「ティロ、そなた、ラエリウスに気付かれぬよう、ミルト殿を呼んで来てくれ」
「かしこまりました」
「アエミリアにも気取られぬように、な」
「心得ております」



 その夜。
 ミルトは、スキピオの前にあった。そばには執事のティロ一人だけ。
「スキピオ様。わたくしに何の用でございましょう」
 名家の門の内に呼びつけられ、不安そうな眼差しを向けて来た。
「いや、こんな夜更けに呼び出して済まぬ。ちと訊きたいことがあっての」
「何事でしょうか」
「我が妻のことだ」
「アエミリア様の」
「うむ。近頃、様子がおかしくての。ティロに聞いたところ、そなたと何か話してから、様子がおかしいということらしいのだ。何か知っていたら教えてほしいと思っての」
 スキピオの、いつもの快活な語調であったが、なにゆえかミルトは、みるみる青ざめ、ついにはしくしくと泣き始めた。



「これこれ、なにゆえ泣き出す」
 スキピオは、好天が嵐に急変した船頭のように慌てた。
「申し訳ございませぬ」
「どうして謝るのだ?」
「はい。じ、じつは…」
「言いにくいことか?」
「はい…」
 スキピオはちらと横を見て目配せした。ティロは頷いて部屋を出た。
(何やら奥方のときと同じだな…)
 ティロは思った。



 しばらくして。
 部屋から出て来たスキピオは、あの時のアエミリアと同じく、苦渋に満ちていた。
「ご主人様…一体どうなされましたので?」
「妻の悩んでいた理由は分かった。だが、その代わりに私の悩みが一つ増えた」
 スキピオらしからぬ、力のない笑みであった。


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 めぐりめぐって(続き)
 と、その時である。えへんと咳払いが聞こえた。
「おっ」「あ…」
 夫婦はようやく気付いた。
 スキピオ家の執事ティロが立っている。
「おう、ティロか」
 ラエリウスは、明らかにほっとした表情が浮かんだ。
 二人は、フラミニウスの家に共に住み込んでいた仲間でもある。
「アエミリア様を伴いましたが…案内して宜しいか」
「もちろんだ。何の遠慮」
「いや、犬も食わぬ何とやらの最中でしたゆえ…またの機会の方が良いかな、と」
 ティロは薄ら笑いを浮かべた。
「そんな皮肉を申すな。…お前、主人に似て来たな」
 ラエリウスは苦笑した。



 アエミリアが座の中心となると、さきほどの喧噪は嘘のように鎮まった。
「子が亡くなったばかりというのに、親がそんな落ち着きないことでどうするのです」
 彼女がびしと言い聞かせると、若夫婦はうなだれるしかなかった。
 慰めに来た筈が、またこのような役回りになってしまった。だが、若い夫婦に今必要なのは、こういう喝を入れる強い女性であった。
「はい…」「面目ありませぬ」
「申し訳ないと思うのならば、子の冥福をお祈りなさい」
「はい…」「は…」
 二人が落ち着くのを見ると、アエミリアは立ち上がった。
「では…帰ります。よいですか、夫婦仲良く」
「はい」「分かりました」



 アエミリアとティロは、ラエリウスの家を外に出た。すっかり夜の帳が落ちている。
 すると、なぜかミルトが追いかけて来た。
「奥方様…」
「どうしたのです?」
「奥方様にだけ打ち明けたきことが…」
 思い詰めた瞳で、彼女を見上げた。
 アエミリアが目配せすると、ティロは頷き、少し離れた所に立った。



「さあ。誰も聞いていません。何なりとおっしゃりなさい」
 ミルトはこくと頷いた。
「こたびの子の不幸に、どうしても誰かに聞いてほしくて」
「何事ですか?」
「私には秘密が…罪深い秘密が…」
 すすり泣き始めた。
「おっしゃりなさい。私に。それで心の重荷を軽く出来るのならば」
「はい…実は、わたしくは…」
 ミルトの告白に、彼女は大きく目を見開いた。
 そう、ハンニバル軍の密偵であったという事。



「それは…本当のことなのですか?」
 アエミリア、驚愕のあまり思わず訊き返していた。
「はい。夫にもいつかは打ち明けねばと思いつつ…ついに今日まで言い出せず」
 うなだれるミルトを、アエミリアは、まじまじとその容姿を上から下まで見直した。
(そんな恐ろしげな者には見えぬが…)
 ミルトは、出生から奴隷として売り買いされ、マニアケスに拾われ、密偵として仕込まれたこと、そして、カプアで活動していたことなど、洗いざらい打ち明けた。
「夫は、タウレア殿を失い自暴自棄になっていた私を、それは優しく包んでくれました」
 その優しさに甘えるうちに、つい言い出せなくなったこと。
「過去の全てを忘れ、一人の女、一人の母親として生きていこう、そう思い定めました。ですが、子があのような憐れな最期。己の罪を改めて自覚せずにはおれなくなり…」



「…そうでしたか」
 だが、かける言葉がすぐには出て来ない。
「今少し黙ってなさい。良きように考えてみましょう」
 そう言ったアエミリアだったが、その日から、彼女の苦悩が始まった。


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 めぐりめぐって 
 アエミリアは、それから足しげく、ラエリウスの家に通い始めた。
 当時としては貴重な果物やら、妊婦に必要な着物などを届けてやった。そして、女ならではの気付く点について、配慮を示してやった。
 ミルトは恐縮した。
「奥方様にそのようにお気遣い遊ばれては…」
「ミルト殿」
 ここでも、彼女は持ち前の威厳で言い聞かせる。
「は、はい」
「私が気遣う相手は、胎内のお子。申し訳ないなどと思う暇があれば、元気なお子を産むことに専心することです。その後に、わたくしにお礼申しなさい」
「は、はい」
 ミルトも、がんと言い聞かされながらも、涙を流して喜んでいた。
 アエミリアの女としての人間力であろうか。人の心をずしと動かす力があった。
 ところが、である。
 あいにくなことに、ミルトの産んだ子は、すぐに死んでしまった。




「…そうか。死産であったか」
「はい…本当にお気の毒で…」
 アエミリアも、まぶたを泣き腫らしていた。
 彼女も最初の子を死なせている。だから、その心の痛みはよく分かる。
「そうか…気の毒だの」
 スキピオも同調してみせたが、男と女の差であろうか。それほどの衝撃を受けた様子はない。
 なにせ、医療・栄養水準の低いこの時代、嬰児が死ぬのは半ば当たり前。それに一々拘泥していては、身心がもたない。だから、彼は自分の気遣いをこう表現することにした。
「そなた…また行って慰めてやれ」
「ええ…そうしますわ」




 その日の夕刻。
 アエミリアは、執事のティロを伴い、ラエリウスの家に向かった。
「奥様。何か…様子がおかしいですね」
「そうね」
 ラエリウス家が騒々しい。
 聞こえて来る声から察すると、どうやら若夫婦は喧嘩の最中であったようだ。




「だから…子が死んだのは、そなたのせいではないと言うておろうが」
「わたくしの、わたくしの罪深い業が…赤ん坊の命を奪うことに」
 ミルトは嘆きの底にあった。
「だから、そなたに子を産ませることになったのは私のせい」
 ラエリウスは明らかに手を焼いていた。



「あなたは薄情です」
 ミルトは矛先を夫に向けた。
「な、なぜ私が薄情なのだ」
「大して悲しみもせずに…」
「ばか。私も悲しんでおる」
「子を失った悲しみには見えませぬ」
「いい加減にせぬか。…出かけるぞ」
「逃がしませぬぞ。この私を置いて」
 ミルトは、ぐっとラエリウスの袖を掴んだ。
 夫婦の攻防は果てしなく続きそうであった。


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 スキピオ家の食卓 
 紀元前211年初秋。パラティヌス丘にあるスキピオ家の屋敷。
「…して、いつなのだ?」
 スキピオは肉を頬張りながら訊いた。
「は。あと三月ほどかと」
 答えたのはラエリウス。
 そう。彼の妻となったミルトが身ごもっていたのだ。
「相変わらず、そなたは手回しが良いの」
「スキピオ殿…奥方の前で…そのような」
 男二人ではなく、アエミリアが給仕に当たっていた。



「ふん、今更、隠し立てしてどうする。…アエミリア」
「はい」
「このラエリウス殿は油断ならぬ男。我が一門の女を近づけるでないぞ」
 スキピオの皮肉たっぷりの言葉に、妻アエミリアもにっこりした。
「ラエリウス殿の手にかかれば、ゼウスも真っ青とか。重々承りましてございます」
 そう。ギリシア最高神ゼウスは稀代の女たらしでもあり、人間の女に言い寄り、あまたの子を生ませ、それが悲劇のもととなっていく。なんの神なのかと首をひねりたくなる時があるくらいだ。
「奥方様までそのような…」
 さしものラエリウスも首筋まで真っ赤にしていた。



「とにかく、お前も年貢の納め時を迎えたという訳だ」
 スキピオが、いい気味だといわんばかりに、ぐいとぶどう酒を呑み干した。
 恐らく、親友の艶名を若干妬んでいたものであろう。
「は…なんとも思いがけぬ形で…」
 ラエリウスは頭を掻いた。
 夫妻の口撃に、料理になかなか手が伸びない。
「…でも、ミルトというお名前からすると…ギリシア人ですわね」
 アエミリアが言った。
 ローマの女は、氏族の名を女性化して自己の名とする。コルネリウス氏族ならばコルネリア、ユリウス氏族ならばユリアである。アエミリアも、アエミリウスを女性化したものである。あくまでも、家の女なのである。



「ええ。ギリシアの出だとのこと。でも、奥方のような血筋正しい者ではなく、奴隷の出であると申しておりました」
「そうか。奴隷であったのか」
 スキピオ夫妻は顔を見合わせた。
 それは、ラエリウスの将来を慮ったのである。なにかと血筋にやかましいローマ政界。赫々たる武勲を上げ、将来を期待される彼の栄進に差し障りにならなければよいが、という心配だ。
「よろしいのです」
 ラエリウスは爽やかな笑みを見せた。
「私も、フラミニウス殿、そして、スキピオ殿に引き立てられ、今日がありますが、素を辿れば奴隷から解放されたプレプス。釣り合いが取れているというものです」
 それは全く屈託のないもので、相対する者の気持ちをすかっとさせた。



「…そうか。お前らしいな」
 スキピオは微笑を浮かべた。
「アエミリア」
「はい」
「身ごもった女の大変、出産の苦労は、男には分からぬ。しかも、同じギリシア出の女同士。何かと気遣ってやれ」
「はい。かしこまりました」
 アエミリアは素直に頷いた。
「奥方様にそのような…」
 ラエリウスは恐縮した。
「そのようにご遠慮なさることはありませんわ」
 アエミリアは、にことした。
「…しかし。奥方様はラケダイモン(スパルタ)王家の出。ミルトは奴隷の出…」
「そのようなことを申してはなりません」
 彼女はたしなめるように言った。
 こういうときの語調は、王女であった頃の威厳が響く。
「は」
「私が気遣う相手は、我がローマの誇る武将、そして、我が夫の親友の奥方。そうではありませんか」
「は…」
 がんといわれながらも、暖かな思いやりに、ラエリウスは涙ぐむほどに嬉しかった。



「ふふ。どうじゃ、ラエリウス。女とは大したものであろう」
 スキピオは苦笑した。
 彼も、時折、こうやってやり込められているに違いなかった。
「それはそうですわ」
 アエミリアはけろりと言った。
「あなた方男は勇者となるやも知れませぬが、その男を産むのは女なのですから」
 それは、まさに軍国ラケダイモンの女そのものの言葉であった。


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