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スキピオ家の食卓
紀元前211年初秋。パラティヌス丘にあるスキピオ家の屋敷。
「…して、いつなのだ?」
スキピオは肉を頬張りながら訊いた。
「は。あと三月ほどかと」
答えたのはラエリウス。
そう。彼の妻となったミルトが身ごもっていたのだ。
「相変わらず、そなたは手回しが良いの」
「スキピオ殿…奥方の前で…そのような」
男二人ではなく、アエミリアが給仕に当たっていた。
「ふん、今更、隠し立てしてどうする。…アエミリア」
「はい」
「このラエリウス殿は油断ならぬ男。我が一門の女を近づけるでないぞ」
スキピオの皮肉たっぷりの言葉に、妻アエミリアもにっこりした。
「ラエリウス殿の手にかかれば、ゼウスも真っ青とか。重々承りましてございます」
そう。ギリシア最高神ゼウスは稀代の女たらしでもあり、人間の女に言い寄り、あまたの子を生ませ、それが悲劇のもととなっていく。なんの神なのかと首をひねりたくなる時があるくらいだ。
「奥方様までそのような…」
さしものラエリウスも首筋まで真っ赤にしていた。
「とにかく、お前も年貢の納め時を迎えたという訳だ」
スキピオが、いい気味だといわんばかりに、ぐいとぶどう酒を呑み干した。
恐らく、親友の艶名を若干妬んでいたものであろう。
「は…なんとも思いがけぬ形で…」
ラエリウスは頭を掻いた。
夫妻の口撃に、料理になかなか手が伸びない。
「…でも、ミルトというお名前からすると…ギリシア人ですわね」
アエミリアが言った。
ローマの女は、氏族の名を女性化して自己の名とする。コルネリウス氏族ならばコルネリア、ユリウス氏族ならばユリアである。アエミリアも、アエミリウスを女性化したものである。あくまでも、家の女なのである。
「ええ。ギリシアの出だとのこと。でも、奥方のような血筋正しい者ではなく、奴隷の出であると申しておりました」
「そうか。奴隷であったのか」
スキピオ夫妻は顔を見合わせた。
それは、ラエリウスの将来を慮ったのである。なにかと血筋にやかましいローマ政界。赫々たる武勲を上げ、将来を期待される彼の栄進に差し障りにならなければよいが、という心配だ。
「よろしいのです」
ラエリウスは爽やかな笑みを見せた。
「私も、フラミニウス殿、そして、スキピオ殿に引き立てられ、今日がありますが、素を辿れば奴隷から解放されたプレプス。釣り合いが取れているというものです」
それは全く屈託のないもので、相対する者の気持ちをすかっとさせた。
「…そうか。お前らしいな」
スキピオは微笑を浮かべた。
「アエミリア」
「はい」
「身ごもった女の大変、出産の苦労は、男には分からぬ。しかも、同じギリシア出の女同士。何かと気遣ってやれ」
「はい。かしこまりました」
アエミリアは素直に頷いた。
「奥方様にそのような…」
ラエリウスは恐縮した。
「そのようにご遠慮なさることはありませんわ」
アエミリアは、にことした。
「…しかし。奥方様はラケダイモン(スパルタ)王家の出。ミルトは奴隷の出…」
「そのようなことを申してはなりません」
彼女はたしなめるように言った。
こういうときの語調は、王女であった頃の威厳が響く。
「は」
「私が気遣う相手は、我がローマの誇る武将、そして、我が夫の親友の奥方。そうではありませんか」
「は…」
がんといわれながらも、暖かな思いやりに、ラエリウスは涙ぐむほどに嬉しかった。
「ふふ。どうじゃ、ラエリウス。女とは大したものであろう」
スキピオは苦笑した。
彼も、時折、こうやってやり込められているに違いなかった。
「それはそうですわ」
アエミリアはけろりと言った。
「あなた方男は勇者となるやも知れませぬが、その男を産むのは女なのですから」
それは、まさに軍国ラケダイモンの女そのものの言葉であった。
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