新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

第8章シチリア・カンパニアの章

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 不思議な縁(さらにさらに続き)
 ある日。ラエリウスは言った。
「そんなにやってくれなくともよいぞ。別に、官にそなたのことを告げたりはせぬ。どこに行くも自由だ」
 言葉は交わさずとも、彼女の心が、日々穏やかになっていくのを感じた。
 家事に励む彼女の表情が、澄んだものに変わっていくのが見えたからだ。
(もう自由にしてやっていいだろう)
 そう思った。



 だが、彼女はぽつりと呟いた。
「私には行く場所など…ない」
 彼女はハンニバル軍の密偵。マニアケス直属の部下である。
 が、そこは、もはや彼女の戻る場所ではなかった。
「行く場所がない…か。それは困ったのう」
 ラエリウスは当惑した。
「ディキトゥスに頼むか…いや、あいつに頼むと、娼館に売り飛ばしかねんな。うーむ」
 あれこれ思案していると、ミルトは、彼の前に跪いていた。
「なんだ?どうした?」
「頼む…いや、お願いします。私を…ここに置いてください。何でもします」



「しかし…ここは狭いしの。私も高給取りではない。奉公人を雇う余裕は…」
 そう。ラエリウスは貧乏軍人であった。金に困ると、親友のスキピオの家に赴き、そこで御馳走になることも多々あったほどだ。
「金など要りませぬ」
「そういう訳にはいかん」
 ラエリウス、潔癖そうに首を振った。
「そなたのような乙女、まだまだこれからではないか。嫁入りの金も必要だ。ただ働きはさせられぬ」
 そう。この時代、ギリシア・ローマでは、嫁ぐ女性の実家は、婚姻の際に莫大な嫁資を夫の家に贈与するのが慣習となっていた。日本でいうと、男女を逆にした結納に当たろうか(近頃廃れつつあるが夫の実家から妻の実家に贈る)。結構な金額に上り、これが払えないため婚期を逃す、という話もちらほらあったとか。



「構いませぬ」
 ミルトは言い切った。
「お側に置いてくだされば」
「え…」
 ラエリウスは当惑した。
 潤んだ瞳で見詰められていたからだ。



「いや…それはいかん。そなたはタウレア殿の…」
 艶名絶えぬ彼も、こういうところの筋目にはこだわった。
「タウレア殿もお許しくださる筈。あなた様のような、寛仁の将の見守る中で最期を遂げた訳ですから」
「いや…しかし」
「ですから…ですから、お願いです」
 そういうや、ラエリウスに取り縋って来た。
(こういうつもりではなかったのだが…)
 彼は、愛の神エロスにでも弁明するかのように、言い訳した。
 だが、彼は、彼女の体を、いつの間にか強く抱きしめていた。
 そう。これもいい男の役回りなのであろう。羨ましいことだ。


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 不思議な縁(さらに続き)
「それで…その女は、まだそなたの家にいるのか」
 訊いていたのは、先頃元老院議員になったばかりの若きスキピオ。
「ええ…まあ」
 ラエリウスは照れくさそうに言った。



「お前…相変わらず、その道に関しては手が早いな」
 スキピオは呆れたように言った。
 苦みばしった美男で、将としての名声を獲得しつつあったラエリウス、ローマ女性の憧れの的になりつつあった。だから、彼にはいつも女性の噂が絶えなかった。
 スキピオが妻アエミリア一筋なのとは、全く対照的であった。
「いや…今回は、そのようなつもりは毛頭なく」
 ラエリウスは恥ずかし気に釈明した。
「でも、まだいるのであろうが。しかも、いつの間にか…」
「ええ、いつの間にか…なのです」
 男の親友同士ならではの、微妙なやり取りが続いた。




 そう。ミルトは、まだラエリウスの家にいた。住みついてしまったのだ。
 はじめの三日が過ぎた頃、ラエリウスは、彼女の足の鎖を外してやった。
「なぜ外す?」
 ミルトは敵愾心を見せた。
 だが、その瞳には、愛する人を失った直後の、あの狂気は消えていた。
「もういいだろう。好きな所に行け」
 ラエリウスは言った。
「寝首を掻くやも知れぬぞ…」
「掻くなら掻け。もう面倒だ」
 ラエリウスは、ごろりと横になった。
 なにせ狭い家であるから、彼女の隣に彼の寝台も置いてあった。
 間もなく、いびきを掻いて寝る彼の姿があった。何の警戒もしていない。
 ミルトは、短剣を握ってみた。
 が、すぐに鞘に収めてしまった。
 不思議なものである。憎しみがちっとも湧いて来ないのである。
 それどころか、である。
 彼女は何を思ったか、ラエリウスの体に、そっと寝具をかけてやった。



 それから、である。
 ミルトは、ラエリウスの家に住み着いた。いや、こまごまと働き始めたのだ。
 埃のたまった床を掃き、食事洗濯、甲斐甲斐しくこなしていく。
「どういう風の吹き回しだ?」
「働いてやっているのだ。好きにさせよ」
「横柄な物言いをする召使いだな」
 家の主人ラエリウスは苦笑した。
(見失った生きる道を、新たに見つけようとしているのであろう)
 そのうち消えるであろう、そう思った。
 だが、彼女は消えなかった。


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 不思議な縁(続き)
「勝手ではないか…」
 ミルトはつぶやくようにいった。
「なに?」
「あまりに自分勝手ではないか…。残された女たちはどうすれば良いのだ」
 涙をぽろぽろこぼしていた。
「お前たちは己の名誉のため殺し合いをしてそれで満足かも知れぬ!でも、残された女や子どもはどうすればよい!その嘆きがお前には聞こえぬのか!」
 彼女は、密偵として世を渡るうちに、女たちの憐れな悲泣に、胸を痛めるようになっていた。女が生きるには、あまりに惨い現実があった。
(女として生まれたこと、それ自体、不幸なのではないか…)
 そんなことを思うようになっていた。
 彼女は、やはり密偵として生きていくには、善性に出来すぎているようだ。



 ラエリウスは、まじまじと相手を見た。あたかも、世の女たちの非難が振りかかつて来たように。
「…そうだな」
「え?」
 ミルトは当惑した瞳を見せた。
「確かに、男どもの自分勝手な話だな。すまぬこと」
 彼は素直に頷くと、すっと立ち上がった。
「スープは残しておく。腹が減っていよう。食べよ」
「い、要らぬ!」
「強情を張るな。餓死してはタウレア殿の仇も討てなくなるぞ」
 そう言い残すと、ラエリウスは家を出ていった。



 しばらくは身じろぎもしなかったが、やがて、猛烈な空腹が彼女を襲った。
 そう。タウレアの死に際を見届けること、そればかりを考え、この数日ろくに食べていなかったのだ。
 やがて、彼女は、鍋からスープをよそい貪るようにすすりはじめた。
 呑み込みながら、彼女は嗚咽していた。いや、泣きじゃくっていた。幼児が訳も分からず泣き出すかのような、無心な泣き声であった。


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 不思議な縁 
 ここローマのとある下町の一画。
 香ばしい匂いが漂って来る。どうやら、スープをつくっているようだ。
「うう…」
 ミルトはうめき声を上げると、意識を取り戻した。
「目が覚めたか」
 ラエリウスが声をかけた。そう。ここは彼の家であった。
「あっ!貴様!」
 寝台から飛び上がろうとしたが、途端に右足がぐいと掴まれた。
「あっ、な、何だ?」
「悪いな。寝首を掻かれてはたまらぬから、足に鎖をつけさせてもらった」
 鍋をぐいぐいかき混ぜながら、ラエリウスはいった。
 大食漢と見え、鍋には、並々と汁が湛えられていた。



「おのれ…私をどうするつもりだ!」
 彼女は、女としての本能か、体を縮めた。
「おいおい。勘違いするな」
 ラエリウスは苦笑した。
「タウレア殿の女を襲うほど、女に不自由はしておらん」
「…では、なぜ?」
 狐疑を光らせて問うた。
「そのように警戒するな。…食べるか」
 スープを椀によそって、彼女の前に差し出した。
「要らぬ!仇に施しをうけるいわれはない!」
「仇か…」
 ラエリウスは再び苦笑した。
 仕方がないとスープをすすり始めた。むしゃむしゃ食べ、ごくごく呑んでいく。若人の食欲そのものである。



 やがて、ラエリウスは椀を置いた。
「そなたには分かるまい」
「何が…だ?」
「戦場で相対する将と将の、心の持ちようだ」
「心の持ちよう…」
「戦場では、眦決し剣を交えるも、それは決して憎しみからではない」
 彼は言う。一兵卒は命を惜しむ。だから、敵を憎む。己の命を奪おうとするからだ。
「だが、将は違う。名誉を惜しむ。だから、敵を尊ぶ。生死を共にする相手だからだ」
 不思議な感覚ではあるが、名誉に生きる者というのは、死を越えた所に己の存在意義を求めようとする。となると、必然、好敵を求め、相手を畏敬する気持ちが高ずる。なぜならば、相手も同じく自分を好敵と見て挑戦して来ているからだ。
「タウレア殿の死に様をそなたも見たであろう。彼は真の武将。あのような御仁と戦えたことは幸せであった」
 ラエリウスは、しみじみといった。


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 脱兎の如く(続き)
 ラエリウス、敵将タウレアの最期を、じっと見詰めていた。刑が終わり、人々が立ち去ってからも、彼は一人たたずんでいた。
 カラヴィウスらの見苦しい死に際を見た後だけに、清々しささえ覚えていた。
(天晴な最期。お見事)
 感銘を受けていた。



 だが、そんな彼の背後に、小さな影が忍び寄っていた。
「覚悟!」
 いきなり短剣を手に飛びかかって来た。
 ラエリウス、抜く手も見せず、短剣を振り抜いた。
「ああっ!」
 その影は悲鳴を上げ、剣を弾かれた衝撃に地に転がった。
 ラエリウス、振り向くと、きっと睨み据えた。
「何者だ。このフォルムでの狼藉、許さぬぞ」
 彼の誰何に、その影は頭巾をぐいと上げた。
 ミルトであった。



「女か…。なぜ私に刃を向ける?」
 彼はミルトの顔を知らない。
「愛する人の仇!」
「愛する…」
 ラエリウス、瞳を大きくした。
「そうか…そなた、タウレア殿の」
「覚悟!」
 ミルトは、剣を拾い上げると、再び脱兎の如く飛びかかって来た。
 だが、技量では格段の相違がある。
「むんっ」
 ラエリウスは、目にも留まらぬ身のこなしで切っ先をかわすと、ずんと彼女の体に当て身を入れた。
「う…」
 ミルトは、うめくと、その場に気を失った。



「仕方のない兎だな…」
 ラエリウスは、そんな風に呟くと、彼女の体を肩に抱きかかえた。
 そして、いずこかに去っていった。


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