新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

第8章シチリア・カンパニアの章

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索


https://novel.blogmura.com/novel_historical/ にほんブログ村

ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)



 脱兎の如く 
 翌日。カプアは開城した。
 ローマ軍は堂々入城した。
 紀元前211年夏、反旗を翻してから五年、カプアはついに落城した。
 ローマは直ちに戦後処理に取りかかった。それは当然ながら苛烈なものであった。
 まず、自治権は奪われた。カプアはローマの植民都市同然の地位に降格となった。
 叛乱に与した市民は市民権を剥奪され、奴隷身分に落とされた。
 同盟を裏切った戦犯たる指導者たちは全てローマに連行された。
 彼らは古式に則り処断された。フォルムで衆人環視の下、まずは散々に鞭打たれ、最後には斧で斬首された。
 鞭打たれ悲鳴を上げるカラヴィウスらに対し、ローマ市民は、容赦なく嘲笑と罵声を浴びせた。市民からすれば無理もない。カプアの反旗により、ローマは一時滅亡の危機に陥ったのであるから。




 そして、タウレアが、刑場となったフォルムに引き出された。
「タウレア殿、お覚悟を」
 そういったのは、警護に当たるラエリウスであった。
「ふふ。この期に及んでじたばたはせぬ」
 タウレアは苦笑した。
 彼は引かれながら、フォルムを見回した。そこには、敵意に満ちあふれた人々の視線が無数にあった。
(これが…私の最期の光景か…)
 不思議な感がした。一昔前まで、ローマ市民とカプア市民はとても仲が良かった。互いに友情を結んでいた有力者も多かった。なのに、その人々の憎しみを買い、こうして死んでいく。
(あ…)
 彼はある視線を見つけた。それは、自分に対する慈しみで溢れている。
 頭巾を被り、明らかに人目を憚っていたが、彼の様子を必死に見届けようとしている。
(ミルトだ…来てくれたのか…)
 タウレアも、彼女の瞳に、必死に頷き返していた。




 やがて、ラエリウスの声が響いた。
「続いて、カプアの将、タウレアに対する刑を執行する」
 タウレアの上半身を裸に剥かれた。
 リクトル(警吏)が手にする鞭が振り上げた。途端、ぶんと振り下ろされた。
「うっ!」
 この鞭打ちで、罪人の皮は裂け、背は血みどろとなった。どんなに気丈な者でも、鞭打ちの途中で気を失ったとか。
 だが、タウレアは、まっすぐ見詰めていた。ある人の顔を見詰めていた。
 そして、いよいよ。
(ミルトよ…さらばだ…達者に暮らせよ。女の幸せを手に入れよ)




 彼の頭上に、大きな影が覆い被さった。
 紀元前211年盛夏。
 カプアの勇者タウレアは、ローマのフォルムで露と消えた。


https://novel.blogmura.com/novel_historical/ にほんブログ村

ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)


 落城の時(続き)
「な、なにっ、暴徒が屋敷を囲んでおると!」
 カラヴィウスは仰天した。
「早く、早く裏口からお逃げください!」
 執事は、寝室の壁の一部をぐいと押した。すると抜け道が現れた。
 そう。こんな時のため、カラヴィウスは隠し道を用意してあった。
 カラヴィウス、寝間着のまま通路をひいひい通っていく。なにせ、立派な肥満体、通り抜けるのも一苦労。
 やがて、表の通りに出た。
「なんとか、逃げ果せたようだな」
 ほっとした。
 だが、それは、彼の思い違いであった。
 既に、そこには真っ黒な群れがあった。



「あっ!」
 彼は逃げようとしたが、すぐに取り囲まれてしまった。
「この期に及んで逃げる場所があると思うたか」
 怒りの人々が、今か今かと待ち構えていたのだ。中には見覚えのある顔も。そう。家人からもカラヴィウスは見放されていたのだ。抜け道など意味をなさない。
 市民はわっと飛びかかった。そして、カラヴィウスをぐるぐるに縄でくくると、有無を言わさず引き立てていった。
 同じ頃には、カラヴィウスに連なる主だった面々は、悉く捕らえられていた。なかには、覚悟の自決を遂げた者もあったとか。戦後のローマの報復を思えば、むしろ、それは賢明であったろう。
 あの人の良いカルタゴ人指揮官カルタロも、覚悟を決め自決を遂げていた。



 タウレアの身にも、怒りの市民の手が迫っていた。
 かつては勇者と謳われた彼も、カラヴィウス政権の一翼を担う身であったのは否定し得ない。当然、戦犯の一人として訴追されるべき存在。
 群衆は彼の屋敷を取り囲んだ。
「タウレア様!市民が押し掛けております!」
 執事が青い顔を抱えて転がり込んで来た。
 対するタウレアは、静かなままであった。
「…そうか」
 瞑目してあった。彼は、この事あることを当然の如くに予期していた。
「分かった。すぐに出よう。身支度する猶予を一時頂きたいと申しておけ」
「よ、よろしいのですか。表に出れば暴徒と化した市民に何をされるやら」
「それが指導者たる者の務め」
 タウレアは僅かに唇の端を綻ばせた。
 国の存亡を賭けた戦いに敗北した以上、たとえ、開戦にいかなる正当な目的があろうとも、指導者は責めを負わねばならぬ。それが、敵国の報復という形をとろうとも、自国民の蜂起であろうとも、である。それが指導者の矜持だからである。



 タウレアは、奥の部屋に向かうと、ある女性と最期の別れを惜しんでいた。
 それはミルトではない。彼の妻であった。
 彼の妻は、ミルトの許に走り自分を捨てた夫タウレアの最後を見届けるため戻って来ていた。そこは名家の娘。譲ることの出来ない女の矜持であったのだ。
「そなたにとって、私は良い夫ではなかった」
 タウレアは妻の手を取り素直に詫びた。
「…いえ」
 妻も分かっていた。夫から離れて、それが分かった。夫の心の移ろいが。
 幾多の敗北の苦痛に苛まれ、ついにミルトの誘惑に揺れ動いてしまった、勇者であるタウレアならではの苦しみが分かった。



「…では、参る。達者で暮らせよ」
 タウレアは、妻の肩をそっと抱いて囁いた。
「はい」
 タウレアは、将軍としての正装に着替えると外に出た。
 群衆は彼を取り囲んだが、縄は打たなかった。静寂の中を、彼を連行していった。
 その始終を、彼の妻は見詰めていた。夫の最後の姿を目に焼き付けるかのように。


https://novel.blogmura.com/novel_historical/ にほんブログ村

ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)



 落城の時 
 ここカプア城内。
「そうか…ハンニバル殿はそのように申されたか」
 ミルトは床にうずくまり、泣きじゃくっていた。
 事を伝えたのは、カルタゴ人指揮官のカルタロ、ではなくタウレアその人であった。
「申し訳なく…あまりに申し訳なく」
 彼女は、どうやって戻って来たか、それすら記憶が定かではなかった。
 とにかく、愛するタウレアに詫びねばならぬ、その一心で戻って来た。
 タウレアは、そっとミルトの肩に触れた。
「もうよい。そのように嘆くな」
「でも…でも…」
「ほら、顔を上げよ」
 愛する男は、彼女のあごをくいと上げた。
 ミルトが泣きはらした顔を上げると、そこには、いつもの穏やかな笑みを浮かべたタウレアがいた。
「こんなに泣いて…」
 すっと指で拭ってやる。



「タウレア様…私は」
 ミルトは自身の正体を明かそうとした。そのことも詫びねばならぬ、そう思い詰めていたのだ。
「言わずとも良い」
 タウレアは遮った。
「分かっていたよ」
 男は笑った。
「え」
「そなたが、はじめ、ある思惑で近づいて来たことぐらいは」
「で、では、どうして?」
 自分を愛してくれたのか、ということだ。
「そなたは無垢であった。私を愛してくれることに無垢であった。偽りなきことが分かったからだ。違うか」
 ミルトは首を振った。
 そう。密偵として近づき、男の愛情に触れ、真実愛していった。
「ならば、それでよいではないか。私とそなたの愛は、誰にも恥じることはない」
「はい」
 タウレアはすっくと立ち上がった。
「私は、最後の最期まで武人としての誇りをもって生きる。その姿をよく見ておれ。ミルトよ」
「はいっ」
 ミルトは頷いていた。



 カプアを巡る激戦は続いた。
 カプア軍将兵は、これを一期と必死に戦った。
「怯むな!」「カプア人の勇武を見せるは今ぞ!」
 タウレアは城壁の上で、将兵を鼓舞し、また叱咤した。
「ござんなれ!ローマ兵よ!」
 自らぶんぶん矢を放った。
 そばで、少年兵が懸命に矢を差し出している。ミルトである。
 熾烈な戦闘の渦中、ローマ軍の指揮官プルクルスは戦死した。



 だが、ローマ軍の強みは雲の如き湧き出る人材。
 包囲軍には、プルクルスの同僚執政官であったフラックスがいたし、そして、クンクタトール・ファビウスが健在、さらには、猛将にして名将マルクス・マルケルスが一軍の采配をとっている。
 そう。所詮、カプアには、勝ち目のない戦いであった。
 必然、カプア市内に急速に厭戦の空気が充満していく。
「このままでは祖国は滅亡してしまう」
「暴君カラヴィウス一派を打倒せよ!」
 ある日、ついに反カラヴィウスの市民が決起した。
 不満が頂点に達していたため、あっという間に、それは激流となって押し寄せた。
「カラヴィウスを捕らえよ!」「側近どもも逃がすな!」
 手に手に武器を取り、群衆はカラヴィウスの屋敷を取り巻いた。


https://novel.blogmura.com/novel_historical/ にほんブログ村

ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)



 断ち切られた希望(続き)
「…そうか。ミルトが帰って来てそのように申しておるのか」
「あまりに痛々しく、つい閣下に取り次ぐと申してしまい…」
「余がカプアに向かわぬことは、そなたも分かっていようが」
「はい。重々承知しております」
 ローマ攻めから退却する折に、ハンニバルの描く戦略は、以前とまるで異なるものに変じた。百八十度の変革といっても差し支えない。
 それは、都市防衛に拘泥しないということ。つまり、それはカプア救援を断念した瞬間であもった。




「ならば、ミルトにこう申すが良い」
「は」
「ハンニバル、カプア市民を守る術を失った。降るも逃げ出すも自由。カプア市民の自由な決定に委ねる、と」
「は…」
 といったマニアケスであったが、その場を動かなかった。
「どうした?」
「は。それで、あの一途なミルトを承服させることはできまい、と」
 それはそうだ。ミルトはタウレアを救いたい一心。タウレアたちが脱出出来るほどならば、ここに援軍を頼み込んだりはしないであろう。
「そなたが言葉を添えよ」
「はい。いかなる言葉を」
「総司令は私の進言に一切首を縦に振らなかった、と。てこでも動くところではなかった、と。こう言うてやれ」
「しかし…それでは閣下の体面が」
「諦めさせることだ」
 ハンニバルはずしと言った。
「諦めさせるには、余にその意思のないことをはっきり告げるしかあるまい。そういうてやれ。余の体面など気遣う必要なし」
 無駄な希望を抱かせることこそ罪なことはない。ハンニバルはそのことを言っているのだ。これは彼なりの配慮であった。




 マニアケスは自分の幕舎に戻り、ミルトにそのままを告げた。
 言葉を切り出すのが、これほど辛いと思ったことはなかった。
「そ、そんな!」
 果たして、ミルトは愕然とし、そしてマニアケスに取り縋った。
「お願いです!なにとぞカプアに救援を!御主君にお目通りを!」
「無理なのだ」
 マニアケスは繰り返すしかなかった。
 彼女はこんこんと言い聞かせた。ハンニバルの深慮の何かを。
 だが、自分の言葉が、ミルトの心に何の響きも与えないと分かっていた。それは、彼女もかつて愛する人を失った過去があるからだ。愛する人間に、その愛の断念を迫るが如き言葉は、決して届くことはないのだ。




「あああ」
 ミルトは叫ぶと、ふらと立ち上がった。そして、幕舎の外に飛び出した。
「ミルト!どこへ行く!」
 マニアケスも追いかけて飛び出た。
 だが、その時には、奇声を上げて駆けていくミルトの姿が遠くに消えていった。


https://novel.blogmura.com/novel_historical/ にほんブログ村

ランキングに参加しています。お越しの際には応援の1クリックをお願いいたします(1日1回有効)



 断ち切られた希望 
 その頃、ハンニバル軍は各地を転戦していた。
 まず、レギウム近郊を進発すると、カラーブリア地方に戻った。
 ここには、今や最大の拠点となったタラスがある。そして、ハンニバルに味方する港湾都市が幾つも点在する。
「この地域を拠点に、自在に出撃し、ローマ軍に打撃を与える」
 その言葉の通り、アプリア地方に再び進攻すると、サラピアを占領した。
 そう。戦略を一大転換して以降、ハンニバル軍は自由に動き始めていた。



 密偵の頭目マニアケスも、この地域を飛び回っていた。
「ここの土地はどうなっている」
「そなたはあの都市に潜り込め」
 配下の密偵に矢継ぎ早に指示を繰り出す。
 なにせ、ハンニバルが超多忙、ということは、必然彼女も超多忙。
 そんなとき、彼女付きの副官がやって来て、耳許でひそと囁いた。
「なに…戻って来たのか…」
「は。大変なお姿になられておりますが…」
 副官は辺りを憚るようにして言った。
「うむ。会おう」
 その人が現れた。
 ミルトであった。いや、はじめミルトであるかどうか、分からなかった。
「その姿は…どうした!」
 マニアケスが驚いたのも無理はない。
 いつもの娼婦の姿ではない。農婦に扮しているのは分かるのだが、泥や埃にまみれ、頭巾をかぶり、容貌が見えないほどに薄汚れた服装に身を包んであったからだ。



 そのミルト、寂しげに微笑んだ。
「ローマ兵に辱められぬよう、このようななりをしております」
 勝利軍の兵士は興奮している。女は襲われることもままあった。
 古今を問わず、女が襲われぬ工夫の最善は汚れてあることだ。汚物にまみれても良い。女の匂いを消すことが最善。男の欲望も冷めるであろうからだ。
 マニアケスは勘付いた。
「お前…やはりタウレアのことを…」
 密偵ならば、ときに自身の体を差し出しても生き抜かねばならぬ。それが生き抜く術と、マニアケスはミルトに叩き込んであった。良家の子女の如き貞操に意を払うな、と。凄まじい教えであったが、生命の瀬戸際で生きる女密偵には、その覚悟が必要であった。
 その密偵が貞操を守ろうとしていること、これ即ち、ある男を想っている証左。



「はい。愛しております」
 彼女ははっきり答えた。
「それゆえ参りました。何とぞ、御大将にお目通りを」
 自分の愛に自信を持つ、女の凛とした響きがあった。
「…目通りしてどうする」
「無論、カプア救援をお願いいたします。そして、カプア市民を、そしてタウレア様のお命をお救い遊ばすよう、お願いいたします」
 一途に願う彼女、途中から、涙の粒を頬にこぼしていた。
 涙が、まみれた埃を洗い流していくように、可憐な美貌が面に現れて来る。
 そんな彼女を見詰めていたマニアケス、すっと立ち上がった。
「…待っておれ。ハンニバル閣下に取り次いでみよう」


.
アバター
Dragon
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

Yahoo!からのお知らせ

友だち(3)
  • 時間の流れ
  • JAPAN
  • ダイエット
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事