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歴史を物差しに(続き)
その頃。
ローマ軍の陣営は、ジスコーネの予測通り大勝利に沸き立っていた。
スキピオの幕舎は、戦勝言祝ぐ将たちが詰めかけ溢れかえっていた。
「閣下の見事な采配による堂々の勝利。本国の分からず屋もぐうの音も出ますまい」
軍団長マルキウスは、本国の反スキピオ派が目の前にあるかのように、どうだといわんばかりに誇ってみせた。
これまでのスキピオの戦勝は全て奇襲によるもの。だから、偶然が幸いしたに過ぎぬと過小評価する向きもあったのだ。
それが、堂々の会戦で勝利を収めたのであるから、ということでスキピオ支持者たちは溜飲を下げていた訳だ。そう。いつの間にか、スキピオ麾下の部将たちは、誰もが熱烈なスキピオ支持者となっていた。
「左様。はじめ敵前での旋回など無謀なことと存じましたが…。敵の象軍の鈍重を考慮に容れたものであったとは。いやはや、まこと感服いたしました」
老将シラヌスも白い髭の顔を綻ばせていた。
この老将も、当初はスキピオの目付役であった筈だが、近頃は若者たちに劣らずスキピオに傾倒を見せ始めていた。
ローマ陣営は、このように誰もが空前の勝利に浮き立っていた。
だが、なにゆえか、当のスキピオはつまらなさそうな顔をしていた。
座がやや静まると、
「諸君は…」
おもむろに口を開くと、冷笑を浮かべた。
「随分と喜んでおるの」
彼をよく知る人は、それが彼の不機嫌な時と分かった。
「なにか…お気に召さぬことがありまするか?」
おずおずそう訊いたのはヘレンニウスである。
「鉱脈を探し当てながら、小さな宝玉を掴んで嬉々とし、みすみす大きな宝玉を見逃す始末となっては、不機嫌にもなろうて」
「小さな宝玉…とは何のことですか?」
「今回の会戦の勝利」
「では、大きな宝玉とは何のことで?」
「ヒスパニア全土だ」
「え…」
ヘレンニウスは目を点にした。
「確かにジスコーネは敗れた。だが、彼にはまだ大軍が残っておる。しかも、彼の権威をもってすれば、再び大軍を集めることも不可能ではない」
調べたところによれば、ガデスには金銀物資が山と積まれていること。もし、彼がガデスに戻り態勢を立て直せば、再び容易ならざる事態となろう、と言った。
「我らは、強敵となった彼と再度相見えることとなろう」
その口吻は、ちっとも勝者のそれではない。
スキピオは知っていた。
(一時の勝敗など、歴史の物差しで見れば、どうにでも転ぶもの)
少年時代、間近に見たクレオメネスを見れば分かる。彼は勝利に勝利を重ねた。だが、最後のセラシアの戦いで敗れ、覇座を失い祖国を失った。
また、ハンニバルの父ハミルカルの事績もそれを証明している。ローマとの戦いに常に優勢に戦った。傭兵の乱にも勝ち抜き無敵の英雄と讃えられた。その彼も、イベリア人の奇襲に敗れ、濁流に命を失った。
だから、スキピオはこう言った。
「きっちり最後まで克ち取らねばならぬ」
「それは…追撃せよ、ということですか」
マルキウスが訊き返した。
「そうだ」
「それは念頭にありまするが…今宵はこのような豪雨。明日、晴れた後に追撃にかかっても遅くはありますまい」
「貴君はジスコーネを知らぬような」
「え?」
「彼は、戦場においては狡猾を信条とする男。その彼が、この豪雨を見て何と考えるか」
「あ…」
軍団長マルキウスも、父スキピオに従い、幾多の修羅場を踏んで来た男。戦勘は人並み外れている。
「まさか…この豪雨に紛れて…」
「貴君がまさかと思うのであるから、それを利用しない手はない、と私がジスコーネならば考える」
「あああ…」
マルキウスはうめき声を上げた。
それは、人間が何かに思い至ったときに、しかも、それが事の真相であると確信した時に発せられる、生命の声であった。
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