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対面(さらに続き)
「ふふ」
ジスコーネ、再び笑った。
だが、頭脳の裡では、目まぐるしく只今の局面を計算していた。
(我が軍が依然優位にあることに変わりはない。…だが、スキピオの存命を知った味方は動揺していよう。しかも敵は万全の態勢で待ち構えている)
「よかろう」
ジスコーネは言った。
「今日は引き揚げよう。そして、然るべき時に決戦いたそう」
「それがよろしゅうござる」
スキピオ、小さく頷いた。
同意を見ると、ジスコーネ、マニアケスを傍らに呼び寄せた。
「後方の部隊より引かせよ。次に左右の歩兵、そして、象軍、最後に両翼の騎兵だ」
ここでも彼は慎重であった。決してスキピオの言葉を鵜呑みにしない。
もし、一斉に背を向けて、そこにローマ軍の総攻撃があれば、いかに兵力優位であっても隊列が崩壊してしまうであろう。
「かしこまりました」
マニアケス、頷くと後方に駆けていった。
間もなく、カルタゴ軍は整然と退却していった。後方部隊から静々と、そして、前方にいた歩兵が踵を返して歩き始め、間もなく象が向きを変えて後退を始め、その退却を見守っていた騎兵隊が馬首を巡らせ、駆け出した。
「さすが、ジスコーネ殿。退却は難しいものだが、見事なものだ」
スキピオは、しきりに感心していた。
「よろしかったのですか?」
そう訊いたのは密偵のハンノン。彼もギリシア語を解する。なにせ、表向きの顔は商人なのであるから、地中海世界の共通語たるギリシア語の理解は不可欠。
その彼、今はリクトル(警吏兵)の装備に身を包み、謹厳なローマ武人そのものの姿であった。
「戦機は訪れなかったよ」
スキピオはそういって笑った。
実は、ジスコーネがここで油断を見せれば遠慮なく攻撃するつもりであった。
(敵は、戦場では狡猾無類なしとされるジスコーネ。ならば、こちらも狡猾に振る舞うことに躊躇してはならぬ)
だが、敵は一分の隙も見せずに退却していった。
「しかし、今日は有意義であった」
「知己でもあるジスコーネ殿と久方ぶりに語り合えたからですか?」
「いや…ジスコーネ殿の布陣を一通り確かめることが出来たからだ」
「はあ…」
ハンノンの目には、スキピオがジスコーネと打ち解けて話すのが奇異ですらあった。なにせ、ここは戦場。殺し合いの舞台なのだ。
だが、両将は、それをちっともおかしなものとはしていない。
(この御仁は…やはり不思議な御方だ)
ときにポセイドンの加護ありと味方を奮い立たせたかと思えば、緻密な戦略も立てて見せる。ときに大楯で自分を守らせる用心深さを見せたかと思えば、バエクラでは自ら敵陣に突入する果敢も見せる。そして、今は敵将と、それも自分の父親を討ち取った敵将と、旧友に相対したかのように語り合って見せるのだ。
「全ては、互いの立場の相違に基づく」
スキピオは言った。
あたかも相手の不思議とする点にずばり答えるかのように。
「ジスコーネ殿は、なにもローマ憎しという思いで向かって来ているのではない。それは討たれた父も同じである。カルタゴ憎しということで戦っていた訳では決してない」
「なるほど…」
とはいったものの、ハンノン、理解できなかった。
敵と相対すれば、問答無用、直ちに仕留める、それが密偵の裏街道に生きて来た彼の人生哲学だったからだ。
「ハンノン殿、覚えておくがよい。憎しみに我を忘れた者に勝利などない。私は、ローマが勝利するために必要ならば、ジスコーネ殿は無論、ハンニバルも赦してみせよう」
「ほおお…」
ハンノン、深い感嘆の息を吐いた。
表情は変えなかったが、心の内では度肝を抜かれていた。
(敵を…赦す)
なにせ、この時代は弱肉強食。勝者は絶対なのだ。
敗者は、勝者に己の全てを、委ねるしかないのだ。
それを赦す。時代の感覚を、遥かに超越していた。
だが、何ゆえか、震えるほどの畏敬の念を覚えた。あのバエクラの戦いの折に見た笑顔に衝撃を受けたとき以上に。
(この人物は信ずるに足りる。いや、信じずにはおかせぬ人品が備わっておられる)
彼は確信した。
「分かりました」
ハンノンは、にやっとした。
「ならば、我が才能を存分に活用して下され。閣下の大望のために、このハンノン、身を粉にして働いてみせましょう」
そう。彼は、ここで再び歴史の潮流に飛び込む決意をしたものだ。
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