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兵力所望
明けて紀元前206年。新カルタゴ。
ローマ軍の陣営は沸きに沸いていた。
スキピオの弟ルキウスがオロンギスを攻略したのに続いて、副将格のマルクス・ユニウス・シラヌスが、カルタゴ本国から新たにやって来たハンノン率いる大軍を撃破し、ハンノン以下全てを降伏せしめたからである。
「これで、ジスコーネ率いる勢力はイリパ以西に閉じ込められた」
「ヒスパニアから退散せねばならぬ日も、そう遠くはあるまいよ」
かつてカルタゴのヒスパニア統治の本拠だった街とは思えぬほどに、ローマの勝利に沸き立っていた。現金なもので、民草というやつは、平和と繁栄をもたらしてくれる統治者であれば、誰でも差し支えなかったのである。
だが、この時、司令官スキピオは深刻な悩みを抱えていた。
「兵が足りぬ」
この頃、ローマの支配は、タラコから新カルタゴ、さらにはバエティス川上流のカストゥロ、バエクラ、オロンギスと広大な領域に及んでいた。各地にそれなりの守備の兵力を割いて、となると、前進する兵力がてんで足りないのだ。カルタゴ最後の拠点ガデスへ進撃するなど思いもよらない。
そのため、イベリア人部族に兵の徴募を呼びかけたものの、反応はすこぶる芳しくなかった。否、それどころか、逆心を抱いていると疑われる部族も散見された。
「これは一体どういう急変か」
ローマ軍は連戦連勝、そして、スキピオの穏やかな統治の恩恵を蒙っているにもかかわらず、ローマから心が離れ始めているのだ。
そのことは、ミルトの諜報によっても裏付けられていた。
「どうやら、ジスコーネが巨利をもっての内応を促しているようで、それに心揺らいでいる模様。既に意を通じている部族も少なからずある気配」
「なんたること…」
スキピオは顔を歪めた。
イベリア人部族は、父スキピオから離反した罪を許され、スキピオの許に保護されていた妻子を取り戻し、感謝の涙を流して忠誠を誓った筈であった。なのに、もうローマを裏切る準備に精を出していると聞いては、いかに徳性豊かな人間でも、舌打ちせざるを得ないであろう。
「なるほど…この有様では、我が父が統治に並々ならぬ苦心をしたというのも、土壇場に彼らに背かれたというのも、得心出来るというもの」
この時ばかりは、スキピオも、いいようのない苦渋の色を見せていた。
とはいえ、逡巡している暇はなかった。
あと一押しすれば、このヒスパニアからカルタゴ勢力を駆逐出来るのだ。そうなれば、戦局は大きくローマの側に傾くであろう。
なのに、である。現実は、カルタゴのガデス政府の財力にものを言わせた調略に、イベリア人部族は引き寄せられ、族長たちがひきもきらず伺候し、あまつさえ今春の出兵を約束したという。
ジスコーネは、春の到来と共に、大軍で押し出して来るに違いなかった。
(もし、後手に回れば…)
ジスコーネの威風堂々の進軍を目の当たりにすれば、イベリア人部族は心変わりするに違いなかった。そうなれば、新カルタゴの財宝−大半は運び去ったが−に目がくらんだ部族は豹変し、ここに殺到してくるであろう。
(何が何でも機先を制さねばならない)
ジスコーネが大軍を集結し終える前に、イリパに進撃しなければ、現在の優勢はたちまち瓦解しかねなかった。
近頃、ジスコーネが、ガデスにあって日々饗宴に耽っているという情報がしきりに流れていることにも、
(臭い。我らを油断させる手に違いない)
と一倍警戒を強めていた。
(兵力が必要だ。とにかくもう少しなければ、どうにもならぬ)
今、後方の守備に回す兵力を除くと、直ちに動かしうるローマ軍の兵力は、増強されたとはいえ三万余。対するジスコーネに呼応した部族を数え合わせると、その兵力は軽く十万を越えるほどに膨れ上がる虞があった。
(これは容易ならぬ事態…)
背筋が凍る思いであった。圧倒的大軍の威容を眼前に見れば、今なお味方にとどまるイベリア人部族の動揺も押さえきれないであろう。
将兵から喝采を浴びるスキピオは、勝利に得意になるどころか、それとは対極の漆黒の不安に苛まれていた訳だ。
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