新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

第11章ザマの章

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 使節の人選(続き)
「いやさ。それぐらい分かっていたよ」
 ハンニバルは、そう言うのだ。
 戦場での血みどろの働きが続けば、そういうこともあろう、と。
「むしろ、そなたが冷徹に事をし遂げ続けていた、あの折の方が不気味であった」
 かつての上司はそう白状した。
「そなたは、まっとうな人間に戻ったのだ。ただ…」
「は?」
「あの折には、そうは言えなんだがな」
 ハンニバルは苦笑した。




「今日お招き頂いたのは?」
「ローマとの和議のことだ」
「やはり」
「分かっていたか」
「は。只今の元老院の混乱ぶりを見るにつけ、総司令も誰を前面に立てるか、さぞお悩みのことと存じまして。…しかし、それがしに務まりましょうか?」
「そなたならば出来るであろう」
「はて、それは買いかぶりでは」
「できる。そなたは生死の境をくぐり肚が据わっておる。スキピオとも相対できよう」
「総司令…」
 ハンニバル船長は体の芯がじんとなった。
 それは、かつてハンニバルに仕えていた時の高揚感に似ていた。この人物のため、いかなる難事でもし遂げてやろう、その気概だ。




「総司令。譲れぬ一線を仰せ聞かせ下さい」
 それは、和議の交渉において最低限守らねばならぬこと。つまり、この線は、命を張ってでも守らねばならぬ。
 ハンニバルは頷いて、それを挙げていく。
「まずは、何をさておきカルタゴ国家の生存・独立。次に、本国領土の大部分の確保。そして、国家の耐え得る賠償額に抑制することだ」
「いくらまでならば?」
 ハンニバル船長は問うた。
 スキピオにカルタゴを滅ぼす野心はない。だから、第一と第二を達するのは容易だ。だが、見通せないのは第三の賠償額がどこまで吊り上がるかということ。これが天文学的金額になれば、結局カルタゴ国家は耐えきれず潰れてしまうであろう。





 だが、ハンニバルの思考は明快であった。
「巨額でもよい。年賦が支払い得る額であれば直ちに受け容れよ」
 ここは、まずは何としても講和条約を締結し、カルタゴ国家の存立を図ること。後図を思うのは、全てが成ってのこと。


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 使節の人選
 ハンニバル船長。彼のことを覚えているであろうか。
 かつて、ハンニバル軍の密偵として活躍した人物だ。
 敵将マルケルスを討ち取った後、彼の遺骨を遺族に届けることになった。だが、マルケルスの呆気ない死に様、そして、遺骨を納めた宝石箱を巡り部下が争い、遺骨は大自然に散ってしまった。その瞬間、人生の無常を卒然悟り、そのままハンニバル軍を脱し、家族の許に逃げ帰っていた。
 本来ならば脱走の罪で重罪人の筈だが…。




「彼がいたか…」
 ハンニバルは愁眉を開いた面持ちとなった。
「は。一度はエジプトに移住していたようですが、商人として成功を収めて帰国し、元老院議員の一人になっております」
「それは幸い。すぐに呼んで来てくれ」
「お咎めなさいませぬか」
 マニアケスは念を押すように訊いた。
 脱走の罪を問わぬか、ということ。ハンニバルは、軍律に厳しいことで知られていた。
「咎めるものか」
 ハンニバルは苦笑した。
「戦争は終わったのだ。むしろ、彼がいるのは天恵。急ぎ呼んで参れ」
「は、直ちに」




 その夜。二人のハンニバルは対面した。
「総司令、よくぞ御無事で…」
「そなたもよく来てくれたな」
 ハンニバルは隻眼に穏やかな笑みを湛えた。
 ハンニバル船長、しみじみと丸腰となったハンニバルを見詰めた。
(総司令は変わられた…)
 かつてイタリアにいた頃は、常勝と讃えられながらも、四囲を敵に相対していた緊張からか、ついぞこんな温和な表情を見ることはなかった。




 そのハンニバルが口火を切った。
「マルケルスの後、汝は去ったの」
「申し訳ございませぬ。あの折…」
 マルケルスの遺骨が大自然に消え往く様を見て、無性に家族に会いたくなり、脱走してしまったことを素直に白状した。


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 勝者と敗者(さらに続き)
 その時、その扉が叩かれた。ハンニバルは現実に引き戻された。
「誰か」
「マニアケスにございます」
「入れ」
「失礼いたします」
 彼女も平服に戻っていた。
「ご指示の件ですが」
「む。どうであった」
 ハンニバルは、帰還の前より、マニアケスにあることを密かに命じていた。
「元老院は色を失っており、大混乱に陥っております」
「そう…であろうな」
 小さく息を吐いた。
 彼は、元老院の現状をつぶさに把握し、知らせよと命じてあった。
 カルタゴ側の態勢が整っていなければ、ローマと交渉も出来ない。




「ハンノンはどうしているのだ」
 ハンノンとはボミルカルの子で、かつてハンニバルの部将であった男。最高行政官スフェスの彼である。
「は…。ハンノン様も茫然自失。それゆえ混乱に拍車がかかっております」
 元老院はハンニバル与党のバルカ党が制していた。
 かつての大ハンノンの党派(内地派)は、ザマの決戦直前の政争で潰滅。即ち、バルカ党の混乱は、国家意思を形成する政治集団の不在を意味していた。
「ふむ」
 ハンニバルは眉間に皺を寄せた。
 敗軍の将である自分が前面に立つことは避けたい。自分が主導して結んだ和平が、果たして持続可能なものか否か疑わしいからだ。




「誰かおらぬか。ローマに侮られぬ人物が」
 本来ならば、腹心のハシュドゥルバルかマニアケスを派遣したいところだが、いずれも元老院議員ではない。ザマに敗れる前ならば総司令官の使者という名目が立ったが、敗戦後の今、ハンニバル自体の権威が怪しく、そんなことはできなかった。
 やはり、名目だけでも元老院議員の誰かを立てたかった。
「一人おります」
「いるか」
 ハンニバル、隻眼を僅かに大きくした。
「誰だ、それは?」
「ハンニバル船長です」


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 勝者と敗者(続き)
 こちらカルタゴ。騒然としていた。
 あのハンニバルが二十年ぶりに帰還していた。
 それは市民の期待していた凱旋ではなかった。
 生還したのは、彼を含め二千の兵でしかない。



「あれがハンニバル殿…か」
 先頭を、隻眼の将がゆっくり進んでいた。
 二十年ぶりの帰還であるから、初めて姿を見る市民も少なくなかった。
「六万とも聞いていたが…」
「これほどの大敗を喫したのか…」
 カルタゴ市民とは、元来軍指揮官に対する視線が厳しい。功を上げた軍指揮官は独裁者にならぬかと警戒し、敗北した指揮官は無能として磔に架けるという具合だ。
 だが、眼前を進む敗軍の将に対し、罵声一つが飛ぶでもない。青白い顔を寄せ合っているだけだった。
 なぜならば、ハンニバルは彼らが生存の全希望を託した存在。
(これからこの国は…我らは…どうなってしまうのか)
 誰もが不安に押し潰される心地であったのだ。




 ハンニバルは二十年ぶりに生家である屋敷に入った。
 父ハミルカル以来の家人たちに加え、イベリア陥落から逃れ来ていた召使いたちが、主の留守を守っていた。
「ハンニバル様…よく御無事で…」
 彼ら家人たちには、生きて再会出来たこと自体、信じられぬ喜びに等しい。
「我の留守中、よくしてくれたな」
 ハンニバルは彼らを労ると、奥の部屋に入った。
 そして、これまた二十年ぶりに、カルタゴ貴顕の平服に身を通した。




「ふーっ」
 彼は長椅子に座ると、大きく息を吐いた。
 天井を見上げた。こうしてここにあることが信じられぬ心地がする。
 アルプスを越えイタリアに攻め入り、先日にザマの決戦を経たこと。
(もしや…あれらの出来事は夢ではなかったか…)
 不思議な感覚だ。それほどに生家の有様は変わらなかった。
 そこの扉から、父ハミルカル、弟のハシュドゥルバルやマゴーネが顔をのぞかせるのではないか、そんな錯覚に囚われる。


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 勝者と敗者 
 ザマの決戦から数日後。
 スキピオ率いるローマ軍は、東へと引き返し始めた。
 莫大な戦利品を引く馬車が延々続き、その後に、捕虜となった二万人のハンニバル軍の兵士が続く。無論、捕虜には手枷がはめられ、腰に縄で数珠つなぎに括られている。
 先頭を進むは総司令官スキピオ。
 彼は青空突き抜ける秋天の下、気持ち良さげに闊歩した。
 鎧兜に陽光が反射してきらきら輝き、深紅のマントも鮮やかに映じた。



 この威風堂々の勝利軍の行進に、土地の民草たちは驚き恐れ見送った。
「この天地の様は変わるぞ」
「カルタゴの世は終わるか」
 アフリカの大地は、三百年間、長らくカルタゴの巨大な権威下にあった。
 直接間接を問わず、この地に住む民族はその支配下にあったといえよう。
 だが、この統治体制が、この決戦を境に急速に崩壊していくことになる。




 ローマ軍は東に進んで、ウティカの東の岬にあるコルネリウス要塞に戻った。
 既に勝利の報は届いている。軍の帰還に、留守の兵たちも歓喜を爆発させた。
「よくやった!」
「でかしたぞ!」
 スキピオ麾下の兵士は、アフリカ上陸から二年、生死を共にしている。その勝利の喜びもひとしおであるし、何よりも、
「国に帰れる」「家族に会える」
 その喜びもとてつもない大きなものであった。




 要塞の守備司令官として残していた法務官格司令官(プロプラエトル)のバエビウスも、転がり出るようにスキピオの馬前に現れた。
「スキピオ閣下、おめでとうございます!」
 あとは言葉にもならず、感涙にむせていた。
 スキピオは頷いた。
「そなたたちが後方を固めてくれた御蔭で、前線で存分に戦うことが出来た」
 砦の兵たちの慰労に務めた。そして、こう言明した。
「そなたたちの功績は、前線で戦った兵士と変わらぬ」
 前線の兵士と同じ褒賞を約束した。
 そうでなくてはなるまい。さもなければ、戦利品目当てや栄誉を願い、誰もが前線の働きを志願し、結局後方がおろそかになる。後方をおろそかにする軍が勝利した試しなど、古今東西どこにもないのだ。




 スキピオは、ここで戦利品の後始末やら捕虜の処遇などについて指図し、あらかた片付けると、今度は二万の兵を率いて南に進んだ。
 再びチュニスに入城した。
 迎賓館のある丘の上から、敵の首都カルタゴを見詰めた。
「さあ勝負はついた。どうするカルタゴの諸君よ」
 ザマの決戦は、カルタゴが和平の誓約を踏みにじったことで勃発した。だから、和戦の選択はカルタゴのなすべき事柄。ボールはカルタゴ側にあるのだ。


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