新しいギリシア・ローマの物語2

179年、暴君フィリッポス、悪業の報いを存分に被り、死去

終章(二部)

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 ハンニバルその後−野原に散る(さらにさらに続き)
「貴様…毒を仕込んだな」
 マニアケス、白い眼光を放った。
「ははは」
 プルシアス王子は笑った。
「そなたは一騎当千の強者。まともに相対しては敵わぬゆえ鏃に毒を塗り込ませた」
 悪びれずに仕込みを明かした。
 ハンニバル逮捕最大の障害を彼女と見て、入念に準備を施して来た。かすり傷でも致命傷に至る毒人参である。ギリシア世界で多用される毒物であった。
「おのれ…」
 膝付き立ち上がろうとした彼女であったが、花の中につんのめった。




「マニアケス!」
 ハンニバルが抱き起こした時には、彼女の頬は真っ白になっていた。
「閣下…不覚をとりました。もう、お守りすること叶いませぬ…」
「もうよい」
「先の総督様に申し訳なく…」
 彼女は先のイベリア総督ハシュドゥルバルへの愛を貫くため、半生をバルカ家への忠誠に身を捧げて来た。ローマに敗れた後は、ハンニバルの守護に心を砕いて来た。




「もうよい。もうよいのだ」
 ハンニバルはマニアケスを強く抱きしめた。
「よく今日まで私と共に歩んでくれた」
「閣下…」
 マニアケスの瞳が僅かに広がった。




「心強かったぞ」
 ハンニバルはマニアケスの瞳にそう語りかけた。
「閣下…」
「そなたのある御蔭で余はこうして生きて来ることが出来た。心強かったぞ」
 彼は万感の一端をそう表現した。
 表現出来る言葉はなかった。普通の男女の如き『愛していた』『好きだった』というのでもない。君主が忠臣に与える『よくやった』『でかした』というのでもない。
 無上の人間愛を捧げてくれた人に対する、最高の賛辞謝辞を与えてやりたかった。


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 ハンニバルその後−野原に散る(さらに続き)
 ハンニバル一行は、ミルトと別れると、北の山路をとった。
 一行とはいえ、従うのはマニアケスと荷物を乗せた騾馬を引く従者一人。




「何ゆえこちらの途を」
 マニアケスが訊いた。
「プロポンティス海からポントス海(黒海)に出る航路では時間がかかり過ぎ、ビュザンティオン(現イスタンブール)で追捕の手にかかるやも知れぬからだ」
 要は、難路は承知で最短距離でポントス海沿岸に出て、そこでボスポロス行きの船を探そうという肚だ。常に合理的かつ難しい途を選択する、それはハンニバルの生き方そのものだ。
 やがて山を越え、北の麓に出た時である。
 そこは、一面に花が咲き誇る、田園であった。




「まあ美しい…」
 マニアケスの顔が綻んだ。
「ここまで来れば大丈夫であろう」
 ハンニバルも安心した。
 だが、それはおよそ彼らしくなかった。勝利に勝利を重ねたあのイタリアの時も、彼は安心したことはなかった。薄氷の上にある境遇を常に意識し、厳しく己を律して来たし、将兵を統率して来た。




「あっ!」
 マニアケスが短く叫んだ。
 数百の兵が林の中からわらわらと現れたからだ。
 指揮官はプルシアス王子。
 ハンニバルは唇を僅かに歪めた。
「王子、よく我らがこの途を取るのがお分かりになりましたな」
「はは。貴公が地下道を幾筋掘ろうとも、世にある道は限られておるからな」
 まさに達観。王都ニコメディアから通ずる街道は三筋ほど。その道筋さえ押さえれば、追跡はできるのだ。
 これもプルシアス一世王の洞察であった。




「それっ!」
 王子の合図に一斉に矢が放たれた。
「危ない!」
 マニアケス、咄嗟にハンニバルの前に身を投げ出した。
 ために、彼女の体に三筋ほど矢が突き立った。
「マニアケス!大丈夫か!」
「なんの…これしき」
 彼女は主ハンニバルの警護の時、常に用心のために鎖帷子を仕込んでいる。
 だから、致命傷ではなく、腕肩に突き立っただけの軽傷の筈であったが…。
「う…」
 マニアケス、なにゆえか体勢をぐらりと崩した。


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 ハンニバルその後−野原に散る(続き)
 その頃、ハンニバルは北の山路を目指して逃げていた。
 ミルトが女中に扮し口実をかこつけている隙に、屋敷に戻り、秘密の地下道を抜け、脱出して来たもの。その地下道は幾筋にも分かれ、その一つ、山路に通ずる地点に出られるようになっていた。
 鉱山開発の得意なバルカ家の出、そこいらの技術には通じていたに違いない。




 直前、屋敷にて逃亡の準備を整えるハンニバルは、そのミルトと落ち延び先について、口早に話し合っていた。
「そなたに命じた人は、行き先を示していたか」
「は。ボスホロス王国がよかろうと仰せでした」
「ボスポロス王国…さすが目の付け所がいいな」
 ボスポロス王国。クリミア半島とその周囲地域を支配していたギリシア系の王国。
 ポントス海(黒海)の北岸要衝を支配し、交易が盛んであった。また、ここは地味の豊かな土地(黒土地帯)で農業も盛んであった。




 この国の歴史は今ひとつ判然としないが、クリミアに入植したギリシア人の植民都市が連合し、やがてトラキア系の人物が王位に推戴され王国となったようである。個々の都市(ポリス)の自立、ギリシア人としての血脈を重視するギリシア人都市としては異例の経過である。
 が、半島に接する大陸には大遊牧勢力スキタイの本拠があり、またクリミア半島内にも非ギリシア人の部族勢力があった。彼らとの対抗上、強力な指導者が求められ、それが王権成立となったものであろう。
 この王国は、一応ギリシア世界にくくられるが、これまでギリシア本土で覇権を握ったアテネ、スパルタ、テバイ、マケドニアの支配に服したことはなかった。強力な独立自治を保って来た。この頃(紀元前183年)には往事の勢威を失っていたが、ローマの世界秩序に服さない数少ない国家の一つだ。




「船を用意しておりますれば、それにてお向かい遊ばしますよう」
 ミルトが勧めた。それは海路プロポンティス海(現マルマラ海)を経てポントス海に出る航路である。
 だが、ハンニバル、これに頷かなかった。
「よい。そなたはもう帰れ」
「え…しかし。それでは…」
 彼女に命じた人は、ハンニバルが無事亡命を遂げるまで見届けよと指図していた。




 ハンニバルは隻眼に穏やかな微笑を浮かべた。
「そなたはローマに生活するローマの女。ここまでで充分過ぎるほどだ」
 逃走を共にすると、どんな危険に遭うかも知れない。そして、何よりもミルトを送り込んでくれた人に迷惑をかけるかも知れない、そのことを危惧した。
「ありがとう。ミルト」
 ハンニバルは彼女の手を親しく取った。
「閣下…」
「そなたも余の運命に振り回された一人」
 そう。ミルトはギリシア人奴隷でマニアケスに買われ、その配下で隠密活動に携わった。その後、カプア陥落を機に脱走してローマに走った。




「そのそなたが、こうして最後まで余のことを助けてくれる。感謝せずにはいられない」
 この言葉は、ミルトの背後にいる人にも向けられたものであろう。
「スキピオ殿、そなたの夫ラエリウス殿にも、呉々も感謝申し上げておいてくれ。ハンニバル、終生、恩義を忘れることはない、と」
 ハンニバルとマニアケスは、この瀬戸際に笑顔を並べていた。




(なんと穏やかな…)
 ミルトには、二人が、まるで長年連れ添った夫婦のように見えた。
「分かりました。それではこれにて失礼いたします。どうか、くれぐれもご注意を」
 それは、これが今生の別であることを意識したもの。
 マニアケスが近寄ると、女二人、急に感情が込み上がって来たものであろう、さめざめと何か語り合った。思えば、不思議な縁に結ばれた人々。その感情は想像もつかない。


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 ハンニバルその後−野原に散る
 ここニコメディアの王城。
「ハンニバルは遅いのう…」
 じりじりしていたのは、王子プルシアス。
 彼はハンニバルにずっと反感を抱いていた。父は既に高齢。息子である自分の王位継承は差し迫っていた。
 王となり国家の運営を思うと、ローマとの関係は極めて重要と思わざるを得ない。ライヴァルの隣国ペルガモンは、ローマ元老院の信頼を克ち取り、タウロス以西の広大な領土を獲得し、群を抜く大国となっているのだ。




 それなのに、ローマの大罪人ハンニバルが転がり込んで来た。父が彼を重用し、嬉々として話を訊く容子に、次代の王として甚だ不愉快となった。
(ハンニバルという危険な駒を弄んでいる時ではない)
 時代の趨勢はローマの洋々たる前途を指し示していた。
 それゆえ、常々父を諌めて来たし、フラミニヌスにも密かに知らせ、ローマに対し二心のないこと、誠意を示そうと苦慮して来た。




 だから、父プルシアス一世とフラミニヌスの話がまとまり、父からハンニバル捕縛を命じられると、
「ようやくこの時が来た」
 王子は安堵の面持ちとなった。
 彼は、すぐさま屋敷を包囲してと思ったが、父は詳細な指示が付していた。
『ハンニバルは用心深い男。屋敷には脱出するための工夫を施しておろう。それゆえ、宴席を設けて王城に招き寄せ、一気に絡めとれ』




(さすが…アジア随一の策士と言われるだけはある)
 そこで、父の指図通り使者をやって招いたが、いっかなそのハンニバルは現れない。
 不審に思って容子を見に遣らせると、途中、見目麗しい女が一人立っていたそうな。
 その女は、こう告げたとか。
「我が主ハンニバルは、王子様にお渡しする贈り物あることを失念し、屋敷にいったん戻りましてございます。その用意整い次第、速やかに宮殿に伺います」
 だが、それからしばらくしてもハンニバルは現れない。




(これは…おかしいぞ)
 プルシアス王子はすっくと立ち上がった。
「これっ、直ちにハンニバルの屋敷に向かえ!取り囲んで誰も逃がすな!」
「ははっ!」
 数百の兵が城を飛び出し、ハンニバルの屋敷に駆け向かった。
 四方を取り囲んでわっと押し入ったが、屋敷の内は既にもぬけの殻であった。




「しまった…ハンニバルは逃げた後だぞ」
 屋敷中しらみつぶしに探したが、従者の一人もいない。普段から、今日という日に入念に備えていたものであろう。
「ええい、追え!追うのだ!」
 兵は屋敷を飛び出した。
 王都は騒然となった。


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 ハンニバルその後−閉ざされた途(さらにさらに続き)
 馬に揺られ王城に向かうハンニバル、ふと空を見上げた。
 満天の星々であった。
(不思議なものだ…カルタゴにいた時も、ヒスパニアにいた時も、アルプスを越える時も、イタリアにある時も、そしてここアジアにいる時も全く変わらぬ)
 父ハミルカルに伴われ、バァル神殿に参詣し、鬱勃と大志を抱いて五十五年。
 運命の転変を思い、全てが変革した世界史の渦中にありながら、何一つ変わらぬ世界が頭上にある。そのことが不思議で、人間存在の極小に無情を覚えずにはいられない。
 そんなもの思いに耽っていた時である。




「何やつ!」
 マニアケスの誰何する声が闇に響いた。
 目を凝らすと、ぼろにくるまった者が道を塞いでいた。
「わたくしにございます」
 その者はいった。
「む、その声は…」
 女がほおかぶりを脱いでみせた。
「ミルト…か!」
「左様にございます」
 その女は寂しそうな笑みを浮かべた。




「どうしてここに」
 訊いたのは、かつての主マニアケスであったが、ミルトはそれには応えず、
「王城に参ってはなりませぬ」
 と二人に向かって言った。
「なに…」
 ハンニバルは隻眼を光らせた。
「王城では閣下を捕縛する準備を整えております」




「そうか…そういうことか」
 ハンニバル、もやもやしたものの全てが腑に落ちた。
 ミルトは口早に計略の全容を説明した。
 宴を口実にハンニバルを捕縛しローマに引き渡す。ハンニバルの屋敷を包囲すれば、ハンニバルのことゆえ脱出路を用意しているに違いない、それゆえ王城に招いて捕えようとのこと。これ全てプルシアス一世の策謀。
「なるほど…用済みということだな」
 ハンニバルは苦笑した。
 相手は謀略に富むヘレニズム君主。このことあることはどこかで覚悟していた。
 意外であったのは、それが少し早いということだけであった。




「感謝するぞ、ミルト」
「いえ…わたくしは…」
「スキピオ君によしなに伝えてくれ」
「いや…」
 ミルトは慌てた。
 ハンニバルの看破した通り、彼女はスキピオの指図でここに来た。




 この頃、スキピオはカンパニアのリテルノの別荘にいたが、フラミニヌス使節団のビュテニア派遣が決まった時、ミルトをローマから呼び出した。
『ハンニバルありと知れば、フラミニヌス殿のこと、捕縛する誘惑に駆られよう』
 この人物は、今なお、こういう鋭敏さを失っていなかった。
『だが、もはやそんな時ではあるまい。ローマの歴史にも宜しくない。そなた、誠にご苦労だが、ひとっ走りして彼に知らせてやってくれ』
 という訳なのだが、そのことを明かすことはできない。万が一真相が明らかになれば、スキピオの政治的立場が失われるからだ。




 そうだから、ミルトはあくまでもこう言い張った。
「わたくしの一存で参ったもの」
 それにハンニバルは苦笑した。
「ならばそういうことにしておこう。とにかく感謝していたと伝えてくれ」
 と言って馬首を巡らせたが、
「ミルトよ、一つ頼みがあるのだが」
「はい」
 ハンニバルは、ミルトの耳に何事かを囁いた。


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