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この度クリスティー・ニューヨークでオークションにかけられる≪マダム・ジヌー≫はゴッホがゴーギャンに遺した絵であり、それを献呈する手紙自体は書きかけで終わってしまった。ゴーギャンがこの絵を受けとることはなかったが、もし受け取っていたらゴーギャンの態度はすこし違っていたかもしれない。二人の関係は結局修復されることはなかった。前回の投稿でゴーギャンの手紙についてふれたが、今日読み直してみて不正確であったことを確認した。ゴッホ伝説の『悪役』ゴーギャンにも言い分はあったのだろうが、このエピソードを知るとますますゴッホびいき人たちの態度はかたくなになるであろう。
http://blogs.yahoo.co.jp/fminorop34/33987850.html
あらためて死後にゴッホに近い二人にゴーギャンが送った手紙を紹介する。この手紙は “Van Gogh a retrospective” にのっていたものである。
まずゴッホが自殺した日から数日後(1890年8月)にテオに書き送った手紙である。
親愛なる ヴァン・ゴーグ
私はただいま悲報を受け取り、悲嘆にくれております。このようなとき、ありきたりのお悔やみを申し上げるつもりはありません。あなたもご承知のように、ヴァンサンは誠実な友でありましたし、なによりも芸術家でした。―― これは昨今では希有のことです。あなたは彼の作品の中で、彼と会い続けることでしょう。彼がしばしば口にしておりましたが、<石はいずれ砕け散るが、言葉は永遠である。> 私も彼の作品の中で、私の心と目で彼に会い続けることでしょう。
心からあなたを思いながら
P.ゴーギャンより
一方ベルナールがゴッホの遺作展を企画していることをゴーギャンが知って、1891年1月にベルナールに送った手紙である。
セルジエールから手紙を受け取ったが、君はヴァンサン展を計画しているそうだね。いやはや何とも不都合な話だね。
君も知ってのとおり、僕はヴァンサンの絵は好きだよ。―― でも愚かな大衆のことを考えると、それもテオが同じ病状であるときに、ヴァンサンと彼の狂気を、大衆に思い出させるなんて全く時期が悪いとは思わないのかね。僕たちの絵は気違いの絵だと言っている連中が一杯いるのだよ。僕たちを傷つけ、ヴァンサンたちにも何も良いことはない……。
まあやりたまえ―― でも実に馬鹿げている。
P.ゴーギャンより
英訳本で読んだので、ゴーギャンの直筆を見たわけではないが、ゴーギャンは『馬鹿』の部分を大文字で書いているらしい。
それにしても近代文明・道徳観を完全に無視し、普通の平凡で幸福な人生をなげうった人物であるゴーギャン。テオのおかげでいくつか絵を売ってももらっているせいか、お悔やみの手紙ではきわめて常識的な態度を取っている。また気違いと一緒にされたくないというのも、ゴッホ以上に非常識な人が言っているのである。このときばかりは、昔の株屋さんの時代の『常識』を取り戻したのだろうか。まあ人間というものは複雑である。
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ゴッホとゴーギャンの二大巨匠のこころの葛藤はすごかったのでしょう。畏敬と侮蔑の狭間にて!
2006/4/26(水) 午後 0:20
おっしゃるようにお互いすごい対抗意識があったのでしょうかね。ハリウッド映画では純情なゴッホの崇拝と傲慢なゴーギャンの軽蔑という図式でした。ゴッホの思い出を語らせる場面はないと思いますが、「月と六ペンス」は読んでみたいです小説ですね。
2006/4/26(水) 午後 0:48 [ fminorop34 ]