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1666年9月2日 サムエル・ピープスの日記
昨夜から今日のごちそうの準備のために夜遅くまで起きていた女中がいた。ジェーンは朝の三時頃に私を起こして、シティーに大きな火が出ているといいにきた。私は起きあがってガウンをはおり、窓に出た。マーク横町のずっと裏側の方だと思った。しかしその後におこった火災は経験したことがなかったし、わが家からははるかに遠い火事と思い、寝室にもどりまた就寝した。七時頃起きて窓から見わたした。火事はそれほどではなく、遠いのを見届けてから、昨日の掃除で位置が変わったものを直しておいた。
ジェーンがまもなくきて今晩の火事で300軒の家が燃え落ちたという噂を伝えにきた。ロンドン・ブリッジそばのフィシュ街がすべて消失したという。私は出かける支度ができていたのでタワーまで歩いていき、高いところにたどり着いた。サー・ロビンソンの息子が私に同行した。ロンドン・ブリッジのたもとの家がすべて火に包まれており、私はロンドン・ブリッジの両岸の家の巨大な火焔を目撃した。この橋ぞいに住んでいるミッチェルやサラのことが心配になった。大変心配になって、タワーの警備隊長の所にいってみたが、今朝プッディング横町の王室御用達の菓子屋から火が出て聖マグナス教会とフィッシュ街の大半を焼き尽くしたという。
私は川渕に降りて、船にのり、橋を通り抜けた。何ともすざまじい火焔である。ミッチェルの家ははるかオールド・スワンのあたりだが、その方面は燃えており、私が見ているうちに、火はさらに進んで、ほんのわずかの時間でスティ−ル・ヤードにまで延焼した。人々は家財を運ぼうとして、川に向かって投げ込むやら、はしけに入れたりしていた。火が間近に迫るまで家に閉じこもり、それから船に向かって走り出したり、川岸の階段から階段へと逃げている人もいた。なかでも鳩が巣を離れたがらず、窓やバルコニーの周りで羽ばたき、ついには全身を燃えたり、翼を焦がし、落ちていった。
立ち止まり、一時間もしないうちに火はあらゆる方向に燃え広がり、見る限り火を消そうとする人はいなく、家財を持ち運び、やがて家財道具をすべてのこしていった。火はスティ−ル・ヤードに広がり、強い風がまいあがり、シティーにまで及んだ。長期の乾燥により、あらゆるものが燃えやすく、石造りの教会までもが燃えた。哀れなのは教会の塔で、そこにはきれいな――夫人が住んで、私の学校以来の旧友であるエルボロが牧師をしていた教会も上まで火に包まれ、崩れ落ちた。
私はホワイト・ホールに向かったが、ある人物も私と一緒にタワーからさらに火の様子を見に船に乗ることを希望した。ホワイト・ホールに向かい、チェペルの王の間に向かった。私の周りに皆が集まってきてが、私がした話にみなは大いに悲観した。この話は王に伝えられ、私は王に呼ばれた。王とヨーク公に見たままを話し、陛下が家を取り壊すご命令を出されないかぎり、火は収まらないでしょうと申し上げた。お二人とも困った様子であったが、王はロンドン市長に行くように命令を下された。火の手が向かう方向の家は一軒のこらず引き倒すように市長に命令を出すようにいわれた。ヨーク公は兵隊がいさえすれば、自分もそうするといわれた。後でアーリントン卿もそういわれた。これは内密の話。
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