|
1666年9月5日 サムエル・ピープスの日記
私は役所でW・ヒューワーのキルトで寝ていた。疲れ切っていたし、歩き続けて足が痛くて、立つのもやっとであった。朝の二時頃、妻が私を起こしてまた火の音がすると言った。火はバーキング教会のところまで来ているというが、この教会はわが家の小道のはずれにある。
起きあがってみたらその通りだった。直ちに妻を避難させる決心をし、実行した。約2350ポンドの金貨を持ち、W・ヒューワーとジェインをつれてプラウンディの船でウールウィッチまで行った。ああ、月明かりで見る光景はなんと悲惨であろう。シティがほとんど火に包まれている。ウールウィッチではそれがはっきり見えるのだ。
ここへ到着したとき、門が閉まっており、見張りもいない。これには困った。現在いわれはじめた話では、この火事は陰謀であり、フランス人がやったというものである。私は門を開けさせ、シェルデン氏の家に向かった。そこに金貨をしまい、妻とW・ニューワーに夜でも昼でも部屋を出るときは必ずもってでるようにいった。ふたたび戻る途中、デプトフォードでは家財が無事であり、しっかり監視されているのを見届けた。
家に戻った。私はわが家が燃えているものと思っていた。時間は7時頃だった。まだ燃えていなかった。火にかんして思っていた以上に希望がでてきた。役所が燃えているのものと確信していたので、わが家についてきくまでもないと思っていたが、戻ってみたら、まだ燃えてはいなかったのである。
火を見に行ってみると、家屋の引き倒しとサー・W・ペンが派遣した王室の作業員の救援が功を奏し、そこで止まった。わが家のあるマーク・レインも同様であった。バーキング教会の日時計と教会の入り口の一部を燃やし、そこで鎮火した。
私はバーキング教会の塔に昇ってみたが、かくも荒廃した光景は見たことがなかった。いたるところに大火があり、油貯蔵庫、硫黄その他が燃えていた。そこに長居するのが恐ろしくなり、出来るかぎり急いで降りたが、火は見わたすかぎり拡がりつつあった。サー・W・ペンの所に行き、冷えた肉を食べた。私は日曜以来土曜日の食事の残り物を食べたきりであった。
ここでヤング氏とウィスラー氏に会った。家財はすべて運び出し、火がわが家の手前で鎮火するちう希望がでた。3人は町を見に行ったが、ファンチャーチ街、グレイシャス街、ロンバード街はすべて灰になっていた。
取引所は悲惨だった。立っているものは何もない。銅像も柱もない。ただ隅にサー・トマス・グレシャムの絵だけがあった。燃えた木炭の中を歩くみたいで足は燃えそうであったが、ムーアフィールドに歩いていった。そこは群衆であふれ、哀れな被災者が家財を運び込み、全員がみな自分の財産を守っていた。昼夜屋外でいる彼らに幸いしたのは天気が良かったことである。そこで水を飲み、質素な1ペンスパンに2ペンスを払った。
そこで家路につきチープサイドとニューゲイト市場を通ったが、全焼し、アンソニー・ジョイスの邸宅が燃えているのを見た。そして私がもっていたマーサース・チャッペルのグラスを街で取り出したが、ほとんど熱で溶けて曲がり、まるで羊皮紙であった。私は猫が煙突の穴から出てきて取引所の壁にへばりついているのを見た。体の毛はすべて焼けこげていたが、まだ生きていた。
夜は家にもどり、役所が火災を免れる希望が出てきた。しかし一晩中監視すべく努力し、部下を待機させた。部下を役所に泊めさせた。彼らに飲料、パン、チーズを支給した。
そして私は横になり、真夜中までぐっすりねむった。だがフランス人とオランダ人にかんする警報がでたが、後で誤報と分かった。しかし一体日曜日からどれだけ時間がたったのだろうか。ありとあらゆる行動をとり、ほとんど寝ていない。一週間以上経っているようにおもえた。実際はまだ一週も経ってないことを忘れていた。
|