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<font size="3">さて今日はドレフュス事件態度がはっきりしている印象派の画家の中で、女流画家メアリー・カサットを取り上げる。印象派の時代に注目すべき現象は自立した女流画家が登場したことである。一番新しい女流画家はカサットの親友ベルテ・モリソであるが、彼女はドレフュス事件が本格化する以前に死亡している。
ここで若干女流画家の地位についてふれておこう。女性は親が絵描きでないかぎり、絵描きになることは難しかった。絵描きは服の汚れる作業であるから、すくなくとも淑女の作業とはされていなかった。
絵描きは神話を題材とする絵が描けなければ一人前ではない。そのためには裸体画を勉強しなければいけない。ところが女が男性のヌード・モデルを見ることは不道徳である。また壁画等の作業をするには足場に上らなければない。当時の女性の服装では考えられないことである。
さらに18世紀の教育改革により、ギルド制のもとではフランス美術発展の障害になるとして王立美術学校ができた。この美術学校の改革の一環として、女性の入学はもちろんのこと、女性が美術学校の周りをうろつくことも禁じる提案がなされた。前途有為の男子学生の修行の妨げになるからである。
この改革はナポレオンによっても修正されることはなかった。そんな中でベルテ・モリソは美術学校の入学を断られ、コローに個人的なレッスンを受け、やがてマネと親しくなり、マネのモデルになり、印象派の画家の一人になった。当時「ならず者一味にはかならず女がいるものだが、印象派という精神病院に送るべき連中の展覧会にも女がいた」と新聞の批評欄で物笑いの種にされた。
そんな頃メアリー・カサットはアメリカでなぜか美術学校に入れた。彼女の父親はアメリカで成功したフランス人の銀行家であった。カサットはレディだったからか、いろいろ親切にされたみたいである。彼女は自立を望み、レディ扱いされても、自分の絵を向上させるになんの役にも立たないし、うっとうしくなり、ヨーロッパに旅立ち、美術館を見て回った。
彼女はピサロに教えてもらった。ピサロは絵の先生として非常に優れた人物であった。セザンヌが自身を「ピサロの弟子セザンヌ」と称したくらいである。カサットはピサロに新しい絵を学んだが、彼の模倣者になることなかった。それはピサロの望むところではなかった。
やがてドガに傾倒した。気むずかしいドガと親しく、ドガとの関係を詮索する人がいる。二人の仲は普通ではないとか、いやドガは生来女嫌いというか女を馬鹿にしていたとか、いろいろと噂好きの美術史家にはネタを提供した。結局二人とも生涯独身だった。彼女はドガ同様に実験精神の持ち主であり、新しい素材や手法の開拓に熱心であった。日本の浮世絵等の趣味などもドガと共通している。
さてドガとカサットのそれ以外の共通点がある。二人とも裕福な家に育った。二人の父親は非ユダヤ系、それもフランス人の銀行家である。フランスでのし上がってくるユダヤ人に対して、カサットの父親がどう思っていたか確たる資料があるわけではないが、脅威を感じていたはずである。
ではカサットのドレフュス事件に対する態度であるが、彼女はドガとは反対に親ドレフュスであった。この結論を聞けば、後から理屈は何とでもつけられる。彼女は女性である。女性はいろいろ差別されることが多いから、差別的な反ユダヤ思想を嫌ったのだとか。たしかに彼女は美術だけではなく、政治的にも進歩的だった。アメリカでの女性の投票権の運動にも参加している。
それでも彼女はレディであるから、レディの一線を踏み外してはいなかった。一枚の例外があったと思われるが、彼女は単独の男性の肖像画は描いていない。女は男と同室できないからである。女性と子供の絵が多い、たまに男性が登場するとしても家庭的な雰囲気をだすために、脇役としての「お父さん」である。上の絵も彼女の典型的な絵である。
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一番最後に </font> をつけてください。3は小文字でお願いします。
2006/9/14(木) 午前 0:41
</font> は最後にいれましたが、これだけは消えました。変な設定をしてしまったのでしょう。どうもすみません。これは不徳のいたすところというのでしょうか。また挑戦します。
2006/9/14(木) 午前 0:52 [ fminorop34 ]