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71.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ フィレンツェ、ヴィア・デイ・バルディ、22 C/Oフラウ・ブロイスター(姉) 1880年5月3日 親愛なる友へ まあ何と素敵な驚きでしょう。ときどき何か献呈したいというおつもりを口にされておりましたが、とくにアルガイヤー氏の破廉恥な横領事件以降は信用しないことにしました。今度はこの光り輝く二つの作品で、わたしを恥じらわせようというのですね。この献呈の喜びについて長々とお喋りするつもりはございません。 わたしがこの作品が好きかどうかはご存じです。あなたの頭脳から生まれた作品に、わたしの名前がこれ見よがしに載っているのを見て喜ぶかどうかも、あなたはとうにご存じのはずです。心からではありますが、ただ一言ありがとうと言わせていただきます。ご質問にかんしてですが、わたしが限定的でない言葉、ピアノ曲(Klavierstuck )を、ただ限定的でないという理由で好むことをご存じでしょう。それではたぶん駄目でしょう。その場合には 「ラプソディー」という言葉が一番合っていると思います。二つの作品の明確な形式は、一般人のラプソディーの概念とは多少ずれている気もしますが。しかし、実際上、使われていくうちに本来の特性を失うのが、多くの名称の特性ですから、どのように使おうと構わないわけです。―― 「名は天の火を包む響きと煙にすぎない( Himmelsklarheit)(1)」。さあ出ておいで。汝名も無きものよ。ブラームスのラプソディーなる漠たる衣装をまとえ。 あ なたがイタリアに滞在されたことがあったのは好都合です。ですから、何も語る必要がありません。わたしはただ、ポンテ・デル・アルノとポンテ・ヴェッキオ のちょうど中間にあるアルノを見渡すバルコニーでドアを開いて腰を下ろしております。それがどういうことかおわかりでしょう。見上げる空の青さ。背景の山 並みはなんと美しく、どれほどか心を和ませるのでしょう。この絶景を眺めるときのわたしの気分を何にたとえましょう。この数週間の発見で、このすべてをいろんな角度から見ることができます。わたしは知らぬ間に、部分を全体に織り込み、ふたたび全体をほどいては部分に戻します。この天国的な場所にたいするわ たしの愛着は増すばかりです。もうここを離れると思うと悲しくなり、その時にはもう不可欠になったもので涙を拭います。わたしはあなたがここに来られたと 思うと嬉しくなります。あらためて発見して興味深いのは、あなたの目は周囲の霊感あふれるこの美しさを見ることができることです。もっともあなたはこの遠い環境のもとで成長されたのです。不思議なことにわたしたちは、この間ずっと、旧い市庁舎(Rathaus )、 ライプツィッヒのカタリネン・シュトラーセに相当するのでしょうか、これには同意できません。この人たちは正直いって、駆り立てられるように、贅を尽くす のを惜しまず、見事な傑作を生み出して、願望を満たしてきました。それでもまだ活力と戦闘意欲を維持し、おのれの作品のそばで休息を取ろうともせず、隣にあるものを破壊するのに急です。どのくらい破壊を免れたのかを知るのは興味があります。そして今日ではこの素晴らしい国家は死よりも悪い状態です。バル ジェッロからパラッツオ・ヴェッキオに急ぐ現代のイタリア人には、わたしたち口を開けて見とれている蛮族よりも、この国の歴史と芸術には関係が薄く、こん な宝物を所有する資格はほとんどありません。わたしたちは少なくとも子供のようなある種の畏敬の念に打たれます。 さてと。しゃべり過ぎましましたが、お知らせしなければいけないもっと重要なことがありました。たとえば、わたしたちは六月初旬にベルヒテスガーデンに行きたいと思っています。エンゲルマン夫妻が続いて六月の終わりには四人のお子さんを連れてやってきます。さらにあなたがそこで加われば、とても気が利いた夏 になると思いません。ヘル・ミューラー(2)は 半分その気になっているようですから、ヘル・ブラームスも同じ気持ちになられることを期待しております。わたしたちは部屋を確保し、うまく準備しておきま すので、到着されたら、お望みどおりにおもてなしをして、静かに過ごせるようにいたします。要するに、あなたが希望されるすべてがあるということです。夏にお会いするのはまた格別です。わたしたちの切なる希望です。ぜひとも、ぜひとも、これを当てにしてよいかお知らせください。 どうしてイシュルに行かれるのですか。そんなに快適ですか。ウィーンの半分がそこで休養していると思いますが。 デュッセルドルフ(3)に ついて詳しく聞かせてください。あの式典に参加しなかったことが悔やまれます。その日が来たとき、ひそかに「ああイタリアめ」と思いました。もう一つのご質問にお答えしますが、わたしたちは健康です。ハインリッヒはサラマンダーのように日向ぼっこしています。バルジェッロかどこかで食事をする以外は、彼は新しい曲集のためにコーヒー・フーガ(4)を作曲中です。ここで二回ほど奇妙なコンサートに出かけましたが、色々見るものはあるが、ここは住む所ではないというのがわたしたちの結論です。「バッハ全集(Bach Ausgabe )」がたった一部しかなくて、わたしたちが高く評価するものは文字どおり足場すらない国では、思考を停止すべきだと思います。 ではさようなら。ベルヒテスガーデンでお会いしましょう。それとその前に出版されるラプソディーをどれほど待ち焦がれることでしょう。この貴重で美しいものを所有できるという見込みで、わたしはちょっとした資本家の気分です。あと最後のご質問、わたしの名前の表記についてお答えします。そのままで、あなたのご存じの通りにお願いします。 エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクより (1)ゲーテのファウストから、Himmelsklarheit は Himmelsglut とすべきである。 (2)ブラームスはヘル・ミューラーとして、すなわち、格別の任務を持たない私人として、ベルヒテスガーデンに行ってもいいと言ったことは明らかである。 (3)うっかりしたミスで、ボンである。そこで5月2日から4日まで音楽祭が開かれ、シューマン記念碑の除幕を祝った。ヨアヒムはブラームスのバイオリン・コンチェルトを演奏し、ブラームスとともに音楽祭の共同監督を務めた。 (4)C、A、F、F、Eのキー。 |

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