ヘ短調作品34

ルブランの回想録の link 先はゲストブックを御覧ください。

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1

今日のドイツの詩は、ヘルマン・ヘッセの「インドの詩人バルトリハリに」である。私はこの詩人の名前を知らなかった。したがって「バルトハリ」というカタカナ表記にも自信がない。

西欧では著名な存在であるらしい。Webではすでに彼の詩の英訳がなされている。彼は詩のみならず言語学の分野でも注目されているらしい。Webでの紹介記事では、チョムスキーやヴィトゲンシュタインも彼に注目したという。ヘッセの詩にあるように、快楽と禁欲の間を揺れ動いていた人物とされている。東洋趣味のヘッセが取り上げたくなる人物である。

An den indischen Dichter Bhartrihari

Wie du, Vorfahr und Bruder, geh auch ich
Im Zickzack zwischen Trieb und Geist durchs Leben,
Heut Weiser, morgen Narr, heut inniglich
Dem Gotte, morgen heiß dem Fleisch ergeben.
Mit beiden Büßergeißeln schlag ich mir
Die Lenden blutig: Wollust und Kasteiung;

Bald Mönch, bald Wüstling, Denker bald, bald Tier;
Des Daseins Schuld in mir schreit nach Verzeihung.
Auf beiden Wegen muß ich Sünde richten,
In beiden Feuern brennend mich vernichten.

Die gestern mich als Heiligen verehrt,
Sehn heute in den Wüstling mich verkehrt,
Die gestern mit mir in den Gossen lagen,
Sehn heut mich fasten und Gebete sagen,
Und alle speien aus und fliehen mich,
Den treulos Liebenden, den Würdelosen;
Auch der Verachtung Blume flechte ich
In meines Dornenkranzes blutige Rosen.
Scheinheilig wandl’ ich durch die Welt des Scheins,
Mir selbst wie euch verhaßt, ein Greuel jedem Kinde,
Und weiß doch: alles Tun, eures wie meins,
Wiegt weniger vor Gott als Staub im Winde.

Und weiß: auf diesen ruhmlos sündigen Pfad
Weht Gottes Atem mich, ich muß es dulden,
Muß weiter treiben, tiefer mich verschulden
Im Rausch der Lust, im Bann der bösen Tat.

Was dieses Treibens Sinn sei, weiß ich nicht.
Mit den befleckten, lasterhaften Händen
Wisch ich mir Staub und Blut vom Angesicht
Und weiß nur: diesen Weg muß ich vollenden.

Hesse


インドの詩人バルトリハリに


君や先祖や兄弟のように、私もまた
生涯本能と精神の間を往来し
今日は賢者、明日は愚者、今日は心から
神に従い、明日は肉欲に従う。
私は肉体を打った二つの改悛の鞭打ち
快楽と苦行。

ときに苦行者、ときに放蕩者、ときに思索者、ときに獣。
私の存在の罪は赦しに歩を進める。
いずれの道を選んでも私は罪へと向かい
いずれの業火も私を焼き尽くすに違いない。

昨日はみな私を聖人と尊敬し
今日はみな私を放蕩に戻ったのを知り
昨日はみな私と共に溝に横たわり
今日はみな私に食事を与えず、非難し
不誠実な友で不名誉である私を
みな唾きし、避けて遠ざかり
私は不名誉の花を織り
血まみれの荊の冠にする。
だが承知している。君の行為、私の行為
全て神の前では風の中の塵のように揺れない。

承知している。この不名誉な罪深き荊の道では
神の息吹は私に吹きつける。私はこれに耐え
これを追い返し、欲望の陶酔と悪業の呪縛の中で
さらに罪を重ねるに違いない。

この行動の罪の本質は私には分からない。
私はこの汚れた悪の手で
顔からと塵と血を拭い
承知している。私はこの道を歩み続けるに違いない。

ヘッセ

この記事に

閉じる コメント(3)

顔アイコン

哀しいかな永遠の罪業としての人間の姿は斯のようだと・・・「欲望の陶酔と悪業の呪縛の中でさらに罪を重ねるに違いない。」という救いのなさ。ひとが関係存在であればこその永遠の受苦なのでしょう。しかし愛の光明もその関係存在ゆえなのでしょう。たぶん・・・。

2007/8/7(火) 午後 11:46 緑の森 返信する

顔アイコン

放蕩の生活を送った偉人はどこにもいます。インドの「学者」の「研究」とはどういうものだったのでしょうか?宗教的な神秘体験のようなものだったのかなと思ったりします。天才的な数学者マハルジャンも西欧的な意味で「論理的な成果」をあげていません。彼は証明せずに「神様がそうおっしゃった」というのです。神に祈り、神から知恵を授かっているのです。ようするに神秘体験で次々に偉大な「発見」をしていったみたいです。この文法学者・言語学者・詩人が宗教的だったから悩むのであって、西欧流の偉大な成果を出した人は大抵どうしようもない人が多く、酒、博打、女に手を出していました。

2007/8/8(水) 午前 8:16 [ fminorop34 ] 返信する

顔アイコン

緑の森さんのコメントに直接お答えしていなくて申し訳ありません。インドの宗教をユダヤ・キリスト教の伝統に育った人が理解できるのか、英語で翻訳できるのか疑問ですが、一度彼の詩の英訳をご紹介しようかと思います。さらに私のドイツ語で訳すというのはいいのかなと思ってしまいます。Dasein なんて難しい言葉が出てきていますし、緑の森さんに相談すべきだったかも知れません。

2007/8/8(水) 午後 4:34 [ fminorop34 ] 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事