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「今日の詩」はフロストの小品「庭の蛍」である。6行の詩であるが、脚韻が愛らしく整っている。構造は [a, a, a, b, b, b] である。 Fireflies in the Garden Here come real stars to fill the upper skies, And here on earth come emulating flies, That though they never equal stars in size, (And they were never really stars at heart) Achieve at times a very star-like start. Only, of course, they can't sustain the part. Frost 庭の蛍 上空には夜を埋め尽くさんと真の星が登場し 地上には星に対抗心を燃やし蛍が登場する。 蛍は大きさでは星には敵わないが (それに蛍も内心星とは思っていない) ただ時間だけは星とほぼ同じスタートを切る。 もちろん蛍はその役割をいつまでも維持できないが。 フロスト
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フロスト
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...




天上のものと地に属するものへの暗喩でしょうか。
2007/11/19(月) 午前 5:02
この詩は口語で書かれていないので、日本語に変換しやすい詩だとは思います。だが解釈になると別です。月並みな俳句のように季節を歌ったものか。もう少し深遠な問題作なのか。読む人の文化的背景により違ってくると思います。浅薄かもしれませんが、日本人である私は風物詩の要素の強い詩だと思い訳しました。コメント有難うございました。書きながら不適切な訳に気付きました。あとで修正しておきます。
2007/11/19(月) 午前 9:49 [ fminorop34 ]
この詩も、この詩集(『西に流れる川』)に収められた他の作品同様、口語的なトーンに包まれています。幻想的な要素をすべて打ち払った地点にたって、詩人はこの2つの対象を冷静に観察しながら、切りつめられた事実の中に、詩的真実の光を読みとろうとしているのかもしれません。束の間の存在である蛍の姿と、恒久的な生命を持つ星の姿との滑稽な対比や類比を通して、詩人は人間をも含めた生物の営みの中に存在の意味を読みとろうとしているかのようです。ただし、コロキキュアルな作品全体のトーンにはそれほど深刻さはなく、むしろそうした深刻さを回避することで、テーマの暗示生を高めているように思えるのですが。フロストは常に人間社会とのつながりを念頭に置きながら、自然の事物を観察するタイプの詩人であることを忘れてはならないと思います。 Achieve at times a very star-like start.の部分の訳は「時折 星そっくりに 素早い動きを見せている」でしょうか。
2016/7/13(水) 午後 2:26 [ msk*fu*i*oto ]
深い洞察力の論評有難うございます。十年ほど以前の訳で、忸怩たる物があります。startの訳言われてみればそうかもしれません。機械的にスタートとしましたが、考えさせて下さい。
2016/7/13(水) 午後 3:37 [ fminorop34 ]