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134.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ ライプツィヒ、1884年4月10日 親愛なる友へ わたしは悲報をお伝えしなければなりません。一年間の兵役(1)に 就いていたクリサンダーの長男が陸軍病院で一昨日の晩に死亡しました。彼の体力が成長に追いつけなかったのです。激しい肺炎で二、三日倒れていました。気 の毒な父親は息子の死に目に会えませんでした。彼は独り寂しく死にました。彼の弟は当地にいましたが、イースター休暇で家に戻っていました。 ハインリッヒは、数日間ここにいたシュピッタと一緒に、クリサンダーについて駅に向かいました。ここで彼は棺と面会し、夜の汽車で家に戻ります。 わたしたちは悲嘆にくれ、何も考えられません。彼は将来性のある愛すべき男で、父親の嬉しい自慢の種であり、彼は息子だけではなく精神的後継者としており ました。シュピッタと話していて、彼のことになると、父親が死んだ後自分が何をなすべきかを知っており、父親の仕事を完成してくれる(2)と言っていました。 昔からの問題です。「なにゆえ悩む者に光をたまわり(Warum ist das Licht gegeben dem M??hseligen)。」この若者は人生の入り口でなぎ倒されたのです。 この悲しみを見るにつけ、つい――つい――思慮分別のない人たちが言うのは正しいのではと思います。亡くすくらいなら子供なんかない方がいい。 わたしはあなたが彼に同情すると思いますし、あなたの同情は彼には意味あるものです。わたしはすぐにお知らせした方がよいと思いました。 あなたの大変、大変親切なお手紙はハインリッヒとわたしにとって喜びでありました。 わたしたちが何度読んだか想像できませんでしょう。 回復は喜ばしいものですが、最高の友人が手を差し出して迎えてくれたときは二重の喜びです。 わたしたちは死がいかに酷いものかを認識しました。 可哀想なクリサンダー。 今日はこれ以上ありません。ただ心のこもった感謝の言葉だけです。 E.ヘルツォーゲンベルクより (1) 教育を受けた男子は、金を払って通常3年間の兵役義務を一年間に短縮することが可能であった(英訳者注)。 (2) クリサンダーの「ヘンデル伝」の前半は1867年に出版され、未完成であった。 (3) ブラームスのモテトット、作品74第1曲(ヨブ記三巻の20)。
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