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今日のネリガンはある古い教会(フィクションであろうが)で見たディプティック(両開きの祭壇画)の神聖なる絵を解説する。幼子イェスが百合の花を聖母マリアに差し出すという平凡な題材の絵でもネリガンは上手く処理したであろう。だが今日のネリガンの幼子イェスは「お手伝い」をする感心な子供を通り越して、人類の贖罪のために生を受けた使命を果たすべく、辛い労働に励んでいる。早熟なネリガンのように気負った幼子イェスである。 もちろんこの詩に相応しい絵を知らない。不勉強だが、フランドルの画家にそんな絵があるとは思えない。労働と関係しているイェスというとついラファエル前派のミレイ Millais (1829 – 1896)の聖家族の絵を思い出してしまう。この絵ですらイエスは幸福そうである。 Diptyque En une très vieille chapelle Je sais un diptyque flamand Où Jésus, près de sa maman, Creuse le sable avec sa pelle. Non peint par Rubens ou Memling, Mais digne de leurs galeries ; La Vierge, en blanches draperies, Au rouet blanc file son lin. La pelle verdelette peinte Scintille aux mains grêles de Dieu ; Le soleil brûle un rouge adieu Là-bas, devers Sion la sainte. Le jeune enfant devant la hutte Du charpentier de Nazareth Entasse un amas qu'on dirait Etre l'assise d'une butte. Jésus en jouant s'est sali ; Ses doigts sont tachetés de boue, Et le travail sur chaque joue, A mis comme un rayon pâli. Quelle est cette tâche sévère Que Jésus si précoce apprit ? Posait-il donc en son esprit Les bases d'un futur Calvaire ? Emile NELLIGAN (1879-1941) ディプティック すごく古い教会で僕が見た フランドルのディプティック イェスがお母さんのそばで シャベルで砂を掘っていた。 ルーベンスやメムリンクの 作品でないのに合っていた。 処女マリアは白い衣を着て 糸車回しイェスの麻を紡ぐ。 うす緑で描かれたシャベル 主のか細い両手に光り輝く。 別れ告げる太陽は赤く燃え シオンの山の手前には聖母。 幼子のイェスはナザレトの 大工の仕事場の小屋の前 まるで丘のように積み上げ その小山の上に座っている。 イェスは遊んで汚れている。 彼の指には泥がついている そして両方の頬から疲労が 青白い光のように出ている。 こんな厳しい疲れの跡とは? 幼子イェスは何を習うのか? こうまでしてイェスは未来の ゴルゴダの丘を築くつもりか? エミール・ネリガン
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エミール・ネリガン
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