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247.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ [ベルリン]ブルググラーフェン・シュトラーセ、 1890年3月17日 親愛なる友へ あなたが愛国的な「記念の格言(Gedenkspruche )」(1)とモテットの礼状を受け取っていないことでお怒りにならないでください。同封した2月21日と3月10日の日付の送り状をご覧になればお分かりと思いますが、わたしたちは二週間遅れで受け取りました。ジムロック社の手落ちのようです。以来ハインリッヒは―― 長年の希望で――あなたに手紙を書き、この嬉しい贈り物にきちんと感謝したかったのです。ところが、目の炎症で痛みと支障が生じ、無為に過ごすことを余儀なくされています。というわけで、妻が再度代弁者になります。 今回の合唱曲を頂戴して大変喜んでおります。この厳粛な祝典の輝きを高めるために、あなたは見事で力強い歌詞を選択されましたが、これよりは作曲に選ばれた音符の方がより幸福であります。これはまさに当を得た――教訓的で、単純で、力強く、感傷に陥ることなく内からの情熱で輝いており――選択であす。これが着想されたときの精神で演奏されるのを聴ければと思っております。真面目な気持ちで作曲された曲は同等の真面目さで演奏されるべきであり、プログラムの選曲が適切であるかどうかはお構いなしに、聴衆に押しつけるべきではありまえん。わたしは現在印刷されたモテット(2)を侮辱的なピアノ編曲付きで(当世の合唱指揮者の考えを反映し)持つことになりましたが、わたしの最後の頁を以前より欲しくて仕方ありません。もうこれを隠す必要はありません。どうぞなにか楽しい曲に忍び込ませて、すぐに送ってください(3)。 どうかペンの使用を惜しまないでください。それはわたしのためにもっと勤勉でした。お手紙を整理していて、驚いたのですが、あなたの自筆の手紙を綴じてみて、かなり厚い束になりますよ。考えてしまいます。「なぜ彼は素っ気なくなったのだろう。なぜ書くときには葉書を――手紙は封がしてあればこそ貴重なのに、この情けない代用品――使うようになったのだろう。」手紙を――ああ旧い日付――読み返してみて、再確認しました。あなたは魅力的な手紙の書ける方です。 あなたは以前時々わたしに手紙を要求しました。でもさまよっている美しい森に音が入ってこなくなると、そのうちに無口になるのですね。悲しいことです。お金を使う余裕がないので、わたしたちの喜びはそんなにありません。あなたの周囲には新しいお友達ができてはいるでしょうが、わたしたちほど傾倒しているのは多くはないはずです。 ロ長調のトリオ(4)を待っています。あなたが送ってくださった新聞の批評は、好奇心(5)をいっそうかきたてます。あまり焦らさないでください。 今日のところはさようなら。もっと書きたいのですが、あなたが希望されるかどうか分かりませんから。 すぐにお返事を下さい。わたしたちは必ずしも明るく元気ではありませんが、あなたのささやかな友情ある励ましでそうなれます。 リーズル・ヘルツォーゲンベルクより (1)「祝典と記念の格言(Fest-und Gedenkspr??che )作品109」と三つのモテット作品110。ジムロックにより1890年の初めに出版。 (2) 「我等大いなる困窮にあり(Wenn wir in h??chsten N??ten)」と作品110第2曲 「ああ哀れなるこの世よ(Ach arme Welt, du tr??gest mich)」。フラウ・フォン・ヘルツォーゲンベルクがクリスマス・プレゼントとしてもらった。 (3)ピアノ編曲は総譜に「練習に役立てば」と記されている。 (4)ブラームスは最後のページを引き渡そうとはしなかった。フラウ・フォン・ヘルツォーゲンベルクの写本は不完全なままであることが彼女の死後判明した。 (5)ブラームスは初期の作品(ロ調三重奏曲作品8)を大改定し、それを「新版」として出版し(カルベック:ブラームス1巻156-163)、1890年にウィーンでロゼ(Rose)、フンメル(Hummer)と、その前にはブタペストでフーバイ(Hubay)、ポッパー(Popper)と演奏した。おそらく、二流紙のDeutsche Kun(st-und Musik-Zeitung の匿名記事。この論文は優れて知的であったためにブラームスを驚かせ、一部の友人には褒めている。その一人がマンディチェウスキーで、当の執筆者であった。ブラームスをがっかりさせないために彼はその秘密を守った。
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