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270.ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ ベルリン、1894年2月14日 親愛なる友へ ビルロートの死亡(1)を聞いてすぐにお手紙を書こうと思いながら、今日になってしまいました。私がその時あなたのことをどれほど考えたかを知っていただきたいのです。これで、あなたにはおおよその想像がつくでしょう。ビルロートがあなたにとってどういう存在であったかを私は存じています。あなたの全世界において、君臨していたのは――占めていた――彼の人間性でした。深い友情を意識さえすれば誰とでも我慢強く交際できるからです。さて何と大きな穴があいたのでしょう。なぜベルリンに移住されないのですか。あなたの旗は「七義人」(2)によってしっかり支えられています。 月曜日には私が好きなフランクフルトに行ってフラウ・シューマンに会ってきます。彼女は非常にお元気で、以前の力強さと喜びに充ちた演奏をされているという噂です。神はこの高貴な方を私たちのためにお守りくださいました。 今ビューローの死(3)を新聞で知りました。彼には何度か危機があり、覚悟はできていたはずです。それにしても、突然しかも異国で最後を迎えるとは。奥さんには大変酷なことです。気の毒な彗星。主人を亡くし身よりのない彗星の尾は一体どうなるのでしょう。彼は才能と強い意志の見事に併せ持った人物でした。彼は何事にも精神力を傾注してきました。意図はともあれ、動機は純粋でした。彼の平安を祈ります。 私はついにあなたの見事なピアノ曲集(4)を購入し、愉快な指の拷問集51曲(5)を注文しました。フラウ・シューマンが私の大好きな曲を弾いてくださるのを楽しみにしています。この曲集は、見かけは易しいのですが、私たち凡人は初見の段階から一歩踏みだすや、立ち往生してしまいます。見事なバラード(6)が弾けたらと一度ならず思いましたし、今でもそう思っています。実際私は沈黙の日々を送っています。昔からの日課を始めなかったら、静かですから、近所の人は私を絵描きか版画家と思うに違いありません。 昨年のようにこちらに立ち寄られませんか。あるいはせめてハイデにでも。5月の初めにはそこに行く予定です。あなたを心から歓迎します。 あなたのヘルツォーゲンベルクより (1)テオドール・ビルロートは1894年2月6日に死去した。 (2)ケラーの「チューリッヒ短編集(Z??richer Novellen)」中の一編の題。7人とはおそらくヘルツォーゲンベルク、ヨアヒム、ハウスマン、シュピッタ、バルト、ルドルフ、アドルフ・シュルツであろう。 (3)ハンス・フォン・ビューローは1894年2月12日にカイロで死去した。 (4)作品118と作品119。 (5)指の練習曲、作品番号なしで1893年に出版(書簡21、77-79)。 (6)作品118第3曲。
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